ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

砂漠で溺れるわけにはいかない ドン・ウィンズロウ

2017-02-28 12:14:00 | 

肩から力が抜け過ぎているぞ。

街娼の子供として生まれ、父を知らず、まともな母も知らなかったストリート・キッズであったニールは、掏りに失敗して捕まったが、そのグレアムに探偵の素質を見出されて、私立探偵の助手として育てられる。

やがて、その才を愛でられて活躍の場も、ロンドン、香港と広がり、アメリカに戻り荒野で愛する人と出会い、彼女から「貴方の子供が欲しい」と云われて戸惑い、父になることを恐れる青年ニール。

そのニールの最終話とされているのが、表題の作品なのですが、過去の4作品と比較すると、格段に緊張感に乏しい作品となっている。あまりにコミカルというか緊迫感に欠けるのだが、実際はかなりシビアな話。

保険金詐欺が物語のバックボーンなのだが、人の生き死にが左右されるほどの大金に右往左往する登場人物たち。ニールも例によって危険な場面に追いやられる。殺されてもおかしくない、危機的状況に陥るニール。

それなのに緊迫感に欠けるから、おもしろ、オカシイ作品となっている。ニールも、いつまでもストリート・キッズでいられる訳もなく、この物語もこれで打ち止めは、相応なのかもしれない。

重厚なミステリーを期待したら裏切られること請け合いですが、軽い気持ちで楽しみたいのなら、洒脱な翻訳と相まって、なかなかの佳作だと思いますよ。あれほど熱中したニールの物語ですが、妙な終わり方をしたことが、なんとなく納得できるから不思議です。

でも、やっぱり物足りない。どうしても、「犬の力」と比べてしまうのが哀しい。次は「犬の力」の続編を読みますかね。

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犬を飼う 谷口ジロー

2017-02-27 12:09:00 | 

やはり、犬は飼えないのかな。

幼い頃、祖父母の元に居た時に、私の傍にはいつもペロがいた。小学校に入った時に、父が貰ってきたルルは、いつも私の傍らにいた。犬が傍にいる幸せなら、私は十二分に知っている。

だが、その後、家庭の事情で引っ越すことになり、公団住まい故に犬を飼えなくなった。私にとって犬とは、庭を駆け回るものであり、庭に穴を掘っちゃうものでもある。

だから、庭のある家に住まぬ限り、犬は飼わないと決めていた。都会は犬にとって優しい場所ではない。舗装された公園で、排便した後で後ろ足を掻いて便を隠そうとする犬の姿を見るたびに胸が痛んだ。犬にとって、土の大地は絶対に必要なものだと思う。

数年前、母を亡くし、空き家になった実家に住むことを考えた時、私の脳裏には再び犬を飼うことばかり考えていた。だが、この年で一軒家に一人で住むのには躊躇わざるを得なかった。なによりほぼ40年以上、鉄筋コンクリの家に住み続けていたので、木造家屋には馴染めなかった。

なにより、犬を家で寂しく待たせる生活は、決して犬を幸せにしないことを思わざるを得なかった。私が飼う以上は、犬にも幸せであって欲しいのだ。

それが叶わぬ以上、私は犬を飼うべきではないと考えている。

表題の作品は、先月亡くなった漫画家・谷口ジローの代表作の一つ。おそらく実話から描かれた作品だと思う。郊外に家を買った若い夫婦が、犬と共に人生を過ごし、やがて夫婦は中年夫婦となり、元気に庭を駆けまわっていた犬も老いを迎えた。

最後まで、自宅で犬を看取ろうとした夫婦の日常を描いただけの作品であり、ただ、それだけなのに私はこの作品を読むと胸が熱くなる。白状すると、私が犬を飼うことを断念した理由の一つは、この作品を読んだからだ。

私はあまり家に居つかない人間だ。家が嫌なのではなく、外で過ごす時間が長いだけ。ただ、それだけなのだが、その暮らしを数十年続けてきたので、家から離れない犬を看取る自信がない。

正直、悔いはあるのだが、私は犬を責任もって最後まで面唐ンれないと思う。だから犬は飼えない。覚悟は決めたのだが、それでもやっぱり寂しい気持ちは拭えない。

犬を飼ったことがないが、それでも犬を飼いたいと考えている方は、この作品を必ず読むべきだと思います。それだけの価値はある作品だと思いますよ。

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豊洲問題がつきつけるもの

2017-02-24 12:52:00 | 社会・政治・一般

大企業と政府の癒着は、今に始まったことではない。

それは分かっていたつもりだが、今回の豊洲の土壌汚染問題ほど、それを強く思い出させてくれる事件は、そう多くないと思う。

未だ全てが判明した訳ではない。現在のところ、石原都政において、なにやら不透明な取引があったかのように報じられている。だが、東京湾の埋め立て事業と、その埋立地の活用は、数十年前から始まったものだ。

若い人は知らないのも無理ないが、あそこは元々浅瀬であり、豊かな漁場でもあった。それを高度成長時代に漁民を立ち退かせ、替わって急速に都市が拡大し、排出される多量のゴミの処分場として、埋め立てが始まった曰くつきの場所である。

つまり、元々ゴミ臭い土地である。その土地を東京ガスが工場として使用していたのだが、有害な産業廃棄物が土壌深くに沈殿していたことは分かっていた。この土地を東京都が買い受ける話が出たのは、石原の前、青島都知事の頃であったようだ。

実務に疎い青島氏がどこまで関与していたのかは不明だが、やはり核心部の話は石原氏の代であることは間違いあるまい。クリーンなイメージのある石原慎太郎ではあるが、そこは長年永田町に巣食う魑魅魍魎に囲まれてた政治家である。

私事ではあるが、かつてうちの事務所に毎年、電話をかけてくる石原都知事の秘書と名乗る人間がいた。正しくは元・私設秘書であり、既に石原氏とは切れていたはずである。

しかし、師匠であるS先生は、この元秘書の電話に出ると、幾ばくかのお金を用意して、実際に会ってそのお金を渡していたようなのだ。近所だからと言葉を濁していたが、過去になんらかの仕事の依頼をしたことがあるようであった。

S先生は最後までその内容を明らかにしなかった。でも20年近くそばで仕事をしていた私は、おそらくあの件であろうと思っている。それは、法制外の厄介事をある役所にねじ込むことで、成功させたはずだ。おそらく、その石原の元私設秘書はその仕事に絡んでいたのだろうと思う。

そのことは、私がS事務所に入る前のことであり、30年近く前のことだ。お金を渡すといっても、サラリーマンの小遣い程度である。なんとなく、お情けでしている印象があった。その元・私設秘書は私らスタッフには高飛車であったが、S先生の前では卑屈な態度であったと思う。

口が堅いS先生は、この件に関して愚痴もなにも云わなかった。ただ、なんとはなしに、石原慎太郎という政治家を見限っているかのような印象があった。私ら税理士は、政治連盟という税理士会とは別の組織を作って政治献金をしているが、その大半は自民党の政治家(現在は少し違う)であった。

これはその目的からして、与党政治家でなければ、税制に関する意見陳情は意味がないので当然ではある。だから税理士政治連盟を通じての政治献金には、S先生も協力していた。が、いくら薦められても役員にはなろうとしなかった。政治とは距離を置きたい気持ちが強かったのだろう。

私には、その一因が石原慎太郎にあったように思えてならなかった。私の独断と偏見ではあるが、私はこの政治家を、自らの手を汚さない人だと思っている。綺麗ごとなら、堂々と大声で主張する。しかし、表だって口に出来ないような下世話なことになると、途端に後ろ向いて他人に任せるタイプだ。

政治の世界、とりわけ民主主義国家における政治の世界は欲望の巣窟である。最大多数の欲望を実現することを政治の目的としている以上、政治家の元には素朴な希望から、泥臭い欲望まで有権者の意向が集約される。

そして、石原慎太郎という政治家は、断れないが、綺麗ごとではない陳情があると、それを私設秘書に回していたのではないかと、私は疑っている。そして、事が終わると、その秘書の首を切って、身の回りを綺麗に整えたのだろう。

なんとはなしだが、S先生がその元・私設秘書に小遣いを渡していたのも、そのあたりの事情を斟酌してのものであった気がしてならない。そうでもないと、石原に対して醒めた態度をとっていたことの理由にならないように思う。

話を戻すと、石原・元東京都知事は、豊洲の東京ガス工場跡地の売買について、同じような姿勢で臨んだのではないかと想像している。おそらく、周囲の誰かに実務的な細かいことは任せて、事を済ませた。

石原がこの取引により、如何なる利益、便益を得たのかは不明だが、自分の手を汚さないで、他人任せにして押し付けるこの男らしいやり口だと思う。

いや、石原だけではない。清廉潔白を売り物にしているような政治家にはよくあることだ。それを見抜くのは至難の業なのかもしれないが、見抜けなかったことへの最終責任は、やはり有権者に帰する。この先、どれだけの税金が浪費されるのか、考えるだけでウンザリする。

もしかしたら、知っていながら報じなかった、あるいは知ろうとする努力を怠った新聞、TVの責任は重いと思います。

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金正男の暗殺死に思うこと

2017-02-23 14:13:00 | 社会・政治・一般

マレーシアの空港で起きた金正男の暗殺事件であるが、実のところ権力者による兄殺しは、そう珍しいものではない。

有名なところでは、唐の太宗皇帝(李世民)がいる。父(李淵、後の高祖)を助けて唐王朝を打ち立て、皇太子たる兄の李建成を倒して帝位についた。事実上の唐の建国者であり、貞観の治といわれる政治を行い、歴史に名を残している。

小中華といってよい北の金正恩が、治世者として優秀かどうかはともかく、独裁者としての資質は、兄よりも上であったと思う。元々、二代目の金正日は、容姿が自分に似た正男を後継者にと、当初考えていたようだ。

しかし、この三代目候補はあまりにお人よしであった。猜疑心が強く、独裁者として孤高の統治者であることを貫き通した正日と異なり、正男には御坊ちゃん育ちの人の良さが表に出過ぎた。

異母弟である正恩は、その点父の猜疑心の強さ、独善ぶり、警戒心の強さを見事に受け継いでいた。だからこそ、正日は次男である正恩を新たに後継者として選んだ。率直に言って、その選択は正しいと思う。

父親(正日)が生存中は、海外に居ても金に困ることなく、呑気に自由を満喫できた。しかし、弟が三代目になると、送金は止まり、生活が苦しくなったが、さりとて冷酷な弟の待つ祖国に帰る気はない。

弟からすれば、兄を担がれて亡命政権なんぞ作られたら迷惑で仕方ない。独裁者としての当然の選択が兄の暗殺である。こんなことは、人類の歴史の普遍的なことに過ぎず、むしろ兄が暢気すぎる。

暗殺された兄は気の毒だが、正直あまり同情する気になれない。海外生活が長く、個人の人権が尊重される西側社会に馴染み過ぎたと思う。彼の祖国は中世以来の変らぬ価値観を持った金王朝であることを忘れていたとしか言いようがない。

この暗殺事件で、北朝鮮の将来を危惧するかのような報道を目にするが、私はむしろ逆で、これで金王朝は当分続くと考えている。少なくても、独裁者の行動としては正しい。

もし北京政府が、兄である金正男を傀儡に亡命政権を支援でもしたら、それこそ金王朝の危機となる。その危険の芽を排除した訳だ。三代目の正恩は、猜疑心の強い父親の性格を見事に引き継いでいる。

国際社会から、どう思われようと、自分の権力を維持するために何でもする独裁者。それが現行の北朝鮮であり、いくら口先で交渉しようと無駄であることが立証されたとも云える。

冷酷な国際政治の世界に対峙するに、必要なのは無意味な笑顔の握手ではなく、酷薄で強力な武力であることが良く分かる事件であったと思います。

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サバイバルファミリー

2017-02-22 17:01:00 | 映画

便利な生活は、心を弱くする。

特に現代社会は、電気というエネルギーに頼り切りである。その電気がある日、突然訳も分からずに使えなくなったら・・・

そんな危機的状況をコメディーの題材にしたのが表題の映画。

正直言えば、突っ込みどころ満載であるのだが、この映画はその辺りの疑問は棚上げしたほうが良い。そもそも、その危機的状況を告発した映画じゃない。そんな状況下にあって、普通の家族がどのような対応をするかを笑っちゃう映画なのだ。

実際、公開二日目に映画館に足を運んだのですが、ほぼ満席であり、上映中も笑いが絶えないコメディー映画でした。山登りをやっていた私からすると、細かいところで突っ込みどころ満載ですし、電力を使えなくなった世界の描写も甘すぎるとは思ったのですが、そこを主題にした映画じゃない。

この映画、危機的状況で笑ってしまうコメディ映画として楽しむのが正解だと思います。私は十分楽しめましたよ。

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