苦しい一年であった。
それが今年の率直な印象です。当初の予想では、事務所の売上は前年比で4%はプラスのつもりだったのです。ところが結果的には、前年比で15%を超える減収となりました。
原因は銀行。メインのクライアントに対して某銀行の若手がやってきて個人年金の売り込みにやってきたのは年初の頃でした。70過ぎの社長さんに95歳から年金が支給されるという馬鹿げたもので、しかも利回りも良くない。
私はその場で、その保険契約の問題点を次々と指摘すると、最後は顔を真っ赤にして涙を浮かべて退散していきました。どうも、これが発端のようで、私に個人的な恨みを抱いたその銀行員は、なにやら画策していたようでした。
そして、三か月後、そのクライアントから顧問契約解除の通知。関連する子会社も含めると結構な減収となりました。どうやら、うちよりも安い顧問料の税理士を銀行が紹介した模様。画策した内容も後に判明したのですが、えげつないものです。守秘義務があるので書きませんけど、プライドの高いエリート(らしい)の面子を潰すと、後が怖いと痛感しました。
もう一件は、私が数年前から関与していた某資産家の大型相続事案。既に準備したあったのですが、これも某信託銀行に横取りされました。どうもTVのCMを真に受けた相続人がいたようで、腹が立つよりも呆れてしまったものです。
自由業の怖さを痛感した一年でした。おかげで営業に駆け回り、経費削減を重ね、それでも未払が出るキツイ一年でした。アベノミクスは、大企業と投資家と資産家にしかメリットがない事を、吾が身を持って知った訳です。
そのせいかもしれませんが、内心の苛立ちを紛らわす為の読書が多かったかもしれません。その典型が、「幾山河 瀬島龍三」に関する合計8回に及ぶ記事だったと思います。私の瀬島嫌いは筋金入りであり、批判的な本は何冊も読んでましたが、当人の書を読むのは初めてでした。
頭の良い人だと思いますが、これほど不誠実さを感じさせる書は、極めて稀でした。小田実や大江健三郎でさえ、これほど不誠実ではなかったと思うと、非常に珍しい本であったと思います。
なお、今年一番夢中になれたのは、ドン・ウィンズロウの「犬の力」でした。アメリカにおける麻薬戦争のどす黒い奥深さを、これほど感じ取れる本は稀だと思います。最近続編が刊行されたようなので楽しみです。一方、このブログのテーマでもある再読本は、ロバート・マキャモンの「アッシャー家の弔鐘」です。多分、四回目の再読だと思いますが、やはり名作です。ラストの疾走感は、目がくらむような錯覚に陥るほど。
さて、漫画に移りますと、どうしても外せないのが松井優征「暗殺教室」の完結でしょうか。ジャンプの悪癖である、ダラダラと再連載をやらず、見事に完結したことに敬意を表したいです。次点で武田一義の「ペリリュー 楽園のゲルニカ」と大月悠祐子の「ど根性ガエルのむすめ」を挙げたいと思います。どちらも優しげな絵柄ですが、内容は激しく苛烈です。
今年の映画となると、これは迷います。「シン・ゴジラ」と「君の名は」の両作品は、どちらも極めて印象的な名作であり、今年を代表する大ヒット作品でした。私はどちらも気に入りましたが、元々怪獣好きのバイアスがあること、そしてそれほどアニメ好きではなく、またboys meet girlsものはあまり好まないのに、私に好印象を与えた後者をトップに挙げたいと思います。
ただ、この二作がなければ「ズートピア」を挙げたいと思っていました。人種のモザイクが沸騰しつつあるアメリカにおける、ある種のユートピアに対する絶望が感じ取れ、それでも希望を失わない逞しさに感銘を受けました。
さて、後数時間で今年も終わります。皆様、良いお年をどうぞ。
これで一応完結らしい。
正直、あまり信用していないが、この作品に関する限りは、相応に完結している。日本のコンピューターゲームであるバイオハザードの映画化として始まった、このシリーズもこれで一応の終結をみたことになる。
私はホラー映画も、ホラー小説も好きなのだが、ホラーゲームは好きではない。アクションゲームが苦手なせいもあるが、あの暗い画面が好きではない。もっともゲームセンターによく置いてある、あの銃でゾンビを蹴散らす奴は、偶にやることもある。あれは爽快で気分いい。
たしかプレイステーションだったと思うが、家庭用ゲーム機で遊ぶバイオハザードは、どうもチマチマしていけない。どうせなら、派手なほうがいい。
だから、映画化されたバイオハザードは、けっこう楽しめた。ただ、シリーズが進むにつれて、醜悪でおぞましいゾンビよりも、人間のほうが恐ろしげに思えてきた。特にアンブレラ社の幹部たちの冷酷さは、ゾンビよりも厭らしい。
その結果、当然のように表題の映画では、ゾンビは悪役の添え物に落ちぶれ、アンブレラ社の幹部こそが真の悪役として、アリスの前に立ち塞がる。シナリオの流れからすれば、必然的ではあるが、ホラー映画というよりもアクション映画の匂いが濃厚な作品となっている。
映画そのものに不満は、あまりないのだが、映画館を出た後の印象は正直薄い。年末年始の映画としては、「ローグ・ワン」の方が良いと思う。でも、シリーズものの最終話として破綻はしていないので、観ても損はない。
実は一番、インパクトがあったのは、老齢に達したらこうなるのかと驚いた、ミラ女史の老け顔メイク。これは一見の価値ありでした。ちょい、ネタばれ、ごめんなさいね。
一皮剥けたとしか言いようがない。
「職業・殺し屋」というかなりグロテスクな怪作でヒットを飛ばした西川秀明である。まさか現在大ヒットしている「三月のライオン」に登場する会長の若き日を描いた外伝(スピンアウトと称されてはいるが)を、あの西川が描くとは思わなかった。
白状すると、当初は人選ミスではないかと思っていた。なにせ「三月のライオン」は、あの蜂クロの羽海野チカである。彼女の絵柄と、西川の絵柄では画風が違い過ぎる。
しかしながら、週刊ヤング・アニマル誌の編集部の眼は確かであった。異常な殺人嗜好者ばかり描いていた西川が描き出す、将棋に憑かれた男たちと、その周囲に居る女性たちを、西川は優しく激しく描いてみせた。
敗戦の焦土から立ち上がりつつある日本を背景に、ただひたすらに、一途に将棋を指す男たちの熱い姿は雄々しく、そんな粗暴な男たちを優しく包み込む女性たちは逞しい。
なかでも敵役として登場する棋士たちの凄まじき執念は、優しい絵柄の羽海野よりも、下劣に激しい西川のほうが向いているとしか言いようがない。
もし「三月のライオン」が気に入っているのなら、是非とも読むべき作品だと思います。
長く続いた瀬島龍三伝も、今回が最後です。
昭和の参謀との異名を持つ瀬島龍三ですが、私の印象を一言で云えば「怪物」です。安全な場所から、責任を問われることなく、多くの人、物資を動かして時代を動かして、生き延びてきた。
座談の名手であり、仲介者(フィクサー)として稀有な才幹を持ち、周囲の人々を惹きつける魅力の持ち主。そして、あれだけ多くの実績を持ちながら、金や財産に固執することはなく、一家庭人としての立場を忘れず、生涯を全うした人物でしょう。
でも、それは瀬島の一面に過ぎない。今回、彼が自ら筆を執った回想録を読んでみて分かったのは、彼が書かなかったことを無視しては、決して瀬島龍三は理解できない。
幼少期から少年時代におけるエピソードの薄っぺらさ。小柄で運動の苦手な瀬島少年は、この時期に何を経験したのか。鉄拳制裁が日常茶飯事の陸軍幼年学校において、彼は何を経験し、何に苦しみ、何を求めたのか。
彼の原隊である富山連隊において、青年将校である瀬島は、なにに失敗し、なにを浮黷スのか。東京に行き、陸軍士官学校に通う青年は、そこで何に劣等感を抱き、何に憧れ、何を求めたのか。
表題の自伝では、彼の人格形成におけるマイナスの経験が、ほとんど記述されていない。私はこれほど不誠実な自伝を読むのは初めてだ。それは陸軍の青年参謀としての記述にも、同様な傾向がみられる。
最後に、瀬島を嫌ったとされる田中清玄の自伝におけるエピソードを紹介したい。
田中清玄が入江相政侍従長から直接聞いた話として、昭和天皇の以下の発言を載せている。曰く、「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」
表題の自伝では、まるで逆の瀬島評を昭和天皇が語ったかのように記述されている。いったい、どちらが正しいのか?
また伊藤忠商事で活躍した時期、右翼の児玉などとの交流も、自伝では一切記述されていない。それどころか、田中角栄も割愛されている。瀬島が関わったとされる疑惑事件なんて、まるでなかったかのように回想は書かれている。
いったい、瀬島龍三の面の皮は、どれほど分厚いのであろうか。
瀬島龍三は、間違いなく紳士である。暴力沙汰とは無縁であり、到底裏社会の人間とつながりがあったとは思えない。しかし、自伝には書かれなくても、彼が裏社会とのかかわりをもっていたのは事実である。
また、この自伝に限らないが、彼は他人の悪口、悪評などを書かない。感心するほどに、他者へ評は美辞麗句で終わり、恨みとか妬みのようなマイナスの感情を、その文章から読み取るのは不可能に近い。
にもかかわらず彼を嫌う者は少なくなく、瀬島の悪評は数限りなくある。それぞれ、相応の理由があると思われるが、瀬島は滅多に反論することなく、無視することが多い。今回の自伝では、その数少ない反論が記載されている。これは非常に貴重な情報だと思った。やはり、気にしていたのだろう。
私は人物の評価を、その人が何を言ったか、書いたかではなく、何をしたのかで評価するように心がけている。その観点からすると、瀬島龍三は陸軍の参謀として奮闘はしたが、敗戦に終わったわけで、到底名参謀とはいえない。また、なによりも、その無責任ぶりは、心底軽蔑に値する。
彼の同期の参謀たちが、敗戦前後に自害している。自害だけが反省だとは思わないが、その壮絶な最後には、いささかの敬意が生まれる。一方瀬島は、ヌケヌケと彼らの瀬島宛への遺書を公開しているが、当人はそれに倣う気など毛等もなかった。
ただ、心の奥底で少しは気にしていたようだ。それが戦没者慰霊会などへの協力として表れているようだが、それで許してやるほど私は寛容ではない。
また戦後の伊藤忠時代にしたところで、功績はあったが、マイナスの功績も根深く、それはバブル崩壊期に噴出するが、瀬島一人のせいだとはいえないのも事実だ。ただ、せっかくの回顧録なのだから、そのマイナス面も書いてこそ、後世の役に立つと思うが、失敗を認めない瀬島の気性からして無理であったようだ。
常に強い者へ寄り添い、その陰で暗躍することで生き延びた瀬島龍三は、良くも悪くも怪物的参謀であったと思います。8回にわたる、執拗な瀬島評にお付き合いいただき、ありがとうございました。
なお、記事を書く上での参考文献のうち、主なものを上げておきます。「沈黙のファイル」共同通信社取材班、「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康、「対日工作の回想」イワン・コワレンコ。
一年余りの静養期間を過ごした瀬島龍三は、誘われていた自衛隊ではなく、コネで関西の繊維大手商社である伊藤忠に就職した。
伊藤忠商事が、その後大きくなり、国際的な大商社へと育ったのは確かである。瀬島本人も、安宅産業合併や、いすずとGMの合弁事業などを成功に導いたと、自伝に淡々と記述していることは嘘ではあるまい。
また、事務部門が前近代的であった伊藤忠商事に、陸軍方式の書類整理を叩き込み、組織を整備した功績も確かだと思う。もっとも官僚的過ぎるとの非難もあったが、組織が大きく成長する過程で、お座なりにされがちの事務部門を整備した功績は、十分評価に値すると思う。
ただ、私が一番知りたいと思っていたことは、まったく書いていない。
伊藤忠商事が戦後、急成長した原動力は、賠償金ビジネスに関与したからであることは、知る人ぞ知る事実だ。瀬島龍三こそ、この賠償金ビジネスの影のフィクサーであった。
瀬島龍三という人は、嘘もつくが、大事なことは決して口外しない。秘密を守ることは、ある意味美徳である。特にこの賠償金ビジネスとは裏金、贈賄、裏契約など秘密の塊であることから、バラすわけにはいかないことは分かる。
しかしながら、表題の自伝では、まったく触れていない。だから、この自伝だけを読むと、何故に瀬島が出世を重ねて常務にまでいきながら代表取締役、つまり社長にはならず、その後いきなり代表権のない会長の席に着いたことに違和感を感じることになる。
この辺りの事情は推測にならざるを得ないが、根幹には瀬島が参謀型であったことが大きな原因だと考えられる。瀬島が仕えた越後社長は、瀬島のような参謀を使うタイプであったが、その後を受けた戸崎社長は参謀を必要としないタイプであった。
越後社長の下での瀬島は、その満州人脈と、陸軍人脈を用いて日本政府が東南アジア各国に支払った賠償金についてフィクサー的な役割を果たし、伊藤忠商事の業績拡大に大いに寄与した。
しかし、その見返りとして、政界の暗部と深く付き合うようになり、必然的に伊藤忠の経営にも暗い影を投げかけた。清濁併せのむ越後社長は、それを承知で会社を大きくしたが、戸崎社長はそれを必ずしも良しとはしなかった。
とはいえ、伊藤忠の暗部を熟知する瀬島を追い払うことは出来なかった。だからこそ、実権なき会長の席を用意して、瀬島の口を封じた。そんなところではないかと、私は推測している。
ところが、ここから瀬島は再び復活する。その契機が財界入りである。経団連のメンバーとなり、やがて行政改革である臨調のメンバー入りを果たす。ここで、中坊弁護士の下で、自民党、財界、霞が関の官僚たちとの仲介役を務め、再び参謀役として辣腕を奮う。
責任はなくても、権力の一端として活躍できる臨調の椅子の座は、瀬島にとって快適であったようで、その後も政府の周辺にあって、様々な調査会などに入り込み、ご意見番として独特な存在感を放つことになる。
特に中曽根元総理との親密な関係は有名で、懐刀として暗躍したことは良く知られている。反面、あまり知られていないがの、右翼の大物である児玉誉士夫との関係である。これは海軍の参謀であった源田実の仲介から始まったようだが、インドネシアへの賠償金がらみ、韓国へのODAなどにおけるトラブルの裏処理が児玉の役割であり、その仲介役が瀬島であったようなのだ。
当然ながら、表題の自伝では、一切触れていないが、瀬島龍三という人物を評価する際には、欠くべからずの要素だと思う。妙な話だが、この自伝に書かれていないことこそ、瀬島龍三の実像をあぶりだしているように思えてならない。
だからこそ、瀬島の人物像を描き出すのは難しいのだと痛感するのです。(次回が最後です)