手ぶらで会える訳がない。
同時に、多少お金を包めば直に政治家に会える政治家主催のパーティーはありがたい。
政治家の力を侮ってはいけません。馬鹿タレント出身であろうと、単なるお飾りであろうと数は力です。票を集めた結果を出した政治家様には、霞が関のエリート官僚でさえ内心はいざ知らず敬意を払うもの。
なんといっても議会での予算、法案成立は与党国会議員の一人一人の票こそがものをいう。だからこそ、政治家に直接会ってこちらの意向を伝えることが重要なのです。しかし、議員は忙しいので、なかなか個別には会ってもらえない。
だからこそ政治資金集めのためのパーティーに金を投じて、目当ての政治家にアピールする。そして、その実績を背景に個別での面談を求めてこちらの意向を伝える。すると、政治家も無下に断ることはしてこない。
実際、政治家を動かして法令の改正や、行政の運用に変化を加えることは民主主義の王道である。少しでも早く、また真剣に応じてもらうためにも政治献金は必要不可欠だ。
この当たり前のことが分からない人がけっこう居る。社会の木鐸を旗頭に、厚かましく取材と称して政治家にまとわりつくマスコミがその典型だ。また口先だけの正論が有権者に評価してもらえず、政治活動資金に汲々としている野党政治家も分かっていない。自分は正しいのだから、その正しさを主張するのに政治献金は不要だと思っているらしい。
もっと言えば、日本人には政治家は清廉潔白であるべきだとの錯覚がある。はい、間違いなく錯覚です。霞を食って生きていける仙人様と勘違いしている。
どんなに取り繕うと、政治家とは権力者であり、権力には富と力が必然的に集まるものです。歴史を振り返ってみることです。日々の生活に四苦八苦している名政治家がいましたか?自分の生活でさえ潤せない政治家に、国民を幸せにすることができますか?
特に民主主義は欲望の正当化という性格を持ちます。最も多くの人が望む欲望を実現することこそが民主主義の要です。云わば欲望の実現の代理人が政治家なのです。お金に疎い人に務まる仕事ではありません。
実際、理想の政治を掲げた民主党政権時代、彼らは自分たちが長年望んでいた政治を実現するためにこそ奮闘しましたが、有権者が望んだ政治には関心を寄せませんでした。だからこそ民主党政権は悪夢の時代として記憶に残っています。
現在、ここ近年与党政権を牛耳ってきた安倍派に対する攻撃材料として、政治家のパーティ収入と、そのキックバックがやり玉に挙がっています。あれは、明らかに政治資金規正法に反するものだから批難されて当然です。
しかし、政治にお金は必要だし、バラック小屋に住んでいる清廉な政治家なんて信用できません。仙人を求めている訳ではなく、現実に官僚と議会を動かせる政治家こそ求めているのです。確かに金儲けに囚われている欲深き政治家も実在すると思います。それを規制することは必要なこと。
なにごともほどほどが一番。私としては政治家に会える機会があるのなら、主に税制面で言いたいことは数多ある。しかし、手ぶらで会いに行くほど厚顔無恥にはなれません。だから合法的な政治献金はありがたい。
実際には税理士政治連盟に参加して、寄付などの形で税制面での要望を主要な政治家に伝える程度ですが、なにもせずに口先だけで政治批判をしても意味はないと考えています。
ただし、人は欲望に負けやすい。政治献金を私的に流用する政治家は与野党問わず必ずいるでしょう。政治資金規正法に則った収支報告書に記載のない献金(今回のキックバックを含む)は政治家個人の所得として課税すればよい。そうなると追徴税額が所得税、住民税、社会保険等に響くので、政治家は嫌がるでしょうけど本来はそうすべきものだと思いますよ。