ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

マスコミの専横

2009-10-30 12:09:00 | 社会・政治・一般
私は今でも新聞を毎朝必ず読む。

主に読むのは産経、朝日、日経だが、場合によっては読売だって毎日だって読む。さすがにスポーツ新聞はたまにしか読まないが、待合室などに置いてあれば喜んで手にとって読む。

もっともヘッドラインしか読まないことが多く、関心が湧いた場合だけ全文を読むことにしている。そうしないと、とてもじゃないが時間が足りない。

ただ、近年は新聞記事に対する信頼度は、大きく減じている。複数の紙面を比較していると、あまりに横並び記事が多く、それが却って不審を喚起せざるえない。

これは情報元が同じであり、裏づけもろくにしないで報道しているので、似たような文面になるのは分る。私はこれを「垂れ流し報道」と揶揄しているが、それだけではないらしい。

先日、税政連(税理士政治連盟)主催の講演があり、そこに呼ばれたのが政治評論家として著名な森田実氏だった。

その講演の席で、森田氏ははっきりと言明した。現在、新聞各紙は鳩山政権を支えるため、一致して報道をしていると。うっすらとは感じていたが、ここまではっきりと明言されたのを初めて耳にした。

具体的に言えば、鳩山氏の政治資金問題である。新聞各紙は一致して、この政治献金の問題を、「これは贈収賄ではないので、それほど大騒ぎする問題ではない」との方針で報じていると、森田氏は断言する。

しかし、森田氏に言わせれば、これは政治資金規制法違反の問題であり、過去の違反者はみな議員辞職している、と。それなのに新聞各紙は、この問題を軽視させる方向で紙面作りをしている。これでいいのかと疑問を呈する。

何故にこのような報道をするのかといえば、過去の失敗を繰り返したくないからだそうだ。

すなわち、戦後初めての非自民政権であった細川内閣は、わずか10ヶ月あまりの短命内閣であり、羽田政権と合わせても一年もたずに自民党へ政権を奪われてしまった。これでは日本は変らない。

政権交代こそ、日本を変える契機であり、そのためにも今回の鳩山政権は長続きさせる必要があると、マスコミ各社は一致している。だからこそ、鳩山のスキャンダルは、極力抑えて報道する必要があるとの想いで、新聞やTV報道を各社一致させているらしい。

つまるところ、マスコミ様におかれましては、日本を変えるキャスティング・ボードを担う重責を果たしていらっしゃるらしい。だからこそ、事実を歪め、報じるべきを報じず、といった情報操作を頑張っていらっしゃるらしい。

ご苦労様でございますよ。

で、あんたら何様?

民主主義を標榜する国家にとって、健全なマスメディアの報道は極めて重要だ。その情報をもって有権者が判断することを思えば、適切な情報あってこその民主主義なのだ。

民意を操作して、特定の政治情勢を創作しようとするマスメディアの態度は、必ずや天に唾する行為として跳ね返ると思う。まあ、幸いにして鳩山の政治資金問題を追求する姿勢だけはもっているようなので、今しばらくは騒ぐと思うが、おそらくは退任までは求めないのだろうなぁ。
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渋谷の猿は何処へ

2009-10-29 12:18:00 | 日記
かつて渋谷にサルが居た。

いくら言っても信じてもらえないが、本当にいたんだ。場所は井の頭線渋谷駅の道玄坂側の改札だ。頭上に井の頭線のホームがある改札口の前の三角広場に、鎖につながれてサルがいた。

まだ私が小学校に入る前後だと思う。たいがいが、お墓参りの帰りだった。浅草から銀座線で渋谷に出て、東急百貨店本店あたりを散策して、おじいちゃんの家に行く時には、渋谷駅の道玄坂改札から井の頭線に乗る。

その時に、渋谷のサルを見るのを私は楽しみにしていた。人が近づけないよう柵があったが、柵のなかに作られた棒の上に、そのサルはいつも居た。上から人間どもを見下ろしていたのが、なんとも生意気で気になる存在であった。

おそらくは昭和40年代前半だと思う。いつのまにか居なくなっていたので、短期間であったのかもしれない。両親の離婚に伴い、私たち家族が世田谷に越してからはいなかったと思う。

ところが、この話なかなか信じてもらえない。いまだかつて、このサルのことを覚えている人に会ったことがない。

私の記憶はけっこう偏っていて、関心がないことはまったく覚えない。しかし、関心が強かったことなら、かなり詳細に覚えている。この点はかなり自信がある。だからこそ、このサルを覚えているわけだ。でも渋谷のサルに関しては、誰も覚えてないんだよな~

誰か覚えている方、いません?
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プロレスってさ ウィリアム・ルスカ

2009-10-28 12:15:00 | スポーツ
プロレス大好きだった私だが、プロレスを最強の格闘技だと思ったことはない。

いや、正確には子供の頃はプロレス最強~~~!!!と思っていた。しかし、思春期に入り、素人ながらもそれなりに格闘技の実態に触れるようになると、自然とプロレスに作り(演技)があることが分るようになった。

なにせ、わざわざ一番筋肉の分厚い部分を殴り合っているのだから、見た目は派手でも威力は薄い。これは格闘技ではない。格闘技に似せた演技なのだ。

別に演技でも構わない。演技が下手なのは御免だが、素人の我々を沸かすような演技ならば大歓迎だ。プロレスは嘘だからツマラナイという人がいるが、それは見方が浅いと思う。

真剣な格闘技は、観て楽しいものではない。オリンピックでも国体でもいいが、柔道の試合を観てみれば分る。選手たちは皆、真剣に戦っている。だが、それは観ていて楽しいものではない。技術が高度すぎて分らないのも確かだが、それ以上に負けない戦い方をしているので、観ていて面白いはずがない。

その点、プロレスはいい。観客を興奮させることを目的としている。だから格闘技の素人にも分りやすい、迫力ある演技を見せてくれる。だからこそ楽しかった。

別にプロレスが最強の格闘技である必要はなかった。演技だと分ってもプロレスは楽しいし、凄い。本当に凄いぞ。嘘だと思うのなら、高さ2メートルのポールの上から、ジャンプしてマットの上に横たわる相手の上に落ちてみろ。

特に膝から落とすニードロップなんて、怖くて出来ない。万が一、膝をよじったら大怪我だ。その技を受ける方だってたいへんだ。もの凄い衝撃を身体で受け止めるのだ。

だからこそ、プロレスラーはもの凄い筋肉を付けると同時に、脂肪をまとわせて受身に強い身体を作る。この衝撃緩衝材としての脂肪は硬い。ただのデブではない。これを更に極端にすると、相撲取りの身体になる。殴っても、蹴られても平気な、恐ろしく頑丈な身体となる。

それでもプロレスは格闘技ではないし、武道とは程遠い。だから案外と異種格闘技戦などでは弱い。これは相手を怪我さすような技を忌避する習慣がついている上に、相手の攻撃を受け止める習慣からして無理ないと思う。

だからこそ、私はプロレスを最強だとは考えていない。それでも稀に,こいつもの凄く強いかも・・・と思える奴もいる。それがオランダの柔道のオリンピック・金メダリストでもあるウィリアム・ルスカだ。

猪木と異種格闘技戦を戦い、見事に猪木のバックドロップに散ったあのルスカだ。

私がルスカの強さに気がついたのは、新宿西口の京王ホテル近くの路上においてだった。当時、新日本プロレスは外人レスラーの宿泊先に新宿の京王ホテルを常用していた。私は生のプロレスラーが観たくって、時折足を運んでいたのだ。

男性なら分ると思うが、男って奴はグループを作ると、自然と一番強い奴が透けて見えてくることがある。それはトラブルの時の視線の行き先などから、察することが出来る。

ひと目でプロレスラーだと分る巨体の男たちの集団のなかで目だっていたのは、当時人気絶頂だったスタン・ハンセンだった。私も彼が観たくて、わざわざ新宿まで行ったぐらいだ。

あれは西口の飲み屋街の付近だった。酒で酔っ払った一人のメキシコ人のレスラーが騒ぎ出した。なにやら看板を振り回しているのが見えた。こんな時は外人世話係りだった坂口あたりがすっ飛んでくるので、一波乱を期待して私も事態を見守っていた。

するとルスカがその酔っ払ったメキシカンを、あっという間に袋叩きにしてしまった。殴りつけ、壁に叩きつけ、馬乗りになってボッコボコ。

私が驚いたのは、その間ほかのレスラーたちは黙って傍観していたことだ。ルスカより一回りは大きい巨漢のハンセンすら黙って見ているばかり。誰も止めたりせず、むしろ巻き添えにならないよう警戒している有様だった。

どうみても、そのグループのなかではルスカが一番強いように見られた。事実、ルスカが立ち上がると、血だらけのメキシカンよりも、ルスカに対して他のレスラーが気遣っているようだった。

そうこうしているうちに、ミスター高橋(レフリーであり外人世話係りでもある)と藤原が若手を連れて現われ、事態を収拾してしまった。新日の用心棒と言われた藤原でさえ、ルスカには丁重に接しているように見えて仕方なかった。

後年、引退したレスラーたちの手記などからも、ルスカの驚異的な喧嘩の強さを書かれたものを何度か目にしている。まあ、柔道のメダリストなのだから当然かもしれないが、巨漢で喧嘩好きのプロレスラーの集団にあっても、突出した喧嘩屋であったルスカは、最強の格闘家の一人だったと私は確信している。
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星守る犬 村上たかし

2009-10-27 12:13:00 | 
泣いてたまるか

私はひねくれている。つくづく、ひねくれている。素直になることが苦手だ。だからこそ素直な瞳に弱い。

弱いと分っているからこそ警戒する。ところが奴らときたら、素直に無邪気に飛び込んでくる。力いっぱい尻尾を振りながら、全力で飛び込んでくる。

おいこら、メガネの上から舐めるんじゃない。曇って見えないじゃないか。こらこら、くすぐったいよ。そんなところの臭いまで嗅ぐんじゃない、恥ずかしいじゃないか。

気がつくと、その毛むくじゃらの身体を抱きしめて、優しく撫でている自分がいる。困ったものだ。

その無邪気なまでの信頼には抵抗できない。そんなに素直に頼られたら、こちらも誠意を持って対応せざるえない。

だからこそ、今は犬を飼うことが出来ない。仕事に追われ、満足に散歩さえ付き合ってやれない今の自分では、犬を飼う資格はないと思う。

でも、いつかは再び犬を飼いたいと願っている。夢をみるのが嫌いな私の、多分唯一自認している夢が犬を飼うことだ。

それゆえに、この漫画には泣けない。泣いちゃイケナイ。泣きたくない。

この漫画を読んで泣くのは構わないのですが、こんな風に犬を哀しませちゃイケマセン。
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葬儀屋の未亡人 フィリップ・マーゴリン

2009-10-26 12:57:00 | 
どんでん返しのマーゴリンお得意の法廷サスペンスだ。

今回も最後の最後で、どんでん返しをかましてくれる。伏線がいくつも引かれているので、マーゴリン馴れしている読者ならば、けっこう気がつくかもしれない。

マーゴリンのイリーガル・ミステリーも本作品で6冊目であり、すべてを読んでいる私としては、今回のどんでん返しは或る程度予測のつくものであった。

やっぱり推理というか、予測が当たるのは嬉しい。でも嬉しいが、少し物足りなく思うあたりが、ミステリー・ファンの難儀なところだ。

マーゴリンの魅力は、なんといっても読者の予想を裏切るそのどんでん返し度にあると思うので、その意味では物足りないと感じてしまうのだ。

ちなみにミステリーとしての完成は決して低くなく、グイグイと読者を引き込む文章の冴えは水準以上だと思う。実際、売れ行きは好調であったと記憶している。

ただ、あの名作「暗闇の囚人」や「黒い薔薇」あたりと比べると衝撃度に物足りなさを感じてしまう。あのどんでん返しは凄かった。あれほどの衝撃は、滅多にお目にかかれない。それだけに、殊更厳しく評価してしまう。

もし初めて読んだマーゴリンの作品が本作ならば、十二分に名作と評価するに違いない。最初にとんでもない美食を味わったが故に、普通の料理では物足りないと感じる贅沢な悩み。

こんな我が侭な読者を抱える小説家は大変だと思う。今も現役の弁護士として、しかも刑事訴訟専門として奮闘するマーゴリンには是非とも頑張って、更なる衝撃的作品を期待したいです。
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