ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ロストバケーション

2024-06-28 12:33:45 | 映画

絶望の淵にある時こそ真価が問われる。

平凡な人生を望んでいたのだが、それでもこれはヤバいと深刻に悩んだことがある。あれは大学4年の8月のことだ。たまたま出会った高校のWV部の後輩と飲んだ際、岩登りをしたいというので、当時私が練習によく登った奥多摩の岩場へ連れて行った。

夏休み中とはいえ平日であるため、誰もおらず自由にコースをとれたのはありがたかった。40メートルほどの簡単なルートを登攀し、昼食のお弁当を河原で食べて、さあもう少しランク高めのルートへ挑んだ時だ。

やはり2ピッチ、つまり40メートルほどのルートであり、1ピッチ目を慎重に登りテラスで一休み・・・のつもりであった。ところがセルフビレイのためのザイルをカラピナにつなげた直後のことだ。

ザイルがするするっと滑り落ちていくではないか。慌てて手を伸ばしたが間に合わず、そのまま一番下まで落下していく。呆然として相方の後輩を見ると、いつのまにやらザイルをハーネスから外していた。ザイルはけっこう重い。支点に結ばれていなければ自重で落ちていくのは必然だと気が付いた。

なんで?と問うと、私の真似をしたのだとのこと。私は彼がまだザイルを結んでいると思い込み、自分のハーネスからザイルを外して確保用のカラビナにつなげるつもりであった。まさか後輩が既にザイルを外しているなんて思いもよらなかった。

頭が真っ白になった。初心者の後輩のミスではない。私が確認しなかったのが悪い。テラスで呆然としながらも、今するべきは反省ではなく、ここから如何に脱出するかだと分かっていた。当時はまだ禁煙をしていなかったので、落ち着いてタバコを吸う。

こんな時、やっていはいけないのは精神的な動揺を表に出すことだ。パニックは伝染する。私が動揺したら、それは確実に後輩にも伝わり、余計に危険な状態に陥る。だからタバコを吸いながら落ち着いて考える。

まずザイルの確保なしで岸壁を降りるのは論外だ。岩登りは登るよりも降りる方がはるかに難しい。助けを呼べれば良いが、平日のこともあり周囲には誰もいない。沢筋の岩場であるため大声を上げても無駄だろう。

そうなると登るしかない。改めて装備を確認するが、補助用のザイルが一本、それも10メートル程度だ。これは使えない。その時私が選んだのは、私一人が確保なしで登り、稜線まで登って登山道から下ってザイルを回収する。そのザイルを使って懸垂下降して戻り、後輩を救助する。

自分なりにタイムスケジュールを書き出すと、日が暮れるまでになんとかなりそうだ。ただ2時間はかかる。私はそのことを後輩に説明し、補助ザイルで彼をテラスに確保する。水と食料を渡し、私が戻らなければ誰かが助けにくるまで決して動くなと命じる。

幸いにしてこの後輩、けっこう肝が太い。私を真剣に見つめて「信じてますから」とだけ返事してきた。

そこから先はあまり覚えていない。実は過去に練習で幾度となく登ったルートである。自信がなかった訳ではない。しかしザイルで確保されていない状態で登るのは初めてだ。望まずして行った初のフリーソロである。

とにかく必死だった。覚えているのは背中を焼く夏の午後の日差し。素手でつかむ岩の硬さと、自分の激しい息遣いだけだ。気が付いたら登り切っていた。多分時間にして10分とかかっていない。ただ、疲労感が凄まじく、しばし地面に倒れ込んでしまった。

ふと気が付くと後輩の声が聞こえる。起き上がり無事登り切ったと伝えて、もう少し待てと言って大急ぎで稜線沿いの登山道を下る。河原まで降りきると、ザイルが無造作に落ちてあった。そのザイルを背中に巻いて、再び稜線を駆けのぼる。もう太陽は傾きかけているから時間的余裕は少ない。

岩場の上に着くと、打ち込んであるボルトを支点に懸垂下降で後輩の待つテラスまで下る。後輩の目が少し涙ぐんでいたのは見間違いではないと思う。息を整え、身の回りをよくチェックしてから、まず後輩を懸垂下降で降ろす。

まだ安心はしない。事故が起こるのは得てして安堵のため息をついた直後だと知っているから。慎重にザイルをセットして、私も懸垂下降で河原まで降りる。降りた瞬間、凄まじい眠気に襲われたことはよく覚えている。

気が利く後輩が、コンロでお茶を沸かしてくれた。こんな時は冷たい飲み物よりも暖かい飲み物がありがたい。その後日暮れも近いので、河原沿いの林道へ上がり速足で駐車場まで行き、帰途に就く。さすがに運転する気力がなく、後輩に任せて私は一休み。途中の夕食のためのいつものファミレスに着くまで完全に熟睡してしまった。

夕食を食べながら後輩が「凄い冒険でした」と笑ってくれたのがありがたかった。だらしない先輩ですまなかったが、私の本音である。

ところで表題の映画は、サメ映画としては大ヒットした訳ではない。でも映画評論家あたりからは高評価だったから、覚えている方も多いと思う。サメの迫力は、他の作品にゆずるが、必死に、それでいて冷静に生き延びる方策を探る主人公が実に印象的だった。そして最後の場面で主人公がぐったりとする場面に妙に共感できる私です。

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税収好調

2024-06-27 09:14:21 | 経済・金融・税制

どうやら令和5年の日本政府の税収は70兆円を超えそうである。

コロナが終わり、外国人観光客が戻り、円安効果で輸出が好調なのだから不思議ではない。

私が不思議でならないのは、日ごろ財政赤字を声高に叫ぶ役人様や、その手先と化しているマスコミ様におかれましては、一向に減税の声が出てこないことだ。日ごと財務省の発表する財政赤字のニュースは大々的に報じる癖に、いざ税収が増えているにもかかわらず黙り込む。

私は何度も書いているけれどマスコミ様は報じたがらないので、嫌みったらしく再び書くぞ。

日本政府が膨大な財政赤字を抱えているのは事実だ。しかしその赤字の中身は国債が中心だ。国債は借金であり返済しなければならない。既に国債の返済は始まっており、日本政府の支出のうち4割近くがこの国債という借金の返済に充てられてる。だから財政危機だとの財務省の主張は嘘ではない。

嘘ではないが、真実から遠く離れている。

確かに日本政府の抱える借金は巨額だ。しかし、日本政府の有する資産、とりわけ金融資産もまた巨額である。アメリカの国債が中心だが、その保有により得られる利子収入も巨額であり、外貨準備高の裏付けとなっている。

総資産から負債を控除した純資産が、その企業や国家の財務的安定性を保証する。その視点からすると、日本政府の財政状態は赤字ではあるが、実は少額である。理由は簡単で膨大な借金だけでなく、巨額な対外資産を保有するからだ。

だから外資の格付け会社が日本の国債を評価してB+などとしているのも正直当てにならない。当てにならない理由の一つは、日本政府が有する資産が、評価の簡単な金融資産だけでなく土地などの評価が難しい資産が多く、そのために評価に変動が生じやすいからだ。

だが、断じて増税をしなければならないほどの財政赤字ではない。では、何故に財務省は財政赤字を声高に叫ぶのか。それは各省庁が自由に使える予算が年々制限されてしまうからだ。これは過去に発行した国債の償還(負債の返済)が年々増加するため必然的に各省庁で使える予算は減額されてしまう。

これが嫌で増税を繰り返しアピールし、記者クラブを通じて国民に周知させようとしている。たとえ税収が増えたとしても、将来も増え続ける保証はないので、断固増税を求めて止まない。本来廃止して然るべき石油取引税のトリガー条項を止めないのも、この流れのなかでは当然だと考える。

霞が関の官庁に対しても強気な姿勢を崩さなかった安倍政権と異なり、党内基盤がぜい弱な岸田政権はどうしても霞が関に媚を売らざるを得ない。だから税収が増えても増税路線を止められずにいる。ただ、さすがに増税眼鏡呼ばわりされるのは嫌らしく、言い訳みたいな小規模な減税(特別減税)を急遽採用して印象操作に必死である。

この定額減税についても言いたいことは数多あるが、長くなるので別稿で取り上げます。取り敢えず大声で言いたいのは日ごろ社会の木鐸だと偉ぶるマスコミ様の二枚舌ぶりですね。いい加減に官庁の広報誌に堕していると、読者から見放されると知れ。かつては税金の無駄遣いを社をあげて報じていた産経も、今じゃ大本営発表に異議を唱える気概を無くして久しい。

他の大マスコミ様に至っては、増税と生活費の値上げに苦しむ庶民の声を紙面の片隅に乗っけて誤魔化す卑屈さである。そんなに記者クラブから弾かれるのが怖いのか。年々収入が減少している大マスコミ様にあっては、もはやお役所に逆らう気力なんぞないのが本音だろうけど、それって自業自得ではないか。

せめて令和5年度の日本政府の歳入が増加している事実くらい堂々と報じろと言いたいですね。

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プロレスってさ 船木誠勝

2024-06-26 09:26:56 | スポーツ

真面目な人って突然切れるから怖い。

そんな生きた実例が新日本プロレス育ちで、のちのパンクラスや藤原組で活躍した船木誠勝だと思う。私が主に観ていたのは、1980年代中盤の新日本プロレスの前座の試合だった。野上らと組んでの試合はスピーディーでありながらパワーも感じさせる活気のある試合だった。

彼はバランスが良かった。鍛え上げた筋肉が不自然ではなく、動きも滑らかで、跳躍力もある。そして何よりも顔立ちが良かった。顔立ちの良さは善玉レスラーとして必須の項目であり、未来のエース候補だと思っていた。

ただ身長が180前半なので、ヘビー級としてはいささか物足りなさを感じたが、同じくらいの身長の藤波辰爾が成功しているので、彼の後継者として新日本プロレスはかなり期待していました。ただ彼は良くも悪くも真面目であった。

当時はUWF勢がプロレスに格闘技色を強く打ち出しており、そのことに強く影響を受けていた。新日の道場では、本気での技の決めっこが藤原や木戸、前田らが主導しており、坂口や長州ら格闘技出身者は煙たがっていた。

柔道やアマレスを徹底的にやりこんだ坂口らにすると、道場での本気の関節技の決め合いなんて今更やる気にはなれなかったのだろう。実際、柔道では国体に出場し国際試合の選抜選手の経験もある武藤は、当時若手ではあったが道場での本気の技の決め合いで一度も負けていないと事も無げに吐き捨てる。

数千人の柔道選手の中で揉まれてきた武藤からすると、たいしたことには思えなかったのだろう。しかし、格闘技の経験が浅い船木は違った。強くなりたくてプロレス入りしたのだから、練習しなければ強くなれないと藤原らに積極的に師事していた。アマレス歴のある山田(後のライガー)や鈴木も同様であった。

だからだと思うが、当時の新日の上野毛道場は殺伐としていた。小学生の頃から何度か見学にいっていた私でも、あの頃の危ない雰囲気には気が付いていた。特にスパークリングというか、関節技の決めっこが怖かった。

藤原や木戸などのベテランは淡々とやっていたが、若手になると半ば喧嘩腰である。それでも最後は互いに座って礼を交わす。それなら安心できたが、ごくまれにそうならない場合があったと思う。礼を交わすふりをしているが、明らかに目つきがおかしい。

有名なのは山田恵一が藤原にガチ切れして殴り掛かった事件だが、船木もけっこう怪しかった。いや、私が実際に視たなかでは、目つきの危なさは前田と船木が一番ヤバく感じた。ただし道場で切れた話は聞いたことがない。

思えば彼らは根は真面目というか、一心不乱に強くなることを願っていた。ただ前田は関西では有名な不良であったから、ある意味場慣れしていた。しかし、故郷の青森の中学校卒業後いきなりプロレス入りした船木は、不良ではない分、極端であったと思う。

船木はその後、イギリス遠征中にUWF入りを週刊プロレス誌で公言し、のちに藤原組そしてパンクラスと格闘技路線へ向かう。たしかその時にあるお笑い芸人に切れた事件があったと記憶している。詳細は知らないが、真面目が故に許せないことがあったのだろうと想像している。

そう、真面目な奴って案外と怖い。私は十代の頃、あまりに真面目過ぎる奴には警戒するようにしていた。ホント、突然ブチ切れるのだから困る。もう喧嘩をする年ではないからこそ、改めて思う。もう危ない奴には近づきたくないな、と。

ちなみにYOUーTubuで番組を持っているプロレスラーで私が面白いと思っているのがライガー(山田恵一)と船木誠勝です。特に船木は穏やかで理論的な話しぶりながら、時折激情を押し隠すような発言があり、やはり危ない人だったのだと納得しています。でも一番常識を感じさせる人でもあるのですから興味深いと思います。

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12月の扉 ディーンRクーンツ

2024-06-25 12:33:47 | 

馬鹿にせずに一度は読んで欲しいと思う作家の一人にディーン・R・クーンツがいる。

ホラー小説を娯楽作品として極めている作家だと思っている。どんなに恐ろしい怪物が登場しようと、あるいは凄まじく絶望的な状況下であろうと最後はハッピーエンドで終わる安心のホラー小説を提供してくれる。

キングやマキャモンと比べると、ホラーの深度は浅いかもしれない。でも、必ず読者を安心させて笑顔で最終頁を読み切れる。変に後を引きずるホラー作家が少なくない中、徹底して娯楽作品に徹するクーンツは凄いと思う。

ところが皮肉なことにハッピーエンドが分かっているが故に、クーンツの作品を過小評価されることが多い。とんでもない誤解というか、理解が斜め上過ぎる。陰惨なエンディングならば、ホラー小説としての面白いといえるのか。救いようのない絶望が待ち構えていることがホラー小説に求められているとでも言うのか。

クーンツは作家として読者を楽しませることに至上の価値観を置いている。芸術作品を書きたい訳でもなく、悲劇により人間の性を追求しようと志している訳でもない。徹底してエンターテインメントに徹してる。この凄さが分からないのは、むしろ偏見と自己中心的価値観に縛られているとさえ思う。

表題の作品で出てくるモンスターは、銃も効かず、祈りも通じず、仮借なき暴力で暴れまわる。どこにでも現れ、誰にも止められない。その正体は終盤に至り絶望と共に明らかにされる。それでも主人公は諦めず、事件解決に向けて紛争する。

彼の想いはただ一つ、助けたいだ。

こんな作品を書ける小説家はそうそう多くはない。クーンツを読んだことのない人は、是非とも一度は読んで欲しい。犬好きならば「ウォッチャーズ」、おぞましい怖さを堪能したいのならば「ウィスパーズ」がお薦めだ。

唯一困るのは、クーンツの映画化作品がそろいもそろってB級というよりもC級であることだ。だからこそ原作である小説を読んで欲しいと思うのです。

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少子化の怖さ

2024-06-24 09:14:53 | 社会・政治・一般

日本の軍隊は強いのかと問われると答えに窮する。

兵士の教育練度は高い。日本では各地方で自衛隊の募集拠点があり、各高校に生徒の斡旋を依頼している。ちなみにそれを妨害するのは平和ボケした左派活動家である。もっとも阪神淡路大震災や東日本大震災により、自衛隊が国民を守るために泥まみれで奮闘している姿を直に見た人たちから、劇的に評価が上がったのは確かだ。

なにせ世界最強の軍隊を有するアメリカ軍の最大の悩みは、基礎的な教育程度が低い兵士たちである。とりわけハイテク兵器の多くは、高度な知的訓練を前提にしている。だが多くの下級兵はそれに対応でしない。そこでPMC(民間軍事会社)を利用しているのは隠せぬ事実である。

もっとも日本でもあまり偏差値の高くない高校の卒業生が、最後の伝手で自衛隊を選ぶことも多く、その教育練度はさほど高くない。それでもアメリカよりはマシらしい。しかし一度訓練を受けた自衛隊の兵士の質は高く、アメリカ軍などは高く評価している。

近年アメリカが日本の軍隊との共同訓練を増やし、共同作戦に組み込む準備をしているのも決して故なき事ではない。これは十分警戒するべきことだと思うが、何故だか憲法9条信者たちは、あまり問題にしてこない。日本の若者たちが最前線に使われる可能性が高いというのに、護憲護憲って馬鹿じゃなかろうかと思う。

現在も少子化は進行中であり、特に都市部で著しい。子供が減って来れば、親はどうしたって子が軍隊に入るのを恐れる。特に一人っ子世帯が多い以上、命の危険のある軍隊(自衛隊)に子供を入れたいと願う親は少なくない。

それだけではない。子供の数が少ないと、必然的に子供同士の喧嘩が減ってくる。親も教師も喧嘩を避けさせる。結果的に喧嘩下手な子供が増えた。本当に喧嘩が上手な子供は、単に力任せに勝つばかりでなく、負けた相手を子分に仕立てる状況を作り出す。そうして手下を増やし、自分の立場を有利にもっていく。

ところが少子化が進み、子供同士の喧嘩が減ると、ケンカを上手に納められるガキ大将が減少した。単に粗暴なだけで、暴力への恐れだけで周囲を屈服させるだけの喧嘩下手な子供が増えた。この傾向は学年が上がっても変らない。

男子限定だが、腕っ節の強さだけで親分を気取れるのはせいぜい中学から高校までで、そのころから運動の秀でた者や勉学に優れた者が周囲から認められるようになる。私が子供の頃は、腕っ節の強いガキ大将タイプと勉学が出来るタイプは上手く棲み分けをして上手にやり繰りしていた。

ところが最近の子は、争うことは出来ても、争いを上手くまとめるのが凄く下手になっている。これだと集団としてのまとまりは保てない。手前みそだが、私が高校の時は勉学(だけ・・・)優秀な私と、運動に秀でたガキ大将兼いじめっ子(苦笑するしかない)のMとでグループをまとめ、クラス最大派閥を作って仕切っていた。もうやりたい放題である。

他にも派閥はあったが、私らの派閥が強かったのは、たいして勉強もスポーツも出来ない連中をも取り込んでいたからだ。数は力であり、多数決に逆らうのは難しい。政治とは力であり、民主主義においては数の横暴こそ最大の力だと思っていた。

しかし、今はどうだろう。何より子供の数が少なく、無理に学校に通わなくてよいと優しい虐待をする親が珍しくない。先生も学校という箱庭で、暴力なき理想郷を築き上げて満足している。困難な状況を生き抜く知恵を学べる環境は昔よりも悪化していると思う。

昔から争いは起こすよりも、納めるほうが難しいとされた。これは、いくら学校で優秀な成績を上げても身に付く能力ではない。子供時代の経験が大きくものをいう能力なのだ。だからこそ、優秀な成績で防衛省や外務省に入ったエリートさんたちは、昔に比べて争いごとを納めるのが下手になっているように思えてならない。

いくら末端の兵士が優秀でも、それを率いる将官クラスの人間がケンカ下手だと、本当の意味で強い軍隊は作れないと思うのです。

なお最後に一言。日本政府は正面装備(戦闘機、イージス艦、軽空母)ばかりに金をかけず、自衛隊の福利厚生施設に資金を投じろ。あんなボロ屋に兵隊住ませて、貧相な生活を強要するんじゃない。ますます人員不足になるぞ。

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