ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

塩爺の置き土産

2008-01-31 12:14:24 | 経済・金融・税制
長く財務大臣を務めた塩川正十郎は、その在任中ちょっと変わった税制改正をやっている。

あれは平成13年、アメリカでアルカイーダによるテロが行われ、世界同時株安が吹き荒れた年だった。日本でも東証の平均株価が9千円を割り込んだ年でもある。いまだバブル崩壊の余波が深く残る日本経済にとって、株価の下落は政治問題でもあった。

なんとかして、株式市場にお金が流れるよう意図したのだと思う。なんと、期間限定で株を買ってくれた人が、その株を2年以上保持していれば、その株の売却益には課税しないという。つまり、一株100円で10万株買って、その株を2年以上持ち続け、その後一株300円(3000万円)で売っても、その売却益(2000万円)は無税だそうだ。凄い大盤振る舞いだ。

もちろん、厳格な要件がある。一つはその購入時期が平成13年11月から平成14年12月までの13ヶ月限定だ。更にその購入金額は1000万円までと限定している。そして平成15年、16年の二年間保有していなければならない。その後、平成17年から19年までの間の売却に限って無税の扱いとなる。

要するに、株を1000万円買って、2年間持っていて、その後3年以内に売却すれば税金はかからないよ、って事だ。通称「塩爺税制」なんて呼ばれていた。

この税制上の特典を餌に、投資家へ株式市場への資金投入を促したわけだ。

この特典は、昨年末をもって期限切れとなった。私の見聞する限りでは、昨年前半までに売り切った人は、かなりの節税になったようだ。

ただ、気になるのは、この特例を期待しながら適用を受けられなかった投資家もけっこういたらしいことだ。実は上記に記載した要件以外に、もう一つ要件がある。この「塩爺税制」は、特定口座で源泉徴収有りを選択した場合には適用されない。

投資家にとって、この特定口座による源泉徴収を選択すると、株の売却益に対する課税を証券会社が代行してくれるので、たいへん便利なので、広く普及している。この源泉徴収の選択は、その年の最初の取引時に選択することとなっていて、一度選択してしまうと、その年は取りやめることが出来ない。

おそらく、大半の投資家は、証券会社に特定口座を設けて、源泉徴収を選択したことを記した書類を提出した時に、その選択が毎年自働継続になっていることを失念していると思う。平成12年までは、多くの投資家が「源泉分離課税」制度を利用していたと思う。この「源泉分離課税」制度は、その都度取りやめることが出来た。ところが、現在の特定口座源泉徴収制度は、一度選択すると、その年は取りやめが出来ない。

せっかくの「塩爺税制」だが、無駄に終わった人が少なからずいたらしい。投資は自己責任なのだが、いささか気の毒な気もする。ただし、救済措置は一切ないので泣き寝入りに終わると思う。

一応書いておくと、塩川・元財務大臣も財務省も投資家を騙そうと意図したわけではない。むしろ予期していなかったが実情らしい。非常に便利な特定口座源泉徴収制度だが、場合によっては不利な場合もある。

実はもう一パターン、不利な場合がある。これは来週あたり書かせていただきたいと思います。
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「八甲田山死の彷徨」 新田次郎

2008-01-30 12:15:00 | 
十数年、山を登ってきたが、一番寒かったのは10月の谷川岳だった。

気温は摂氏で表されるが、人間が寒さを感じるのは体感温度による。気温が氷点下でも無風状態で、日差しがあれば半そでシャツでも我慢できる。ところが日差しがないと半袖では耐えられない。

そこに風が吹くと大変だ。大体、体感温度は風速1メートルにつき一度下がるとされる。摂氏0度でも風速10メートルならば、体感温度は氷点下マイナス10度に相当することとなる。さらにこれに水分が加わると、体感温度は8割増しで冷え込む。

たとえ雨が降っていなくとも、汗で身体が濡れている状態ならば、摂氏0度風速10メートルだと、体感温度は氷点下マイナス18度だと思って、まず間違いない。

紅葉を楽しみに、10月の上信越の山を目指したのは、大学1年の秋だ。麓は日差しが柔らかく、平標(たいらっぴょう)山への稜線を登るにつれ、汗で下着がビッショリ濡れたぐらいだ。紅葉には少し早かったと考えていたら、にわかに雲行きが怪しい。

稜線に突き上げると、ガスというより雲のなかに突入することとなった。どうやら日本海側からの強風に煽られて、予想より早く低気圧が近づいているようだ。雲のなかは強風と、みぞれが荒れ狂っている。標高があがるにつれ、気温は下がりだし、いつのまにやら氷点下近い。

汗で濡れた下着の上に綿のカッターシャツ一枚ではつらい。雨具を着ても、体温は奪われっぱなし。身震いが止まらないほど寒い。一応セーターを持参しているが、濡らしては拙いから、ここでは着るなとリーダーが命じる。

岩陰に入り、風を避けつつ昼食を作る。マッシュポテトでポテトサラダを作るが、作るそばから凍っていく。口に入れると、シャーベットのような感触で、身体が芯から冷えるゾ!

この後数時間、一の倉の天場に着きテントに入るまでが地獄だった。寒くて死にそうな気分に陥ったのは初めてだった。寒さに震えて、関節が痛くなったのも初めての経験だった。確認しておくが、時節は10月だぞ。季節はずれの寒気であったのは確かだが、他にも原因はある。

一つは私が、夏用のメッシュの下着を身に着けていたことだ。暑い時は快適だが、寒い時に着るべきものじゃない。テントのなかで着替が、どれほど待ち遠しいことだったか。ホント泣きたくなったぞ。多分衣類をしっかり秋冬用にしておけば、我慢できたと思う。

もう一つは、私以外のメンバーが皆寒さに強い連中ばかりだったことだ。雪の上でエアマットなしに熟睡できるMは論外だが、冬に窓を全開にして勉強する性癖のあるKも寒さには強い。先輩も寒さには鈍感なのか、普段から薄着で過ごす変人だ。私一人が普通の感覚の持ち主であったため、寒さを訴えても誰も「このくらい我慢だ」と受け付けてくれない。

この寒さのなか、顔にうっすら汗が凍り付いているなかで、シャーベット状のポテトサラダを食べながら、「いや~、思ったより寒いなぁ」とヘラヘラ笑われても困る。笑っている場合じゃねえだろう!本当に寒かったんだ。身体が芯から凍り付いて、動きが鈍くなったのは、後にも先にもこのときだけだ。

やはり谷川岳は、遭難死が日本で最も多い山なのだと、つくづく思い知らされました。あの冷風はつらい。以来谷川は夏場しか登っていません。やっぱり、私は寒いのが嫌いだ。

表題の作は、映画化されたせいか新田次郎の代表作とされている。ちょっと異論はあるが、厳冬期の山の寒さ、厳しさを巧く表現していると思う。映画では、美しい夏の光景と対比させていたのが実に効果的でした。いや、本当に身体が凍り付いてくると、幻覚浮かぶもんなんです。下手なオクスリよりも効きますぜ。お勧めはいたしませんがね。
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「クロスファイア」 宮部みゆき

2008-01-29 12:19:14 | 
今更だが、宮部みゆきはふところが深い。

ミステリー、社会問題、ホラー、SFと様々なジャンルを見事に消化する。節操がないというより、興味の方向性が多方面にわたっているのだろう。しかも、暖かく処理できる。

表題の作などは、下劣に過激化する青少年の犯罪を題材にとっている。多分、男性作家が同じネタで書けば、表現はもっと厳しくなると思う。過剰に煽情に走らず、走り出しても立ち止まって振り返る余裕を与えてくれる。

私は密かに、宮部を日本版クーンツと呼んでいる。安心して読める作家であることは間違いない。私はひねくれもので、ベストセラー作家は、あまり積極的には読みたくない。読むにしても、数年後に読むようにしている。時流に流されるのが嫌いなのだ。

その私をいつも悩ませる作家の一人が宮部みゆきだ。思わず、読みたいと手を出してしまう。実に憎たらしい作家だ。私の部屋の未読の本の山には、必ず一冊は宮部女史の作品がまぎれている。いつも、読もうか、読むまいか悩まされる。

更に問題がある。私はいつも本を通勤電車のなかで読む。滅多にないことだが、読書に夢中になって降りるべき駅を通り過ぎることがある。このような失態を犯させる作家は、そう多くない。マキャモン、マーゴリンそして宮部が上位3傑なのだ。困った作家である。

これから3月の確定申告に向けて、一年で一番忙しい時期である。こんな時期に宮部に手を出すとは・・・嗚呼、悩ましい。
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「あかひげ診療譚」 山本周五郎

2008-01-28 12:25:41 | 
冬の光景は暖かい、と書いたら驚かれると思う。でも本当の話。

寒の入りを過ぎたこの時分は、冷え込みが一年で一番厳しい。なによりも空気が冷たい。私は基本的に寒いのが嫌いだ。だから、学生の時分この時期に山に登るとしたら、標高1000メートル程度の里山を好んでいた。

ただ、ひねくれていたので、有名な山には行かない。わざわざマイナーな藪山を探し出して登っていた。関東近辺だと、神奈川や静岡がいい。標高が低いので、夏に登るのは暑過ぎて楽しくない。春や秋はハイカーが多くて、興がそがれる。だから、冬がいい。雪が積もることは、滅多にないから装備も軽い。人が少ないので、静かな山の光景をじっくり楽しめる。

登山口から2時間も登れば、もう稜線に辿り着く。空は濃いほどに蒼く、日差しは柔らかい。空気が冷たいので、気温は低いが風がなければ、乾燥している分快適さを感じる。

草木は既に枯れ果て、葉を落とした潅木の他は、一面黄色い草原となる。この色合いが実に心温まる安らぎを与えてくれる。春になれば、一面緑が萌え拡がるはずだが、この季節は静かに眠っている。この穏やかさが心地よい暖かさを感じさせるのだろう。私はこの光景が、とても好きだった。春を待つ草木の静かな眠りに、込められた穏やかな希望を感じて、自然と心安らぐのが好きだった。

やがて夕刻が近づくと、黄色の山々は、夕日に染め上げられ、あっというまに濃い闇に包まれる。夜空に星が冷たく瞬き、眼下を見下ろせば、麓の人家が明かりをともし人々の暮らしを教えてくれる。既に大気は冷たく、暖かいテントに誘われるが、しばし、この光景を瞼に留めたい。

冬はたしかに寒い。寒いからこそ、暖かさのありがたみがよく分る。これがアルプス級の高山だと、こんな悠長なことは言っていられない。ほんの数時間で人間社会に戻れる距離の里山だからこそ感じられる感慨なのだ。

表題の本を読み返すと、私は冬の里山の光景を思い出す。

江戸時代の医療技術では、本当の意味での治療なぞできるはずがない。病魔は圧倒的な強さで、人々の命を奪っていく。それに逆らうことは誰にも出来ない。それでも人々は医者を求める。無駄と分っていても、救いを求めずにはいられない。

医は仁術だという。きっと赤ひげ先生は、冬の里山の光景のような暖かさだったのだと思う。
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リース会計の改正

2008-01-25 12:23:16 | 経済・金融・税制
またもや、霞ヶ関のエリートさんたちがやらかしてくれた。

なにがって、リース会計である。数年前より順次国際会計基準への擦り寄りが始まっている。その一環として導入されたのがリース会計基準だ。

従来のリース会計では、リース取引がオフ・バランス(帳簿外)となる弊害があり、注記などで補足していた。しかし、このやり方では投資家には不十分だ。

① 例えば、資本金1億、総資産10億負債9億で年間売上高100億円の会社があったとしよう。この会社の正味の価値は、10億マイナス9億で1億円となる。

② ところが、この会社が総額30億円(全額借入)の新たな設備投資をしたとする。すると総資産40億、負債39億となり、やはり正味の価値は1億円である。同じ数字だが、全体を考えてみれば、だいぶ印象は違うと思う。

この設備投資をリース契約ですると、まったく違ったものとなる。総額30億円で10年間(一年3億のリース料支払い)のリース契約となると、会社は支払ったリース料をそのたびに経費に落とせる。しかも、リース残債は会社の負債に計上されない。会社の中身は変わっているのに、会計上の表示は当初の①のままとなる。

投資家からすると、これでは会社の実情が正しく反映されない恐れがある。そこで、国際会計基準ではリース会計により、大幅に経理方法を変えた。上記のケースだとリース資産30億、リース負債30億を計上して、毎年3億円ずつリース負債を返済し、リース資産を減価償却することとなる。

正直、投資家には有益な改正だと思うが、リース会社は嫌がっていた。リース契約のメリットが大幅に減じるからだ。しかし、国際会計基準という正論のまえに肯かざるえなかった。まあ、中小企業会計は従来の扱いを継続する予定だし、小規模リースも従来の処理が認められるが、それでも大幅な減益は避けられまい。

ここまではいい。ここまでは。

しかし、いざ実務で適用しようと思うと、いろいろと不明な点が出てきた。消費税の処理なんかが典型だが、あまり一般的でないので省きます。問題はリース負債の返済の処理。返済するリース債務には、負債の元本部分と利息部分がある。この利息をどう計算するのか?金利の複利計算に慣れている人なら、エクセルの関数などを使って計算できるかもしれないが、やはり面倒だ。

当初の説明では、リース会社にこの計算をしてもらうはずであった。ところが、リース会社が嫌がった。実務上困難だと大半のリース会社が回答してきた。おい!どうやって利息相当額の算出をするのだ?

変に思われる方も多いと思うが、リース会社の立場に立てば分らなくもない。リースという金融商品の最大の魅力(支払うたびに全額経費に落とせて、しかもリース債務を計上する必要がない)を否定されて大幅減益を押し付けられた上に、その上利息相当額を教えろだと。そんなコストのかかること、誰がやりたい?

以上の話を下卑た表現で言うと、こんな話になります。

駅前繁華街で長年栄えた、キャバレー「リース」のマネージャーが、ホステスさんたちに告げました。お上の指導で、今後は補整下着や、きわどい衣装は禁止だと。そして、お客さんから尋ねられたらボディーサイズや年齢を正直に教えてあげろと。マネージャーは憤懣やるかたないようですが、ホステスさんたちの憤りはそれ以上。でも、お上には逆らえない。

さてはて、このキャバレー「リース」の今後は如何になるか心配ですが、真面目な話、リースにかかる利息相当額の計算は、どうするのだ?重要性の乏しい場合限定の簡便法で済ませるか?

霞ヶ関のお偉いさんたちは、最近あまりに現場との情報交換が不足しているんじゃないでしょうかね。はっきり言えば、業界のとの接待飲食を避けて、きれいごとで仕事をしてきたツケだと思います。

日本では非公式な場でこそ、本音の情報交換がなされる現実を無視して、闇雲に接待飲食を否定してきたが故の、行政の機能低下だと思います。必要なものを無闇と否定すると、むしろ巧妙に隠れ、かえって性質の悪い結果になるほうが多いものです。防衛省の守屋なんざ、その典型でしょう。

建築基準法の改正もそうですが、あまりに現場との情報交換をやらない稚拙な法改正の問題の根幹には、接待交際の否定が大きく関っていると思います。そして、嫌な予想ですが、今後もこの手の現場混乱型の法改正は続くと思います。だって、誰も反省していませんから。
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