今年も波瀾万丈の一年であった。
1月と2月に大雪が降ったこと、その後も週末や連休に荒天が多く、雨が降れば豪雨であり、超大型台風の襲来に加えて、御嶽山の噴火まである始末である。
景気も曇り気味で、遠くの空に日差しがあるのが見えるが、こっちにはその温もりが届かない。そんな景気に消費税増税が追い打ちをかけるのだから、好景気なわけがない。
財務省に忠実に思えた安倍首相が、反旗を魔オて消費税再増税の延期を宣したので、少しほっとしている。でも、財務省の意趣返しは既に始まっており、介護報酬の減額やら、子供手当の廃止、対象厳格化と弱いものに鞭打つ予算を出してくるつもりである。
私のみたところ、お役所と大企業以外は、実質賃金は目減りしている。これで景気が良くなったら不思議である。頼みの綱は外国人観光客が落とすお金だというのだから、情けないにもほどがある。
私自身は、病院に行くたびにカルテに新しい病名が記入される始末であり、体力の減少以上に気力が萎えそうな惨状である。如何に私が楽天家だといっても、限度があるぞと叫びたくなる。
そんな惨めな状況ではあるが、おかげさまでこのブログも9年目と相成った。取り上げた書物も1000冊を超え、遅々たる歩みではあるが、積み重ねた実績を懐かしみつつも嬉しく思っている。
ところで毎年恒例だが、今年読んだ本の中で、初読で一番印象に残ったのは「田中清玄自伝」でした。昭和史のなかで、最も不可解で謎多き人物でしたが、この自伝を読んでみて、ようやく人となりと何故に謎の人であったのかが判明したのです。率直に言って、歴史教科書に名を連ねる人ではない。しかし、小佐野賢治や笹川良一のように、昭和史の裏面を支えた人物であるのは確かでした。それだけに謎が多い。
その名を耳にしてから40年越しの宿題であったので、とりあえず一安心した次第。でも、さすがに自伝だけに政商としての裏の面には、十分触れているとは言い難い。そうでなければ、あれほどの富を築くことは出来なかったはず。もう少し踏み込んだ書を探すことを今後の課題としたいです。
一方、再読ではこのブログ1千冊目に取り上げた「動物農場」ジョージ・オーウェルでした。やはり名著だと思います。私は社会主義に傾唐キる人たちの善意と良心は認めています。しかし、社会主義の善意は暴走しがちであり、それはこの日本においても変わりないことを知らない若い人が増えている。
昨今、日本共産党が若い人から支持されています。私としては過去を知らずに無邪気に日本共産党を支持していることに危惧を覚えずにはいられません。野党がだらしないからこその自民党の長期政権が可能であったのは確かです。
だからこそ、自民党政権を良しとしない人たちが日本共産党に惹かれるのは分かるのですが、この政党というか、自らの善意を信じて疑わない人たちの裏の側面を知るには、この本は必読の書だと思います。
では漫画ですが、これは何より「NARUTO」が完結したことでしょう。何時完結するのか先が見えない「ONE PIECE」や連載が続かない「HUNTER×HUNTER」に比して見事に物語に終わりを付けたことに敬意を表したいです。
一方、新作ではこれといった傑作がなかったのが不満でした。そんな中でも期待が持てそうなのは週刊少年マガジンで連載中の「七つの大罪」でしょうか。少年漫画の王道的なパターンで、意外性はないのですが、堂々たる進展には満足しています。次点として週刊少年チャンピオンに連載されている「ハリガネサービス」を挙げておきます。これと「弱虫ペダル」はいずれ取り上げるつもりです。
なお、敢えて取り上げなかったのが、福島原発の風評被害で騒ぎになった「美味しんぼ」でした。私は放射能の被害は実際にあると考えていますし、それを隠ぺいするようなことも、また過剰に取り上げることにも同意できません。
だから、原作者の強い思い込みと、科学的論理的そして統計的な根拠が十分とはいえないエキセントリックな騒ぎとなってしまった今回の事件を非常に残念に思います。漫画というのは、過剰に表現することが容易なので、怖いメディアであることが良く分かった事件でもあります。
最後に映画ですが、今年は「アナと雪の女王」の大ヒットがあったほかは、それほど印象に残った映画とは巡り会えませんでした。でも、意外というか望外に驚いたのが「ルパン3世」です。
漫画やアニメの印象があまりに強く、実写化は無理というか、絶対似合わないと思い込んでいたのですが、主役の小栗旬の意気込みがスクリーンから伝わってくるかのような熱演に感心したものです。
もう一つ上げるとしたらドラえもん初の3Dアニメ「スタンド・バイ・ミー」ですね。正直幕の内弁当的なシナリオですが、ツボを押さえた作りで、懐かしい気持ちになる佳作だと思います。だからこそ異例の長期上映だったのでしょうね。
さて、この記事で今年は御終いです。来年もまたよろしくお願い申し上げます。それでは、良いお年をどうぞ
老人は無駄遣いをしない。
一言で云えば、これこそがデフレの正体であるようだ。
たしかにこの十年余り、バブルの崩壊から戦後最長の好景気と、リーマンショック後の停滞。統計数値が示す景気判断に納得できないことが多かった。だから、この本の著者がいうように高齢化こそがデフレの正体だと明言されると、思わず動揺してしまう。
率直に言って、一理あると思う。また著者が述べる対策として① 生前贈与の拡大 ② 女性労働者の積極的活用 ③ 若い世代への所得増加などは、最後の③を除いて、既に政府も同様の対策を打ち出していることから、それなりの説得力はある。
ただし、著者のマクロ経済に対する批判が弱い。批判そのものはかなり説得力がある。しかし、その題材であるデフレの定義が、どうみてもマクロ経済の定義とは、いささかかけ離れているために、論理構成が不十分だと批判が出るのは必然だと思う。
そのせいで、この書は世間に名の通ったエコノミストや経済学者から非難轟々である。
もっとも私からすると、そのエコノミストの提言するデフレ対策はどれも効果が不十分だし、経済学者の最近の日本経済に関する見解にも同意しかねるものが多く、むしろ人口の波による経済波及効果を強く主張する著者の見解は、十分傾聴に値すると思っている。
人類が文明を打ち立ててから、概ね三千年余となる。その間、人口が大幅に減少することは幾度となくあった。しかし、現在の日本が直面するように高齢者だけが突出して拡大し、若い世代が縮小するような特異な状況は、ほとんど経験がない。
実のところ、西欧、特に北欧諸国やドイツ、フランス、イタリアなどでは既に起きている現象ではある。日本はその後追いなのだが、どうみてもヨーロッパ諸国の抱える年代の偏りと、それに伴う経済の停滞の内容が違うように思える。
地続きの西欧と、島国で外国人の流入が少ない日本との違いはあるのは分かる。しかし、それだけでは説明できないのが、今の日本の不活性な経済なのだと思う。
私自身、近年の日本の経済の変動と変化を、自分自身が納得できるほど理解しかねているのが本音である。だが、この本を読むことで、少し理解が進んだように思う。著者の言うように、相対的な比較数値だけでなく、絶対値を認識して、その変化と意味を直視する必要性はあると思った。
いろいろと批判多き本であることは承知しているが、私はけっこう勉強になったと考えています。
ムクムクじゃダメなのかなァ~
子供の頃、犬を飼っていたので毛皮のあのムクムク感が好きなのだ。あの温かいムクムクを肌に感じる幸せは、忘れがたく脳裏に刻まれている。これは、世界共通の感覚だと思っている。
もっとも中には、手足の肉球の感触のほうが好きな人も少なくないのは知っている。好き嫌いなんて、人それぞれだ。
ところで表題の映画だが、亡き兄が創った介護ロボットのベイマックスは、空気で膨らませたフカフカの感触が人を癒す。兄を喪った傷心から立ち直れない主人公を癒そうと、ベイマックスは温かく包み込む。
それに苛立ちさえ感じる主人公だが、ベイマックスのユニークな動きに失笑しつつも、いつしか癒される。でも本当のところ、まだまだ傷心から立ち直れずにいる。
その傷心を本当に癒したのは・・・
ネタばれになるから書かないが、悪くないシナリオだと思った。子供も大人も楽しめる佳作に仕上がっている。
私がこの映画を観て思い出したのは、中学の時の京都への修学旅行だった。大徳寺の住職からの講話で、左手が凍てついているのなら、その凍てついた左手で右手を温めろと云われたことだ。
一瞬、逆ではないかと思ったが、実はそうではない。凍てついた左手で温めようと動かすからこそ、その左手も自然に温まる。痛い足を引きずるのではなく、痛い足から第一歩を踏み出すことこそが、足を回復させることに繋がる。
そのことを痛感したのは、山での厳しい経験だった。氷雨と強風が吹き荒れる11月末の奥多摩登山だった。本来なら子供から老人までもが楽しめるハイキングコースである。
しかし、氷雨が体温を奪い、強風が心まで凍てつかせる。思わず岩陰に避難して、膝を抱えて座り込みたいほどの寒さ。だが見渡すと、下級生が青い顔をして震えている。
ここで私が弱った姿をみせたら、誰が下級生を無事下山させるのか。思い出したのは、高校一年生の頃、厳しい場面になると先頭に立ち、誰よりも小まめに動いて、私たちの世話をしてくれた先輩たちの姿であった。このパーティで上級生は私一人。私が動かねば、誰がやる。
私は敢えて先頭に立ち、「俺の後ろを付いてこい」と命じて、冷たい雨と強風のなかに飛び出した。先頭に立てば誰よりも雨に濡れ、辛い風にさらされる一番辛いポジションである。
だが、不思議なことに敢えて先頭に立ったことで、心は燃え上がり寒さを恐れなくなった。身体はびしょ濡れであり、寒さは体を芯から凍らせたが、気持ちの燃え上がりが寒さを感じさせなかった。
気が付けば安全な林道であり、国道は眼下に見えていた。バス停に着くと、冷えた体をものともせず、お湯を沸かし、お茶を振る舞い、下級生を元気づける。無我夢中であったので、疲れさえ感じることはなかった。
WV部はけっこう厳しいクラブなので、途中で退部する者も少なくない。でも、この時の下級生たちは一人も止めず、卒業するまでクラブを率いてくれた。
私はリーダーシップには乏しいし、個人的な魅力で人を惹きつける才にも欠けている。あの時まで、私は下級生からリーダーとして認められていないのではないかと内心疑っていた。自信がなかったのだ。でも、あの時必死で先頭にたったことで、彼ら下級生から認められたのだと思っている。
そして、彼らもまた上級生になり、リーダーとなったのならば困難な時ほど先頭に立ってくれると信じている。
映画館を後にしながら思うのは、傷心を癒すのは他者からの慰めではなく、自らが他人を癒すことであることだ。ほんと、悪くない映画ですよ。年末年始、機会がありましたら是非どうぞ
老け込んだ様子に、少し驚いた。
石原慎太郎の引退発表がされたのは、先週のことだが、その会見をTVで見ながらの感想である。
今さらの話だが、都知事を任期いっぱい努めての引退が、一番良かったはずだ。私にはいろいろ文句があるのだが、それでも歴代の都知事と比して、十分その職を務めたと評価している。
だが、国政への思いは熾火のように心の奥底に残っていたのだろう。前にも書いたが、石原慎太郎は国政を担うには、あまりに人望が無さ過ぎた。議会政治において、派閥を作れないのは致命傷に近い。
いくら会派を作っても、それを維持することが出来なかった。それだけの集金力、統率力、そして人望がなかった。だからこそ、単独で政治が出来る都知事の座に転身したのだろう。
これは想像だが、都知事として大きな功績を挙げれば再び国政への芽も出るかもしれないと考えていた節はある。その想いに火を付けてしまったのが、民主党政権であった。
石原慎太郎にしてみれば、許しがたいほどの歪んだ歴史観と、善意だけで実行力なき能力の低さが目立ったダメ政権であり、ならば今こそ自分がとの思いはあったと思う。
その一方で、自分の老齢を気にする冷静さはあったようだ。しかし、そこに維新の会及び橋下代表という若い政治家が出てきたことで、一人では無理でも連携すればとの思いが芽生えたのだろう。
だからこそ都知事の座を降りて、再び国政へと戻ることを考えたのだろう。しかし、自らが国政を退く原因となった人望のなさと器量の狭さは、想像以上に若い政治家たちの反感を買った。
だからこそ維新の会との連携は失敗した。石原慎太郎は都知事として引退するべきであった。しかし、国政への未練を如何ともしがたく、再び衆議院選挙に立った。
その石原に引導を渡したのは、有権者であった。これには頑固爺さんの石原も従わざるを得なかった。民主主義って奴は、いろいろ欠点も多いが、私はこんな時、民主主義も悪くないと思うのです。
散々、貶してきた石原慎太郎ですが、私は作家としての石原慎太郎ならば、かなり高い評価をしています。いずれ取り上げたいと思っています。これまで取り上げなかったのは、政治家としての石原が嫌いだったからです。
この冬は、じっくり石原の著作を再読してみますかね。
衆議院選挙を圧勝した安倍総理だが、案外政権は長く続かないかもしれない。
今回の選挙を、700億円の血税を投入した無駄だとの声は少なくない。勝つと分かっての選挙であり、要は政権を長く続けるための選挙に過ぎないとの評も、そう外れてはいないと思う。
だが、私のみたところ、今回の選挙の目的は財務省対策だと思われる。民主党政権の頃に大枠を定め、消費税を8%、10%と二段階で増税することによる財政健全化を目指した財務省である。
しかし、安倍首相は10%の再増税にまったをかけてしまった。霞が関最強の官庁である財務省は面子丸潰れである。
この異様にプライドの高いエリートの集まりである財務省が、この事態を大人しく見過ごす訳がない。それが分かっていたからこそ、敢えてこの時期に選挙を行い、国民の信任を盾に財務省をけん制したのが、真の目的ではないかと私は考えている。
だが、既に陰湿な嫌がらせを始めている。再増税がないのだから、予算削減は当然を隠れ蓑に「子供手当の減額」「介護報酬の減額」を打ち出してきている。来週にも発表される税制改正大綱で、どれだけ財務省の冷たい怒りが顕されるのか、少々怖いほどである。
お役人という奴は、この手の陰湿な嫌がらせを得意としている。あくまで行政の裁量権の範囲であり、おまけに堂々たる理由もこじつけてある。この嫌がらせを小出しにやることで、与党及び政権にダメージをチクチクと与える。
そして、次に繰り出すのはリークだろう。おそらくは政権幹部もしくは与党幹部の金銭スキャンダルだ。絶対に認めないだろうけど、その出所は国税局ではなかと予測できる。
何故なら税務署の税務調査で、政治家からみの怪しい入出金情報を入手するのは、本来の業務であり、堂々やることが出来る。もちろん公務員としての守秘義務があり、外部に漏らされる情報ではない。
でも、なぜか新聞などにスクープとして発表される政治家スキャンダルの情報の出元を探っていくと、税務に絡む可能性が高い金銭問題にたどり着くことが時折ある。
もちろん、政治家団体や関係企業からの内部情報が出元である場合もある。しかし、どうみても官公庁から漏れたと疑ってもおかしくない情報ではないかと言いたくなる場合もある。
新聞TVは見事に無視したが、細川元首相の突然の退陣なんて、そんな典型ではないかと私は勘繰っている。安倍首相は既に一度病気を理由に退陣しているし、政治家としてキャリアも長いので、このあたりの裏事情を知らないとは思えない。
だから安倍首相本人はかなり警戒しているだろう。しかし、閣僚や与党幹部はどうだろうか。困ったことに、叩けば埃が出そうな連中、けっこういますしね。
私はここしばらく、政治家からみのスキャンダルを新聞やTVが報じだしたら要注意だと考えています。朝日なんざ、大喜びで食らいつくでしょうしね。