誰でもそうだと思うが、苦しくなると心の視野が狭くなる。
きっと生活が苦しかったり、理想が叶わず現実に絶望しているのだろうと想像も出来る。だけど、それでも言いたくなる。闇バイトをするような奴って頭悪いなぁと。
もっとも私自身、いわゆる悪事の手伝い的なバイトをしたことはある。当時はそれが悪いことだとは分かっていなかったどころか、人の役に立つ仕事の手伝いだとさえ思っていた。
今にして思うと、悪い大人にいいように使われていた馬鹿な子供なのだろうが、さすがに小学生の頃は利用されていることにさえ気付けなかった。
銭湯で知り合った入れ墨が派手なおじさんの紹介で、あるお屋敷の庭掃除をしていたことがある。掃き掃除が中心であり、落ち葉が積もる時期はいい小遣い稼ぎになった。でも、本当に待ち望んでいたのは制服警官の見張り役であった。
そのお屋敷は所謂博徒の親分の家で、時折鉄火場が開かれていたと思う。私は現場に入ったことはないが、その時はお屋敷の入り口付近でチャンバラごっこをやらされた。そして警官が様子見に来ると、わざと大騒ぎして警官を引き留める。コツは鼻血を出すほどに叩き合うことだった。
さすがに顔面血だらけの子供はほっとけず、警官は私らを公園に連れて行き顔を洗わせて血を拭い、仲直りの握手まで世話してくれる。その間に騒ぎを聞きつけた親分たちが鉄火場を片付けて、飲み会の場に替えたらしい。
私はこの手のから騒ぎが得意で、そのあとで貰える高級菓子が楽しみだった。どちらかと云えば貧乏だった私だが、この役得で虎屋のヨーカンや風月堂のどら焼きなどを楽しめた。まぁ、他にもあれこれとやっているが、まだ小学生だったので、危ないことはやらされたことはない。
もっとも中学生になる頃には、祭りの屋台の手伝いとか、後片付けをやるようになった。この頃になると現金で報酬が支払われるので、ちょっと大人に近づいた気分であった。でも結構危ない仕事でもあった。危ないのは、年上のチンピラたちに絡まれるからだ。
あの世界はある種の徒弟制度的な部分があり、その枠の中で認められないと、よく言えば遣い走り、下手すれば捨て石役である。特に手配書が出回っている先輩たちが逃げる時の盾役は、上手くやらないと補導される可能性があった。
まぁ泣き喚いたりするのは下策で、効果があるのは鼻血やらなんやらで被害者役を演じることだった。怪我している子供を見捨てるのは警官にも抵抗があるようだったからだ。でも、私服の刑事には通用しなかったと思う。もう面が割れてたしね。
多分、あの世界にあのまま飛び込んでいたら、私は堅気の道には進まなかったと思う。幸い義務教育中の子供は見習い扱いされされないので、記録には残っていないはず。でも風紀課の刑事には偶に脅かされてた。今ならまだ足抜けできるぞと。
その気はなかったが、離別した父からの資金援助で大学まで行ける可能性が出てきたので、兄貴分及び代貸に相談して抜けさせてもらえた。その時「もう二度と戻ってくるなよ」と脅かされた時、ちょっとチビったのは内緒である。
凄く怖かったので、私は本気で真面目になろうと決意し、以降街で顔見知りにあっても軽く顔を伏せる程度の挨拶で逃げた。幸い、そのころから登山を始めたので、街での夜遊びから遠ざかったのが良かったと今にして思うのです。
幼いながらも、裏社会の周辺で育ったので、私は知っていました。弱肉強食の世界では、弱い奴を踏み台にしてのし上がるしかないと。神社の裏でチンピラたちと睨み合っていたのも、その見定めのためだと分かっていました。
今、話題の闇バイトにしても同じこと。闇バイトを集めて、不正をやらせる側に回らない限り、決して稼げないはずです。単に喧嘩の強い弱いだけでなく、如何に頭を使い自分に有利な状況下で稼ぐ。これが出来ないと、闇バイトなんていい様に使われるだけの踏み台でしかありません。
このような惨状を招いたのは、戦後の自民党政治のせいだと賢し気に語る人がいます。馬鹿ですね、昔からあったのですよ。法律や制度に守られない裏社会では、弱いものが使い潰されるのは、当然にして必然のことでした。
私は堅気の世界で生きるようになって、馬鹿にしていた真面目っ子の世界が安心して生きていける場所だと知って大いに驚いたものです。闇バイトなんぞに引っかかるよりも、真っ当な社会の歯車の一つとなるほうが遥かに安全で確実な生き方だっと知っておいて欲しいです。