ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ふてほど

2024-12-11 09:14:59 | 社会・政治・一般

令和6年はマスコミ没落元年だとしたい。

私は以前からマスコミ様に対して強固な不信感を抱いている。それでも、中には立派な報道、学ぶべき価値ある報道もあると信じている。でも、世の中のことが分かれば分かるほどにマスコミ様への不信感は募るばかりだ。

社会正義を守る木鐸として異常に高い自尊心を誇るマスコミ様は、近年の視聴率低下、購買数低下に悩まざるを得なかった。世論を主導するのは我々マスコミ様である。そう確信していたのに、一向に世論は従ってくれない。

兵庫県知事の弾劾では、マスコミ様が力を合わせて斎藤知事を辞任に追いやったのに、再選挙ではマスコミ様の意向を無視して兵庫県民は斎藤を支持しやがった。おかしい、おかしいだろう。エリート様でもあるマスコミ様の思惑がまるで通らない。何故だ、何故なのだ。

最近の年末恒例でもある「今年の流行語大賞」にしてから、まるで大衆から支持されていない。その典型ともいえるのが「ふてほど」だ。なんでもTBS放送のドラマ「不適切にもほどがある」の略称らしい。TVドラマをまったく見ない私が知らないのは当然だが、流行っているとの話も聞いたことがない。

っつうか、私なんぞ「ふてほど」と聞いた時、「不適切な報道」の略称かと思ったほどだ。実際、似たような感想を述べる人は多かったらしく、既存のマスコミ様は無視しているが、ネット上では拡散しているのが実情であろう。

意地の悪い私の邪推だと、要はマスコミ様が流行って欲しいと願っていることを流行語大賞として広めているだけだと思う。いわゆるK-ポップ商法と同様の手口だと思う。確かに日本人には右に倣えというか、自分で判断するより空気を読んで行動することが多々ある。

それにしたって、マスコミ様は思い上がり過ぎではないのか。世間がマスコミ様の意向に沿うように操作しようとすること自体、傲慢だと思えないところが痛い。だからこそ視聴率が下がり、購買部数が減少しているのが実情だろう。

まぁあのお方々はプライドが高すぎるので、自らの失策は認識したくないのでしょうけどね。それこそ自業自得ですな。

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湿地 アーナルチデュル・インドリダソン

2024-12-10 09:16:54 | 

おそらく私は北欧とかアラスカ、カナダ北部では暮らせないと思っている。

そして、表題の書の舞台であるアイスランドも無理だろう。行ったこともない癖に傲慢に過ぎるとの誹謗は甘んじて受ける。でも原因は分かっているし、それはどうしようもないことなんだ。

まず寒いのがダメ。もっとも暑すぎるのもダメなので、これは私の我儘である。でも、それ以上にダメなのがあの暗い空である。緯度が高い地方では、夏は短く冬は長い。それは自然現象として仕方のないことではあるが、多分だけど私きっと鬱状態になる気がする。

日本ならば冬は寒くはあっても見事な快晴がある。星空だって一年で一番美しいのが冬だ。しかし、緯度が高い地域では極夜といい、一日中日が昇らない日々が続く。その替わりにオーロラなどが見えることもあるそうだが、おそらく私はダメだと思う。

ちなみに欧州へ旅行した時は夏であり、夜22時過ぎても明るいのに仰天したが、夏は短く冬の長い高緯度地方で暮らす気分にはなれない。暮らす気はないが、北欧を舞台にした小説などを読むのは好きだ。表題の作品は、北極圏の方が近いアイスランドの首都レイキャビク周辺で起きた殺人事件が主題のミステリーである。

もう、のっけっからいけない。薄暗い空から降る雨と謎の老人の死体。陰鬱な事件背景と暴力的な匂いの漂う犯人捜査。正直、読み始めは陰鬱な気分に陥るほどであったが、捜査が進むにつれて見えてくる意外な犯人像。雲の切れ間から太陽が差すような事件展開。

謎を追い詰める刑事の独特な個性と相まって目が離せなくなる面白さ。北欧生まれのミステリーもなかなかに侮れないと痛感した良作でしたね。

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紅白歌合戦

2024-12-09 09:10:37 | テレビ

国民的歌番組として知られているNHKの紅白歌合戦。

この番組を大晦日に観て、行く年くる年を見てから初詣に行くのが平均的な日本人家庭だとされていた時代も確かにあった。でも、私が紅白歌合戦を観ていたのは中学生までで、高校生の頃にはもう見なくなった。当時は洋楽に夢中だったし、歌を聴くならばFMラジオで十分だ。

気が付いたら40年以上、紅白歌合戦を見ていない。別段それで困ることもないし、多分死ぬまで見ないと思う。でも、どんな歌手が登場し、何を歌うのかは少し関心があった。日ごろ流行ごとには興味はないが、私が知らない曲でも良いものがあるかもしれないからだ。

しかし、報道された出場歌手及び歌名を読んで首を傾げた。知らない歌手、聴いたことのない歌ばかりではないか。自宅ではクラシックかジャズが中心だが、事務所ではFM放送を常時流しっぱなしなので、ある程度ヒットしていえる曲は分かる。

でも最近の紅白は、その私がまったく知らない歌手が数多く混じっている。特に南コリアの歌手というかグループが多いのが不可解だ。確かに一部の若者にある程度人気があるのは知っている。しかし熱心ではあっても少数派だと思う。

逆に国際的にも人気があり、FM放送でもよく曲が流れていたYOASOBIやAdo、Aimerなどは出ていない。まぁベイビーメタルあたりは請われても出ないでしょうけど。替わりに私が全く知らない歌手や曲が多いこと、多いこと。

いくら私が流行音痴でも、この出場者、選曲はないと思う。これでは毎年のように視聴率が低下するのも必然だ。

これはレコード大賞などにも言えることだが、人気がある歌手、曲ではなくTV局が売り出したい歌手、曲を押し込むやり方は、むしろ逆効果ではないかと思う。うろ覚えだが、90年代ぐらいからTV局、出版社、広告代理店などがタイアップして、まず知名度を得るための営業活動をして人気があるようかに見せかけての遣り口はあったと思う。

ちなみにKポップの売り出しの方法を伝授したのが、どうも日本の音楽関係者らしいと聞いている。右に倣えの気質は日本だけでなく、半島にもあるのかと妙に感心したものだ。まぁ私は倣いませんけどね。

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闇バイト

2024-12-06 09:22:25 | 社会・政治・一般

誰でもそうだと思うが、苦しくなると心の視野が狭くなる。

きっと生活が苦しかったり、理想が叶わず現実に絶望しているのだろうと想像も出来る。だけど、それでも言いたくなる。闇バイトをするような奴って頭悪いなぁと。

もっとも私自身、いわゆる悪事の手伝い的なバイトをしたことはある。当時はそれが悪いことだとは分かっていなかったどころか、人の役に立つ仕事の手伝いだとさえ思っていた。

今にして思うと、悪い大人にいいように使われていた馬鹿な子供なのだろうが、さすがに小学生の頃は利用されていることにさえ気付けなかった。

銭湯で知り合った入れ墨が派手なおじさんの紹介で、あるお屋敷の庭掃除をしていたことがある。掃き掃除が中心であり、落ち葉が積もる時期はいい小遣い稼ぎになった。でも、本当に待ち望んでいたのは制服警官の見張り役であった。

そのお屋敷は所謂博徒の親分の家で、時折鉄火場が開かれていたと思う。私は現場に入ったことはないが、その時はお屋敷の入り口付近でチャンバラごっこをやらされた。そして警官が様子見に来ると、わざと大騒ぎして警官を引き留める。コツは鼻血を出すほどに叩き合うことだった。

さすがに顔面血だらけの子供はほっとけず、警官は私らを公園に連れて行き顔を洗わせて血を拭い、仲直りの握手まで世話してくれる。その間に騒ぎを聞きつけた親分たちが鉄火場を片付けて、飲み会の場に替えたらしい。

私はこの手のから騒ぎが得意で、そのあとで貰える高級菓子が楽しみだった。どちらかと云えば貧乏だった私だが、この役得で虎屋のヨーカンや風月堂のどら焼きなどを楽しめた。まぁ、他にもあれこれとやっているが、まだ小学生だったので、危ないことはやらされたことはない。

もっとも中学生になる頃には、祭りの屋台の手伝いとか、後片付けをやるようになった。この頃になると現金で報酬が支払われるので、ちょっと大人に近づいた気分であった。でも結構危ない仕事でもあった。危ないのは、年上のチンピラたちに絡まれるからだ。

あの世界はある種の徒弟制度的な部分があり、その枠の中で認められないと、よく言えば遣い走り、下手すれば捨て石役である。特に手配書が出回っている先輩たちが逃げる時の盾役は、上手くやらないと補導される可能性があった。

まぁ泣き喚いたりするのは下策で、効果があるのは鼻血やらなんやらで被害者役を演じることだった。怪我している子供を見捨てるのは警官にも抵抗があるようだったからだ。でも、私服の刑事には通用しなかったと思う。もう面が割れてたしね。

多分、あの世界にあのまま飛び込んでいたら、私は堅気の道には進まなかったと思う。幸い義務教育中の子供は見習い扱いされされないので、記録には残っていないはず。でも風紀課の刑事には偶に脅かされてた。今ならまだ足抜けできるぞと。

その気はなかったが、離別した父からの資金援助で大学まで行ける可能性が出てきたので、兄貴分及び代貸に相談して抜けさせてもらえた。その時「もう二度と戻ってくるなよ」と脅かされた時、ちょっとチビったのは内緒である。

凄く怖かったので、私は本気で真面目になろうと決意し、以降街で顔見知りにあっても軽く顔を伏せる程度の挨拶で逃げた。幸い、そのころから登山を始めたので、街での夜遊びから遠ざかったのが良かったと今にして思うのです。

幼いながらも、裏社会の周辺で育ったので、私は知っていました。弱肉強食の世界では、弱い奴を踏み台にしてのし上がるしかないと。神社の裏でチンピラたちと睨み合っていたのも、その見定めのためだと分かっていました。

今、話題の闇バイトにしても同じこと。闇バイトを集めて、不正をやらせる側に回らない限り、決して稼げないはずです。単に喧嘩の強い弱いだけでなく、如何に頭を使い自分に有利な状況下で稼ぐ。これが出来ないと、闇バイトなんていい様に使われるだけの踏み台でしかありません。

このような惨状を招いたのは、戦後の自民党政治のせいだと賢し気に語る人がいます。馬鹿ですね、昔からあったのですよ。法律や制度に守られない裏社会では、弱いものが使い潰されるのは、当然にして必然のことでした。

私は堅気の世界で生きるようになって、馬鹿にしていた真面目っ子の世界が安心して生きていける場所だと知って大いに驚いたものです。闇バイトなんぞに引っかかるよりも、真っ当な社会の歯車の一つとなるほうが遥かに安全で確実な生き方だっと知っておいて欲しいです。

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お金しかみえない

2024-12-05 09:23:07 | 社会・政治・一般

財務省は致命的な失策をやらかしたのではないか。

大地震に襲われた能登半島だが、復興のスピードは遅い。自衛隊は駆けつけているし、ボランティア活動も盛んだ。しかし、それでも復興は遅れている。

理由は簡単だ。お金がないからだ。復興予算が不十分すぎる。おそらく過疎地である能登半島を元に戻す必要がないと、空調の効いた快適なビルで予算案を練る財務省のエリート官僚様は将来を見越して、意図的に予算を削ったのだと思う。

断言しますけど、財務省で予算作成にかかわるエリート官僚様で、現地能登半島は赴いた人はいないでしょう。彼らは現地からの報告書をよく読んでいることは間違いない。しかし、日本政府は既に過疎地に対して必要以上に国費を投入することを避けている。

その一例が水道事業の民営化だ。人口が減少している過疎地において、昭和の時代に敷設した水道管などの更新を賄えるだけの水道料金は期待できない。しかし、公共事業となると国費を投じざるを得ない。そこでグローバリゼーションに倣って公共事業の民営化を推進させる。

水道施設の新たな交換が出来なくても、それは民営事業の失敗であり、国は関係ない。だから地方ほど水道料金は値上がりする。今のところ十分な納税者がいる都市部では民営化の必要がないので、公共事業のままだが、地方は徐々に民営化を広げている。

どういうわけが、日本のマスコミ様は民営化を正しいと勝手に思いこむ。民営化により無駄が減り、効率的な経営が出来ると信じ込んでいる。実際は公共性を忘れた弱者切り捨てが民営化です。当然に財務省は能登半島の復興資金を出し渋る。

酷を承知で言いますが、日本政府の財政管理者としては理解できない訳ではない。だが、それを暗黙する政府すなわち国会に腹が立つ。

過疎化に悩むのは能登半島だけではない。日本全国津々浦々、過疎化に悩む自治体はある。その中でも最も注意が必要なのが沖縄です。割と子供の出生率が多い沖縄ですが、産業構造が脆弱に過ぎる。観光地として有名だが、その中身が薄っぺらい。

沖縄に観光に行くのと、ハワイやグアム、サイパン、あるいはタイやフィリピンに行くのと予算的には大差はない。沖縄の観光施設は、沖縄でなければならないような個性に欠ける。最高クラスのホテルでさえ東南アジアの富裕階級向けのホテルに大きく劣る。

しかも軍事的に仕方がないことではあるが、未だ米軍基地が沖縄に大きな影響を与えている。米軍基地から流れるお金はあるでしょうけど、米軍兵による暴行など未だ解決できていない問題は多い。これがどれほど沖縄県民の心情にマイナスの影響があるか、それを内地、とりわけ霞が関のお偉方は分かっていない。

沖縄は厳密には日本固有の領土ではない。歴史的には、シナと九州の大名との間で揺れる島国に過ぎない。にも関わらず、沖縄が日本に従属しているのは、日本政府からの多額の交付金があってこそだ。台風などで被災した場合でも、わりと迅速に対応しているのは伊達ではない。

その沖縄の人たちが過疎化に悩む地方切り捨てを、どのように見ているのかの視点が財務真理教徒には分かっていない。能登半島の復興の遅れをみて、いつかは切り捨てられるのではないかとの疑念が沸くのも不自然なことではない。

とはいえ沖縄はアメリカにとって戦略上の重要拠点だ。決して手放そうとはしないだけの投資をした海外最大の兵站拠点である。それが分かっているからこそ野心こそあれども、シナは直接手を出さない。しかし、狡猾なシナは沖縄の人々の微妙な心の揺れに気付いている。

今はまだ日本本土からの支援が沖縄をつなぎ留めているが、アメリカが衰退し西太平洋を諦めた時、その時こそ沖縄へ野心を剥き出しにするのは間違いなくシナでしょう。嫌な予測ですが、財務真理教徒のお方々はアメリカが守ってくれない以上、沖縄を切り捨てることを躊躇わないと思いますね。所詮、彼らは金でしか評価しませんからね。

で、最後に一言。日本本土の日本人たちは、沖縄を守るために血を流す覚悟がありますか?

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