入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’18年「冬」 (48)

2018年02月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 もうすぐ終わるこの冬にも、入笠にはたくさんの人が来てくれたようだ。天気の良い日の山頂からは、富士、八ヶ岳、さらに南、中央、北の各アルプスと、第1級の冬山の展望を楽しむことができる。ゴンドラを利用すれば、最終駅からなら30分ほどで登山口に着き、そこからはよほどのことがない限り、さらに30分も登れば山頂に着く。しかも登山口までは「山彦」、「マナスル本館」の両山小屋も営業しているから、何かあった時には心強い。また、積雪があってもたくさんの登山者のお蔭で、踏み跡はしっかりとしている。冬山の情景を楽しみ、探るだけならだけ人を選ばない、誰でも受け入れてくれる山だ。
 しかし、厳冬期の2千メートル級の山が、どこも入笠のようだと思ったら、それは大変な間違いだと言っておくべきだろう。ワカンやスノーシューズ、アイゼン、スキーは降雪のあった直後を省けば、この山ではほとんどあっても無くてもよい、余分な衣装のようなものである。だから、少しばかり足回りをおろそかにしても、大事にいたることはなくて済んでいる。ところが、あまり人の入らない2千メートル級の山ともなれば、とても入笠の冬山体験をしたくらいで通用するとは思えない。
 例えば谷川岳は極端な例かもしれないが、あの山も2千メートルにはわずかだが届かない。東京都で最も高い雲取山は、三条の湯から行けばそれほどのことはないが、それでも入笠よりも登行距離は長いし、悪場もある。入笠山の近くの釜無山でも、冬季はまだ行ったことはないが、天候や積雪の状況によっては、冬山ならではの苦労を強いられることもあるだろう。冬の上高地にしてもまたしかり。
 入笠山で見掛ける人たちの外見の身なり装備は立派で、過分と思えるような人さえいる。しかし、目に見えない衣料品である肌着、靴下などに無頓着であったり、意外と貧弱な靴を目にすることもある。冬山にふさわしい知識と注意が必要だと言っておきたい。特に里で好評の化学繊維の中には、冬山には不適というよりも、危険な衣料品もある。
 
 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。
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    ’18年「冬」 (47)

2018年02月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 東京では、梅の花が咲いたと聞いた。もうすぐ3月だ。春を待つ人の思い、声が盛んに伝えられるようになってきた。それでも、もう冬は用が済んだのだと言って、さっさと去っていけという気持にはなれないでいる。
 冬から春へと変化するこの時期、遠い昔のことを今も思い出すことがある。まだ20歳を少し過ぎたばかりだったろう。大糸線の白馬に近い無人の駅で、東京へ帰るため一人で列車の来るのを待っていた。灰色の空からは小雪が舞い、うすら寒い日だった。10日以上をスキーに明け暮れ、成果のないやるせない想いや、虚脱感を感じながら列車の来るのを待っていた。徒労感と言ってもいい。いくら滑っても納得できず、それは追っても追いつけない影のようだった。それをまたしても味わい、帰るのだ。
 プラットホームしかない簡素な駅に、誰もいないと思っていたら、ほぼ同年代と思える男が一人で立っていた。彼はこちらのことなど全く意に介さず、哀感を込めて口笛を吹き始めた。「別れの朝」という曲だった。それを聞くともなく聞いていると、恋人のことではなく、雪の季節が去っていくことへの哀惜と、口惜しさを強く感じた。
 ようやく重い荷を降ろしたような気持ちになれたのは、峠を超え、いつしか雪が見えなくなった大町の近郊を、列車が走っていた時だった。黒々とした田には、春の兆しというよりか、去りつつある冬の面影がうしろ姿を見せていた。それを目にして、冬と自分との間を結んでいた義理の紐のようなものが、やっと解けたと思った。
 今冬も、入笠の冬への義理は果たせただろうか。今度山に行ったら、確かめてみたい。

 M田さん、ありがとう。あなたにとっても、重いおもい冬が過ぎていきますね。あの歌のように、「春は名のみ」がしばらくは続くでせうが。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。
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    ’18年「冬」 (46)

2018年02月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうの写真は「焼合わせ」の通過時に、その状況を残しておこうと思って撮った1枚だ。これを見ていると、この程度の積雪で、こういう平坦な所なら、スノーシューズよりも山スキーを利用する方が有効な気がする。「ど日陰」の難所はあるが、ここからなら牧場まで林道を、スキーを滑らせて進むのは快適だろう。この「滑らせる」という感覚が山スキーには重要で、歩幅を大きく、滑らかに進むことができるのがスキーの利点のはずだ。
 「だろう」とか「はずだ」と書いたのは、この時は1月の半ばでまだ車で行けたからで、想像の域。その後の2月半ばに実際にスキーで行ってみた時には、辺りは積雪量が増え、さらに深い轍が幾筋も刻み込まれていた。真っ白な雪の褥は無残に荒らされ、床入の、もとい入山の、気は白けさせられ失望した。前回も書いたように積雪、雪質の影響は大きく、スノーシューズと比較してみてもあんな状態では、スキーに特段の利点があると思えなかった。
 待て、もうこういう比較や評価は止しにしよう。どんどんと変化進歩する山の道具や、衣料の類を追いかけてみても詮のないことだ。使い慣れた古い道具や、着慣れた衣服が通用しなくなったなら、その時が、山は「もう登らない山」になったのだと、潔く観念すべきだと思う。体力の衰えを用具に頼るようになると、登山の「歩いて登る」という本来の行為との関係もおかしくなる。極端な話、歩くことを止めて、車やヘリコプターを利用すればいいのだから。
 どんな縁でかは知らない。しかし山との縁が出来て、以来長い付き合いをしてくることができた。「歩く」、「攀じる」という最も原初的な肉体の使い方だけは変えずに、それが気に入り、今まで来た。それを年のせいにして、少しでも楽をしようなぞとここで日和るようでは、情けない。反省。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。



 
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    ’18年「冬」 (45)

2018年02月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 もうすぐ2月も終わる。ある人から「もう、冬は終わってしまったのですか」と聞かれた。きょうは生憎の曇天だが、昨日までの好天からすれば、そういう気持ちにもなるのも分かる。厳冬期の暗い空ばかりを来る日も来る日も眺めていた人たちは、陽射しが強まり、生命が息を吹き返す雪融けの春が、誰しも恋しくなるころだろう。やがて来る季節に心をくすぐられ、その明るさの中に一足飛びに行ってしまいたいと思う気持ちは誰にもある。もっとも、「春は名のみの風の寒さよ」と「早春賦」の一節を書き残し、自らの生命を断った若い女性の春も、なかったわけではないのだが。
 
 冬ごもりの季節が過ぎれば、ほどなく5か月の休みも終わる。また、野に出て、春、夏、秋をいかなければならない。まるで、緩い坂をエッチラオッチラと自転車をこぐように、上っていくのだ。ただ、その坂が、少しづつ勾配を増しつつあると気付かないわけではない。まだ何とか意に介さぬふりができていると思っているが、それでも止まったら、自転車から降りるしかない。
 もしかしたらそこでようやく、頭と肉体が同調するのだろうか。今は頭の方が置いてきぼりの状態で、若いころのように単純にすぐ怒ったり、泣いたりと、喜怒哀楽に振り回されている。そのうちきっと、やんわりと肉体に教えてもらえる日が来るだろう、もう若くはないのだと。
 
 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。


   
 
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    ’18年「冬」 (44)

2018年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ふた夜の宴会の、その盛り上がりについてはすでに独り言ちた。さらに書き添えるなら、そこに出た鹿肉料理だろうか。意外だったのは前回来た人たちはこぞって、今回の方が肉が美味しかったと言ったことだった。秋に捕獲した鹿の方が脂肪が付き旨味は増していただろうが、さて前回の鹿肉の状態がどうであったかまでは覚えていない。今回の肉は熟成の間、ビニールでなく布にくるんでおいたが、その効果があったのかも分からない。

 翌朝の気温は零下10度、前日の朝よりも6,7度は暖かかった。みんなを送り出すため管理棟の外に出た。2泊3日の山の日々が瞬く間に過ぎていったことを、別れの時はさらに強調する。遠ざかる姿に手を振り、見送る。これまでに幾度、同じことをしてきたことか。
 ガランとした小屋の点検と戸締りをして、外で待っていたHALを呼んだ。すでに帰りの時が来たことを承知していて、どの道を行くかを決めてやればそれで、HALは先導役を務めようとする。12年を一緒に暮らし、その間冬の入笠にHALのお供無しで来たことはない。
 よく川上犬は寒さに強いと言われる。しかしHALを見ていると、その評価に疑問が湧いてくる。雪の上より乾いた土があればそこを選ぶし、里にいても、山にいても、少しでも暖かい所にいようとする。寒さが平気だというより、ただ我慢しているだけのような気がする。
 


 帰路は念のため牧場内の見回りを兼ねて、また第1牧区に登ることにした。眺望は前日よりも良かった。風が雪面に風紋のような縞をつくり、2週間前にT君と残した足跡はとっくに消えていた。牧柵の外に出るところまで来て、御所平の方から来た足跡が目に留まった。それは牧柵に向かって真っ直ぐに進み、その直前で曲がっていた。しばらく牧柵に沿うように続き、再び法華道の方角に引き返していた。その足跡を目でたどりつつ、牧柵内に立ち入らなかった見知らぬ登山者に安堵と、好感を覚えた。

 赤羽さん、84歳のヒーローが来ているのだと山の神に伝えて下さい。そして、たった1名の雪上講習のためにのみ登るのでは、老躯は泣くとも。クク。

 光の明度が上がる、3月の入笠牧場が待っています。3月の3,4日は約1名様の雪上講習を兼ね上にいます。人数にはこだわりませんが、要予約。
 営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。


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