少しづつ暖かくなると、戸外の活動が知らず知らずのうちに増えていく。冬の間、山野草を保護してくれていた枯れ葉を掻き集め、その下から生え出した小さな芽がさらにもっと自由に伸びるようにしてやった。そして、やがては雑草に埋もれてしまう我が陋屋の庭であるのを承知で、今のうちだけでもと少しだけ草を毟る。
滅多にしないこんな作業を興に任せてした挙句に、草毟り用の鎌を2丁もどこかに置き忘れ、なくしてしまった。これもまた気紛れの結果である。
用事があって高遠まで行ったら、驚いたことに、途中にある笠原の堤の周囲はすでに桜が咲いていた。そればかりか背後の山にも、まだ芽吹く前の雑木林の中に桃色の灯りでも点したような桜の花がポツンポツンと見えていた。花の開花は例年よりか10日くらい早いのではないか。桜目当てだろう、県外車も大分目に付くようになってきた。
肝心の高遠城の花は別のことに気を取られていてよく覚えていない。別のこととは、春の日を浴びて輝く中アと南アの残雪の山々のことで、それらにばかり目を奪われ、花のことをすっかり忘れてしまっていた。特に中アの空木から西駒に至るゴツゴツとした山稜の眩いばかりの雪の白さ、この峻として美しい山嶺が花の背景として存在しなければ、「天下一」とか言って自慢するタカトウコヒガンザクラも、鯱鉾(しゃちほこ)のない天守閣のようなものだろう。(3月30日記)
きょうで3月も終わる。車検、付保、そして後期高齢者の運転講習、免許の更新、2件の福島村騒動に加えて2回の入笠行、結構いろいろあって忙しかった。だからなのか、この1か月は長かったような気がする。
そんな中、散歩の回数はすっかり減ってしまったが、心のラジオ体操は続けている。もっとも、covid-19騒ぎの時には、検査方法がよく分からずについ苛ついて、その様子を目にしたTDS君からは「いくら座っても、あまり効果はねえな」と、白い目で見られるような段階に、未だあるのだが。
カタクリ峠には2日、入笠の除雪は3日、そして4日か5日には撮影の下見、中旬には1泊の温泉行、そしていよいよ20日には牧を開く。
木々の芽吹きが始まり、鳥の囀りを聞く。牧は明るい光を浴びて草が萌え、渓を流れる水音も快い声で歌い出す。牧に山桜が咲くころには、きっと生活の中心も上に移るだろう。
本日はこの辺で。