入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「春」(23)

2023年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 少しづつ暖かくなると、戸外の活動が知らず知らずのうちに増えていく。冬の間、山野草を保護してくれていた枯れ葉を掻き集め、その下から生え出した小さな芽がさらにもっと自由に伸びるようにしてやった。そして、やがては雑草に埋もれてしまう我が陋屋の庭であるのを承知で、今のうちだけでもと少しだけ草を毟る。
 滅多にしないこんな作業を興に任せてした挙句に、草毟り用の鎌を2丁もどこかに置き忘れ、なくしてしまった。これもまた気紛れの結果である。

 用事があって高遠まで行ったら、驚いたことに、途中にある笠原の堤の周囲はすでに桜が咲いていた。そればかりか背後の山にも、まだ芽吹く前の雑木林の中に桃色の灯りでも点したような桜の花がポツンポツンと見えていた。花の開花は例年よりか10日くらい早いのではないか。桜目当てだろう、県外車も大分目に付くようになってきた。
 肝心の高遠城の花は別のことに気を取られていてよく覚えていない。別のこととは、春の日を浴びて輝く中アと南アの残雪の山々のことで、それらにばかり目を奪われ、花のことをすっかり忘れてしまっていた。特に中アの空木から西駒に至るゴツゴツとした山稜の眩いばかりの雪の白さ、この峻として美しい山嶺が花の背景として存在しなければ、「天下一」とか言って自慢するタカトウコヒガンザクラも、鯱鉾(しゃちほこ)のない天守閣のようなものだろう。(3月30日記)





 きょうで3月も終わる。車検、付保、そして後期高齢者の運転講習、免許の更新、2件の福島村騒動に加えて2回の入笠行、結構いろいろあって忙しかった。だからなのか、この1か月は長かったような気がする。
 そんな中、散歩の回数はすっかり減ってしまったが、心のラジオ体操は続けている。もっとも、covid-19騒ぎの時には、検査方法がよく分からずについ苛ついて、その様子を目にしたTDS君からは「いくら座っても、あまり効果はねえな」と、白い目で見られるような段階に、未だあるのだが。
 カタクリ峠には2日、入笠の除雪は3日、そして4日か5日には撮影の下見、中旬には1泊の温泉行、そしていよいよ20日には牧を開く。
 木々の芽吹きが始まり、鳥の囀りを聞く。牧は明るい光を浴びて草が萌え、渓を流れる水音も快い声で歌い出す。牧に山桜が咲くころには、きっと生活の中心も上に移るだろう。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’23年「春」(22)

2023年03月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今週末か来週早々には、この雪を除去するために上に行く。今年こそは除雪車を入れてくれるように要請したが行政の重い腰は上がらず、農協が支援してくれるところまで話は進んだが結局、いつもの年と同じように他人の手を借りず除雪は自分ですることにした。
 開山祭の前には林道の缶拾いに多数の職員を動員し、農協にも声がかかる。廃土板を装置したトラックを走らせて除去した土を路肩へ盛り上げ、結果的にはその土が排水路に流れるはずの雨水を塞ぐという、素人には理解に苦しむことならしてくれる。しかし、それだけだ。



 きょうもいい天気だ。こんな陽気ならカタクリの蕾が花を開くかも知れない。ようやく、わが家の土に慣れてくれ、さらに仲間を増やしてくれるなら、どれほど喜ばしいことかと思う。それにしてもここ何年も、こんな野の花にこれほど一喜一憂するとは思わなかった。
 
 いや、しかし、あの訪れる人も稀な峠の灌木林の中で、あのカタクリはその姿を誰にも知られず、野生のままで終わる方が良かったのか、とも思う。あの場所も年々環境が変わり、悪化し、もしや花を咲かせることができなくなったとしても、だ。
 確かに花はあの元の環境が合ったからささやかな生を得ることができ、仲間を増やせたということだろう。仮にここへ移植したことで多少寿命が延びたとしても、人が考えるように花が喜ぶわけではない。あくまでもそれは人の妄想であって、自然は人のためにあるのではなく、自然は自然のためにある。余計なことをしたのかも知れない。

 昔し、「ガイア仮説」などという言葉を耳にした。地球を自己調整機能を持ったひとつの生命体と見做す考え方で、「ガイア」とは大地の女神のことだったと記憶している。
 46億年の歴史を持つ地球は、たったの20万年かそこら以前に登場したホモサピエンスのせいで、われらも属する生命体・ガイアが、本来備えていた調整機能を上手く働かせることができなくなってきたと主張するのが、この「ガイア仮説」のあらましだ。近年加速する温暖化などはその典型的な例になるだろう。
 となれば、その機能回復のためにもしも女神が、人間は地球にとってcovid-19のようなウイルス的存在だと判断を下したならどうなるか。人類は存続できても、その未来はかなり悲観的になるのだが、そうなるかも分からない。
 
 いや、カタクリから話が飛躍し過ぎた。本日はこの辺で。
 

 
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     ’23年「春」(21)

2023年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ボケの木が白い花を咲かせた。オオウチワ、イカリソウも芽を出したし、諦めかけていたカタクリもひと株だけ蕾を抱いて土の中から顔を出した。昨日の朝は気付かなかったから、草花は勢いが付けば、こんなふうに一気に成長するものなのだろうか。
 
 そろそろ毎年恒例にしているカタクリ峠へ行かねば。青い空、快い風、明るい光の中を幾つもの渓や尾根を繋ぐ1本の林道を、山深くまで車を頼りに上っていく。
 これまた毎春同じことを呟くが、初めてここを訪れた時の目を見張るような花の群落が目に浮かぶ。林道の斜面10㍍ほどに渡って、誰かの手で植えられたのかと思うほど整然とカタクリが花を咲かせていた。草花などにはおよそ関心のなかった者が、初めて目にした印象深い光景であった。
 
 それにしても、あの花がカタクリだとどうやって知ったのか、思い返しても分からない。もしかすれば一緒にいたT君のお蔭だったかも知れないが、その彼は世を去り、尋ねようにも今は術がない。
 それから何年もして久しぶりに行ってみたら、すっかり灌木が斜面を含めて辺りを覆い尽くし、様子は一変してしまっていた。それでもカタクリは、斜面の上の灌木の間に場所を移したのか、人の目から隠れるようにして花のない葉だけが確認できた。以来毎年、ここを訪れるようになった。
 
 峠を越すと、視界の大方を占めるのは山また山、芽吹きを控えた乾いた山腹がどこまで行っても次々と現れて続く。頭上の空を省けば、それ以外は何も見えない。しかし、そこがいいのだ。早春の日を浴びて山々がようやく暖かく見えるようになったここの風景は、カタクリと並ぶ主役になりつつある。
 林道はやがて清冽な流れに沿って狭い谷を麓の集落へと下っていく。やがて現れるまだ営業前の人気のない釣り堀も懐かしい風景である。

「福島村カレー騒動」にも触れておかねばと思いつつ、もうあれは大分遠い日のことのような気がする。何事もそのように足早に去っていこうとする。

 3年間赤字を続けたかつての「CAMP ONE」時代も、煮込み料理、中でもカレーには自信があったし、評判も良かった(赤字の大半の理由は原価管理がいい加減だったせい)。今回も、寸胴鍋1杯、20人分くらいを作った。口うるさい面々が大人しく食べていて、大騒動にはならずに済んでヤレヤレということに。
 本日はこの辺で。
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     ’23年「春」(20)

2023年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 14日以来、約2週間ぶりに、また上に雪の状況を見に行く。気になっていたド日陰には相変わらず軽トラックが放置されていたが、今回はその横を通過することができた。林道の雪は驚くほど融けていて、1,2カ所緊張するところもあったが、小屋までほぼ難なく行くことができた。
 
 下の写真は初の沢の大曲りを過ぎた所で前方に倒木が道を塞いでいたので処理した際に撮った1枚。この先は第2検査場まで緩やかな登りとなり、結構長くまで雪が融けずに残っている。下から歩いてくるとこの辺りで先が見えてきて、早く登行を終えたくていつも気の急く辺りだ。



 しかし、牧場内にはもう1カ所、入笠山の登山口へ行くまでに残雪の気になる場所、「上の大曲り」があり、車を走らせ行ってみたら案の定そこは凍結した雪が多量に残っていて、先に進むのは無理だった。



 やむなく引き返し、ひとまずは牧場から出て、北門から約3キロ下った焼き合わせまで戻り、そこから今度は右折して大沢山の北側を巻く未舗装の急な山道を鐘打平、入笠湿原経由で登山口まで上った。そこからなら下りとなり、通行を阻んでいた「大曲り」まで行けるだろうと思ったが、融け始めた重い雪に阻まれ、無理して車が”カメ”になれば厄介だと諦めた。
「入笠ヒュッテ(旧マナスル山荘本館)」に立ち寄り、少し情報交換をしてから帰ってきた。

 帰路はオオダオ(芝平峠)から芝平へ下らず、そのまま「枯木の頭」、「千代田湖」経由で道路の様子を見ながら来たが、雪も凍結した箇所もなく、通行には何の支障はなかった。ただ、千代田湖から少し下ると、3月28日から4月15日まで工事のため通行止めになると看板が出ていた。
 たった2,30㍍の除雪は渋るくせに、小豆坂トンネル、芝平の村中、そして今の千代田湖などなどと、この時季はそこらじゅうで道路工事が盛んになる。

 上ではかなりの頭数の鹿を目にした。ようやく永い眠りから覚めたばかりの山だが、これだけ雪が少なくなれば彼らの活動の場所は当然牧場へと移ってくる。牧草が気になる。
 雪の融け方が1ヶ月近く速いと言っていいだろう。里でも高遠の花はそろそろ咲き出し、週末には見頃を迎えるのではないだろうか。温暖化が予想外の早さで進んでいるようで、今回もそのことを気にしながら帰ってきた。
 本日はこの辺で。
 


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     ’23年「春」(19)

2023年03月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など




 毎春同じことを呟くが、梅や桜のように木に咲く花の方が地べたに咲く草花よりか好きだ。中でも花と言えば桜のことで、桜と言えば山桜のことだと思っている。今年は、いつもよりかこの辺りでも花の咲き出すのが早い。

 朝起きて早々に、昨日目にした「策立て」の桜の花を見に行ってきた。この辺りでは此処ともう1本、ある会社の庭に植わっている木が最も開花が早く、どちらも古木ではなく若い木である。それだけ生命力が強いのだと、昨日駒ケ根へ夕飯を食べに行く途中、食通の元製材会社の社長が蘊蓄を傾けるように言っていた。
「柵立て」というのは、その昔も江戸のころ「暴れ天竜」の異名を持つ天竜川の護岸工事に用いられた工法「柵立木工沈床工事」から来ている地名だとか。文化年間には1万7千を超える人がこの作業に駆り出されたと、新道路が建設された際に設けられた近くの案内板に記されている。(3月24日記)

 段階を踏むようにして季節は進み、野山に生気が戻ってきつつある。陽気に促されて、田や畑に人の姿を目にするようになってきた。
 
 山の雪のことが気になるから、来週になったらまた林道の様子を見にいくつもりでいる。すでに牧場へは撮影のための下見、いわゆるロケハンの依頼が幾つも来ているが、除雪に関しては今年もはっきりとしたことは皆目分からず、すでに1件は撮影そのものを断わざるを得なかった。
 除雪といっても大した費用がかかるわけではないのに、行政が重い腰を上げようとしないのは例年のことだ。いくら腹立たしい思いをしても、それすら伝わるべきところへ伝わっていかない。実にもどかしい。熱が冷める。
 
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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