入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(46)

2024年09月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 きょうも曇天、囲いの背後のコナシ、白樺、落葉松の混成林にも、権兵衛山を包んだ雲の切れ端がゆっくりと流れていく。静かだ。日の射さないせいか、周囲の渋めの秋の色が静けさをさらに深めている。

 入笠牧場で18年という長きにわたり働き、最近の2年ほどはここを生活の場にもしている。だから、周辺のことはよく知っていると言ってもいいだろう。
 それにもかかわらず、まだ行ったことのない場所が極めて身近な場所にあった。以前から気になっていたが、そのうちにはと思っているうちに行かずじまいで歳月が流れた。
 その場所というのは富士見側にある「沢入」から「入笠湿原」に至る登山道のことである。

 昨日(28日)、ふと、片道1時間かそこらの山道に過ぎない、往復すればいいだけのことだと思ったら、居ても立っても居られず、秋の午後も3時過ぎ、少々遅いと思ったが出掛けることにした。
 こんなことを思い付いたのも焼き合わせのツタウルシの紅葉を見ようと出掛けた帰りのことで、それが期待はずれっだったせいでもある。まだ早過ぎたかも知れない。
 
 歩き出しは、入笠山の登山口にある駐車場からにした。3時を過ぎていたと思っていたが、折り返しの沢入で時計を確認したら3時25分、駐車場へ戻ってきたのが1時間後の4時25分だったからそんなわけはない。と言って、かなり速足で下っていったから、下りに1時間はかかり過ぎの気がしないでもないが。

 そんなことはさておき、この登山道は勾配もそれほど急ではなく、よく踏み固められていて、長年多くの人が通った道だったことが分かる。整備もひと昔前までは丹念に行われていたことが随所に認められ、想像していた以上のいい山道だった。
 時間的なこともあってか、下りで夫婦らしき1組を追い越し、登りで下って来る1名の登山者に出会っただけで、谷川を流れる水音を聞きながら静かな気持ちの良い山歩きができた。
 この山道から入笠山に登れば、これなら「登山」と呼んでもいいだろうと、そんなふうにも思ったりしたものだ。(9月29日記)

 富士見町としては、今はひとりでもゴンドラに集客したいだろうから、ここであまり古い登山道の良さを強調したら有難迷惑だろう。しかしそれでもこの登山道を知っておいて、いつか歩いてみることをお勧めしたい。
 きょうはもう少ししたら里へ下る。

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 本日はこの辺で。

 
 
 
 
 

 
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      ’24年「秋」(45)

2024年09月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は霧が深い。午前7時半の気温は13度と、たった3度ほどの違いでも先日来の気温10度と比べたらかなり過ごしやすく感じている。いつだったか、気温が10度以下まで下がったのを機に炬燵を用意したものの、電気はまだ入れてはいない。
 今までの習慣で、外に出てつい霧の中に牛の姿を探そうとして「もう牛はいないのだな」と、改めてそのことを実感した。こういう思いはまだしばらくは続くだろう。
 今週末は珍しくどこからも予約が入っていない。

 牛が下牧したあと、昨年はどんなことをしていたかと今後の参考にするため前年の作業日誌を見ていたら、牧を閉じたのは今年よりか早く、9月の19日だった。もう、そういうことはすっかり忘れていた。
 しかも、残留牛が4頭も出たことを日誌を読むうちに思い出したが、その牛たちの「調教を始める」とはあるものの、いつ里へ降ろしたかの記述はない。詳しく思い出そうとしても、その1年前の残留牛の印象、記憶の方が強く、それと重なったりして、まさに霧の中。
 
 その後、間を挟んで1週間ほど映画の撮影が続き、それなりに忙しく過ごしたことが日誌に記されている。もちろんそのことは忘れずに覚えていたが、しかし、それが下牧後のこんな時季だったとは驚いた、忘れていた。
 遠い記憶を呼び起こすうち、あとからあとから争うように幾つもの記憶の断片が映像のように甦ってきた。政策担当者、監督、老女優・・・。
 照明係の親方は、軽トラで機材の搬入を手伝う管理人が短気を起こさないようにとの配慮でか、トラックの隣席にいつも気のいい女性の照明担当者を座るようにと言い付けていた。彼女は結婚したのでその仕事を最後にすると話していたが、どうしたか。
 押し入れには2足の冬物の靴下があるが、それも気配りの親方から頂戴した物だ。
 
 一合一会、まさにそうだ。こんな静かな曇天の秋の日に、そんなことを思い出しながらいい時間が過ぎていく。雨が降らないようなら、焼き合わせにでもツタウルシの紅葉でも見にいくか、それとも少し森の中でも歩いてみるか。
 朝から1台の軽トラが通っただけで、登山者の声もしなければ、姿もない。
 
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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
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      ’24年「秋」(44)      ’

2024年09月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前2時から起きている。撮影関係者の乗り込みは3時半の予定のため、もう少し眠る時間はあったが、眠る努力が面倒になりこのまま起きているつもりだ。長い一日の始まりである。
 明日の下牧に関しては、きょうはそんなことをやっている余裕がないので、昨日のうちに囲いと追い上げ坂の2か所にすでに牛たちは集めてある。
 
 昨日の5時少し前に第1牧区へ行くと、塩場の近くにいた牛たちがすぐにやってきた。そこまでは良かったが、ないと思っていた塩が塩鉢の中にまだ残っていたのに気付いた牛たちはそれに夢中になり、いくら呼びかけても誘導には応じない。根気比べが始まった。
 
 塩はいつものように5番が2鉢あるうちのひとつを独占し、もう1鉢に他の牛たちが群がった。中にはその群れに入れずお預けになる牛もいた。
 感心したのは普段は専横をほしいままにしている5番であったが、全頭が塩をなめ終わるまで近くでじっと行儀よく待っていて、その後皆を連れて近くの放牧地へと移動した。
 あの牛は小高い丘に到達したその5番であったか、しつっこく声を上げる人間が眼下の追い上げ坂へ至るゲートを開けて呼んでいるのに気付いらしい。それでようやく1頭が一目散に走ってきた。そうなればもう世話はなく、軽いstampede(集団暴走)状態となって他が追随し、その勢いのまま斜面を駆け下っていった。(9月26日)

 撮影は、歌姫をを始め皆から喜ばれ、感謝されて無事に終わった。そしてきょう27日、予定通り牛たちは里へと下りていった。
 囲いの中はがらんとして、なんとも物寂しい風景になってしまっている。これから第1牧区へも行くつもりでいるが、曇り空とそこも牛のいない広大な草原だけが役目を終えて待っているだろう。

 ビールの減るのと日の経つのは同じように早いと以前に呟いた。それに、牧場にいる牛の期間も加えなければならない。
 もう明日から牛たちのことは気にしなくてもいい。大雨に濡れて、木の下に寄り添うようにして佇む一群の牛たちに同情する必要もなくなった。脱柵と事故は絶えず付きまとう不安であり、電気牧柵の電圧や断線もまた頭から離れることはなかった。

 牛たちは囲いにいたのも、追い上げ坂にいたのもパドックに入れられ、検査を終えると縄を打たれ、トラックに乗せられて去っていった。今年はあまり暴れる牛もいなかったし、残留牛も出なかった。今頃は狭い牧舎の中で、自由に過ごせた山の上の暮らしを懐かしんでいるだろう。

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      ’24年「秋」(43)

2024年09月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     この囲いは牛がいなくなれば鹿の捕獲用の罠になる
 
 いつもこの独り言に耳を傾けていただき、ありがとうございます。本日25日、26日は下牧を前に業務多忙のため、沈黙いたします。
 
 ここには本格的な秋が訪れています。牛はいなくなりますが、深まりゆく秋を求めて是非お出掛けください。

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      ’24年「秋」(42)

2024年09月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ワレモコウはその季節を終え、ノコンギクも終わりつつある。昨日の午前7時の気温は8度、今朝は6時の段階で10度と、ぼつぼつ衣替えが必要になってきた。
 霧が深い。囲いの背後の落葉松やシラカバの木は薄い墨絵のように見えているだけで、中に牛の姿はないようだ。少しづつマユミの実が赤く色づき始め、コナシは黄葉(こうよう)を待てずに散る葉も多い。
 
 外に出てみたら、いないと思っていた牛たちが囲いの中にいた。北の隅に固まっていたため、見えなかったのだ。
 あの牛たちもここにいるのは残すところ3日、4日目の27日金曜日には里へ下りていく。いつもなら下牧は大体10月に入ってからで、少し早いと思ったが、草の状態などを見ればそれも止むをえまい。それに、下ではいろいろな秋の行事、催し物の予定があるようだ。
 
 この仕事を始めて何年かは、ロープに縛られトラックに乗せられて山を下っていく牛の姿が哀れに見えた。と同時に、当時は牛の数も多く、放牧期間も今よりか長かったから大きな安堵感も覚えた。今もそういう相反する思いがないとは言わないが、気持ちの切り替えには大分慣れた。
   行きずりの花の宴さびしくもたふとしや   
 作家の思いとは違うかも知れないが、ふと、こんな言葉が浮かんだ。
 
 牛のいなくなった牧場で何をするのかとよく聞かれる。することはある。牧柵の整備、電気牧柵の冬支度、作業道の整備、枝打ちなどのほか、鹿対策もあればここを訪れる人たちへの対応などが残っているし、撮影の予定も入っている。
 預かった牛のいた時とは違い緊張感は薄れても、肉体労働はまだまだ続く。そしてその間に、深まりゆく秋を味わい、目に触れ、音で聞いた様々なことを少しでも多く記憶と体内に沁み込ませておきたい。

 霧が晴れた。夜露に濡れた草や木々の葉が日の光を浴びて輝きだした。やわら日の中で短い秋の一日がきょうも始まる。

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