入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’17年「秋」 (38)

2017年09月29日 | 入笠周辺の山と谷


 文句なしの秋日和、予定通り種平小屋夫妻と芝平の諏訪神社から「初の沢」に入渓し、特に困難もない気持ちの良い谷を2時間半ほどかけて牧場に達した。さらにしばらく遡行を続け公道に出て、そこからは「岩っこルート」を選び、下降路の判然としない所もあったが、何事もなく出発点まで下った。下降に要した時間は、途中「岩っこ」で昼食のため休憩したが、1時間半くらいだったと思う。初の沢は初めて、岩っこルートは2回目になる。



 事前に連絡してあったUme氏とは、岩っこルートに下る際に言葉を交わすことができ、心配して早朝に電話をくれた北原のお師匠とも、神社から再度車で牧場に上ってくる途中で出会えた。Ume氏のきょうのPHは、また近々に、ご期待を乞う。
 牧場に戻ってみると牛奴らが、塩をくれろと走ってきた。その後、少しうたた寝をした。もう6時半、外は素晴らしい上弦の月が中天に輝いている。最近、夜の山道を帰るのがすっかり日課になってしまった。
 
 いつものように、今回もあまり詳しいことは書かないでおいた。ただし「種平小屋」でも今回の山歩きについては検索できるから、そちらの方でより詳しい情報を得ることができると思う。
 なお、この初の沢は最終段階で牧場内に入り、岩っこルートも出発点は牧場から始まるため、計画に際しては必ず事前に許可を得るようにしていただきたい。

 これからの季節は時代遅れの山小屋がオススメ。キャンプ場及び山小屋の営業内容につきましては、「H29年度の営業案内」「続H29年度の営業案内」を参考にしてください。


 

 
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    ’16年「秋」 (55)

2016年10月27日 | 入笠周辺の山と谷


 稜線に出てから2時間半ばかりをかけ、12時45分、白岩岳の山頂にに到着した。この間、登山道とは言えないまでもクマ笹や、灌木の生い茂る稜線にはかすかな踏み跡が認められ、登行の全てを藪漕ぎと言っては当たらないだろう。標高差で260メートルばかり登る間には、小ピークが幾つかある。ややもするとそれらの山腹を巻きたくなるし、そういう踏み跡が誘惑するが、努めて稜線から離れずに進んだ方が間違いない。

 で、きょうの写真は白岩岳山頂で写した石柱である。「天保5年甲午八月五穀成就」は、「てんぽうごねん きのえ うまのこく はちがつ ごこくじょうじゅ」と読めばよいのか。天保(1830-1844)といえば大飢饉が続いた時代だ。百数十年も前、誰かがここまで登ってきて五穀の実りを祈願したのだ。
 飢饉に苦しむ村を代表して来たのか、一人の肩に背負われて来たたのか、複数の人によってか、はたまたどんなルートを登ってきたのかと次々に湧いてくる疑問を抱きつつ、当時の人々の思いが胸に沁み、伝わってきた。



 最後に、今回の登山コースの紹介、案内としてこれでは不十分であると承知している。しかし、多くのこのブログの読者にとっては退屈だろうと思うから、詳しいことについては今回も触れない。興味と体力、それと自信があれば是非、と言うだけにしておきたい。多分、大学のワンゲルあたりが試してみれば面白いと思う。問い合わせには喜んで応じたい。
 旧営林署作業小屋からの登山道と比較して、われわれ3人のこのルートの評価はおおむね一致している。悪くはない。いいルートも考えられた。ただ、深い谷の奥の道なき尾根を何百メートルも登らなければという点では、やはりここを登山コースとして紹介するには早計だろう。
 帰りは足を痛めた愛犬HALを背負って、旧営林署作業小屋へ下るコースを選んだ。どうも最近大勢の登山者が来たようで、その際に、標識布替わりにピンクの蛍光色のビニールテープを随分と括り付けて帰ったらしい。しかし、これもやり過ぎては目障り以上の何物でもない。

 山から帰ると風呂を沸かし、かつて亡妻がしてくれたようにビールを持っていって、ゆっくりと風呂の中で飲んだ。あのころと同じような満足感が、全身に拡がっていった。

 A山さん、O沢さん、コメントありがとうございました。今後もよろしく願います。
 

 
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    ’16年「秋」 (54)

2016年10月26日 | 入笠周辺の山と谷


 昨夜の雨で木々はまた大分葉を散らしたが、それでも秋はよく持ちこたえている。朝方まで雨だったようだが、芝平の谷を上るころにはすっかり晴れ上がり、気持ちの良い秋日和となった。

 さて昨日の続きになるが、白岩岳およびその周辺の山域は滅多に訪れる人もなく、南アルプスの静かな環境が守られている。ただそこへ至る登山道は、釜無山から踏み跡のはっきりとしないクマ笹の稜線を超えて行くか、昨日も述べたように小黒川林道の旧営林署作業小屋から尾根を急登するしかない。いずれも、あまり一般向きとは言えない。
 それで、もう少し違ったアプローチの方法がないかと、以前から持っていた案の一つを、種平小屋の高橋夫妻と一緒になって試してみようということになって、一昨日の山行となった。なお、高橋氏ともう1名N君とで、すでに先述のように一度この沢に入渓し、1千700メートル付近までは踏査済みとなっていた。

 コースタイム

  7:00 出発(小黒川徒渉)
  9:00 1千700メートル
 10:15 2千000メートル
 12:45 白岩岳山頂
 13:15 山頂出発
 15:30 営林署作業小屋跡着

 前回は、笹平沢が三方に分かれる1千600メートル地点で、真ん中の沢を地図に従ってさらに遡行し、途中から左に落ちてきている尾根の山腹に取り付いたが、今回はその沢に入らず尾根の正面を登ることにした。そして1千900メートルくらいまで登ってから右に斜上し、2千メートルの稜線上にある鞍部に出ようというのが大雑把な計画だった。
 急登する尾根では、獣道だか古い作業道だか分からない踏み跡がやたらと交錯してくるので、登路を尾根の主稜から外さないように注意し、あとはひたすらがむしゃらに高度を稼ぐことだけに専心した。2時間ほどの苦闘だった。
 秋の柔らかな日を浴びた稜線では、左右に開けた雄大な眺望が待っていた。まず千丈岳が姿を現し、次いで釜無川の支流が削った荒々しい沢のその上部に、鋸や堂々たる甲斐駒が目を引き、その奥に北岳がドッカリと構えるように山容を見せていた。さらに細い稜線の右手に目を転ずれば、中央アルプスや北アルプスが、遥か南から北方まで峰々を並べて続いていた。
 また鞍部からは、富士見へと下っていく道らしきが、クマ笹の生い茂る斜面に微かに見て取れた。こんな険しい山道を一体どういう人が歩いたのかと、いつのころとも思い当たらぬ時代の旅人のことが頭の中をよぎった。(つづく)

 富士見からの交通規制は11月6日まで、7日から11月一杯は規制がなくなります。冬季の営業についてはカテゴリー別の「27年冬季営業」を
参考にしてください。 
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    ’16年「秋」 (53)

2016年10月25日 | 入笠周辺の山と谷


 本日も高曇り、辺り全体の森や林、放牧地に、初冬とまでいかぬも晩秋の趣を感じるようになってきた。日が射しているかいないかの差で、季節感が大きく揺れて、いい季節の後ろ姿がいつしか見え始めるようになった。

 昨日は予定通り、種平小屋の高橋夫妻と笹平沢から白岩岳の現地踏査に行ってきた。天候はいつになく友好的で、稜線に出てからは風もあったが大きな真っ青な空の下で、久しぶりに普段の仕事を離れて秋の山を堪能できた。
 
 2万5千分の1の地図には、笹平沢の流れに沿って登っていく山道があり、沢が分岐する辺りからさらに道は山腹を上部へと続き、釜無山と白岩岳を結ぶ標高2千メートルの稜線上に続いている。さらにその鞍部から長い距離を経て、道は富士見へと至る。また、笹平沢出会いから少々現在の林道を下ると、右手にフトノ峠に登る山道があり、峠を経れば山室の集落へと下っていく。つまりこの山道は、いつのころまで使われたかは不明ながら、伊那側と富士見側を結ぶ役割を果たしてきたようだった。しかし現在は、フトノ峠に至る以前に山道は途中から獣道と判別がつかなくなってしまい、かつてのように利用することはできなくなっている。
 笹平沢も、前回は1千700メートルまで行きながらついに上部へと続く山道を発見できず、天候のこともあり、急峻な尾根のそれ以上の登行を断念して帰ってきた。ただ断念はしたが、その後もずっと引きずっていた。
 なぜそんな山道にこだわったかと言えば、現在使われている小黒川林道からの白岩岳ルートは、樹林帯の中にある相当急な尾根道を、標高差千メートルもひたすら登らなければならず、ために中級山岳の登山路としては一般向けとは言い難かった。だからもしも、笹平沢から稜線にある無名の峠までの山道が通行可能となれば、白岩岳を中心とした南アルプス北部への入山方法が一つ増えることになる。新たに渓谷美を楽しんだり、素晴らしい眺望の稜線を行く魅力的な登山道が期待されたのである。(つづく)



 愛知のNさん、東京のTさん、了解しました。Tさん、「ポン酢を持っていく云々」は鹿肉のことを言ってるのならバターも忘れないでください。ただし、まだ在庫は半身だけです。
 O沢さん、昨日の山行では幾つもの呂マークの石標を見ました。どうします?




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    ’16年「夏」 (51)

2016年07月09日 | 入笠周辺の山と谷



  思い決めた通り昨日は、仕事を1時間ばかり早く切り上げて小黒川林道を下った。この梅雨の時期、崩落を繰り返す林道の通過は普段ならばやらない。仙流荘で風呂を浴びるという目的の他に、笹平沢の入口を再確認しておきたいという気持が、同じくらい強くあったからだ。
 富士見に移り住み、1年の大半を単身で暮らしながら南アルプスの北部に詳しいM氏から、笹平沢に沿って木材の搬出道路ができたと最近になって聞いた。その時は即座に、それは東谷の勘違いだろうと言って否定はしたが、こちらが笹平沢だと決めていた沢が、万が一そうではない可能性が全くないわけではなかった。
 この沢にその昔には山径があって、現在もなお通行可能であるなら白岩岳方面への登山路として使えるかも知れないと、かねてより種平小屋の主人とその踏査について話をしていた。その沢を笹平沢とした根拠は2万5000分の1の地図ともう一つ、「フトノ峠」に通ずる古い山径の存在で、対岸の笹平沢と思われる沢から約300メートルほど林道を下った右手に、その径が現在も残っているはずで、そのことは知っていた。
 東谷を過ぎてしばらくして、対岸の狭い、しかし水量はかなりあるの笹平沢出会いを確認した。もちろん、搬出道路などその谷にはなかった。それで今度は、沢の対岸にフトノ峠に通ずる山径を見付ければ、地図と現地が一致することになる。そう思って、一度は獣道で時間の無駄をした後、慎重に車で林道を下っていった。見逃し、下り過ぎたかと思い掛けたところで、右手から落ちてくる急な斜面に1本の古い山径が斜上しているのを見付けた。それが正しくフトノ峠に通ずる山径であった。
 以前、鹿嶺高原までを往復したときの帰路、フトノ峠からその古道を下ろうとして痛い思いをしたことがあった。その話を北原のお師匠にしたら、峠に通ずる山道の途中には、神社があると教えてもらった。富士見のM氏も同じその山径からフトノ峠を目指し、途中で登路がわからなくなり断念した折、その神社を見たと言っていた。
 それでついでにと、その神社まで足を伸ばしてみることにした。(つづく)

 待望の天体望遠鏡をかんと氏が「雨も連れて(本人の言葉)」、ここまでわざわざ持ってきてくれた。恐悦。
 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H28年度の案内」をご覧ください。
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