入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「冬」(21)

2024年11月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     この人気のないうらぶれた管理棟を見るのは切ない
 
 中ア経ヶ岳(2、296㍍)にもついに雪が降った。山頂付近ばかりか山腹の中段、えぐられたような深い谷も幾筋もの白い線ができている。昨日、用事で出かけた帰り、天竜川の西側の段丘から入笠方面を見たら、第3牧区のある大沢山の西斜面も一面が真っ白で驚いた。
 小春日和が続いていると思っていたら、今週に入って季節は豹変し、冷たい雨は降るし、風の音にも、青い空の色にも、本格的な冬の到来を感じている。昨夜も山は雪だったようだ。

 今朝9時の外の気温は8度だった。上と里との温度差は大体6度ぐらいだから、入笠周辺も氷点下にまではならなかっただろう。これで好天が続けば、日の当たる所は雪は融けても、果たして日陰の多い伊那側の山道はどうだろうか。そういえばきょうで11月も終わり、明日からは師走。
 昨年は12月に入って何度か雪が降り、越年に車で行けるか大分気を揉んだが幸い上までなんとか行けた。一昨年はそれができず、法華道を歩いて登ったと、記録にある。
 
 昼近くになり、部屋の中まで日が射すようになって大分暖かくなってきた。陰鬱な雲が気に入らないが、ストーブを切っても大丈夫そうだ。
 里の暮らしもいろいろとあって結構慌ただしい中、早や10日が過ぎた。まだ、ここの暮らしに慣れたとは言えず、特に所用で市街地に出ると、牧や山道と違い行き交う車に血圧を上げてばかりいる。
 また上にいれば、食料の買い入れか風呂に行った時以外に現金は必要ないが、里にいると毎日のようにそれが懐中から去っていき、「オアシ」とはよく言ったものだと感心し、かつ、こんな有様では冬を越せないかもしれないと案じている。
 それは冗談にしても、半分くらいは真実かも、要するに現金を使うことに慣れていないのだ。まるで貨幣の流通しない場所、時代に生きていた者のようで嗤う。

 それでも、やはり里は便利だ。朝湯だろうが、朝酒だろうが、やろうと思えばやれないことはないし、睡眠は9時間、時には10時間を超え、エンゲル係数を上げながら食欲もいたって旺盛である。
 身体をもう少し動かさなければと思いつつ、うすら寒い外の天気を眺めているとその気になれず、一昨日から用意した炬燵に早くも囚われの身となってしまった。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 

 
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      ’24年「冬」(20)

2024年11月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     北八方面は雪雲の中

 予定通り上に行ったが無駄に終わった。雪のために先方が牧場管理棟まで来ることができなかったのだ。
 
 千代田湖を過ぎ、金鶏山を東に迂回する未舗装の荒れた道を進んだ。この時季になると毎年わずかな距離の道路工事が始まるためで、「千軒平」近くまで来て降雪があったことに気付いた。里が雨だった昨日か一昨日だろう、うっすらと行く手の道路を白くしている。
 晴れれば、あの程度の雪はすぐに融けてしまうが、あいにくきょうは気温が低く、曇天の空模様で、ついに自然が上への通行に干渉してきたのだ。

 用を果たすことができなかったので、取水場の様子を見た以外、小屋に長居はしなかった。湯を沸かしたり、炬燵の電気を点けたりすれば、その後始末に気を揉み、帰り道の途中から引き返したりすることがよくあるからで、それに冬ざれの山や小屋にも、いつにないよそよそしさを感じたせいでもある。
 まあ、それも陰鬱な雪雲だったり、頬に冷たい風、冬枯れの色彩の乏しい周囲の景色を目にしたこっちの印象であって、あそこに腰を落ち着ければまた違ったかも知れない。とにかく、半年以上をあの小屋で暮らして、まだ10日ほどしか経っていないのだから。(11月28日記)

 きょうはこれから松本の近くの山形村まで長芋を買いに行く。これは毎年のほぼ行事のようになっていて、上で行う越年にもこの芋を持って行くつもりだ。
 不確かながら、越年のために法華道を歩いたという記憶はない。伊那側からだと例年1月初旬くらいまでは車で行くことができ、今冬のことはまだ分からないが、多分大丈夫だろうと思っている。
 いや、愛犬キクを失ったのはある年の12月のことで、その時は芝平の第1堰堤から歩いている。やはり、年によってはこういうこともある。
 
 この18年、冬季に歩いて法華道を登らなかった年があっただろうかと振り返ってみたが、記憶にない。ひと冬に最低でも一度は歩き、小屋の日当たりの良い入り口で、ドロドロしたウイスキーを飲むのが楽しみだった。それを嬉しそうにここでも呟いてきた。
 冬の入笠や法華道など、と軽く考えていたころもあった。わざわざ夜道を歩いたこともある。それが、この18年間の間に少しづつ変わってきて、良き相棒だった犬たちはいなくなり、今ではスノーシューズも山スキーも使用者同様、"疲れ"を隠せなくなってしまったようだ。

 越年は人数に限りがあり、すでに予約されている人を省き、前年実績者を優先させていただきます。
 本日はこの辺で。
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      ’24年「冬」(19)

2024年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昼になって、どこかから聞こえてくる工事の音が止んだ。場所も、何をやっているのかも分からないが、ずっと朝から低い振動音が続いていた。
 上では、この時季になればこういう人工的な音はほぼ消えて、せいぜい風、雨の音、鳥、鹿の鳴き声を耳にするくらいである。
 ただし、今テイ沢の北斜面で伐採が行われていて、たまに風に乗ってチェーンソーの音だったり、材木の運搬路を確保するため重機の音が遠くから聞こえてくることもあるが、それらは自然の音に化けてしまい、耳には障らない。それどころか、時にはその音を聞いて、自分も励まされたりする。
 
 あの静寂がそろそろ懐かしくなってきた。特にきょうのような雪催いの日は、しんしんと降り続ける雪を眺めながら、無音の音を一人で聞いていればきっと、1時間や2時間は退屈などしないだろう。   
 いや、もしあそこに囲炉裏があり、榾(ほだ)を燃やしながらその火を眺めていられたとしたなら、縄打ち仕事がなくても、夜なべの母さんがいなくても、鉄瓶の湯が立てる音を聞いているだけで、充分に満ち足りた時を過ごすことができるに違いない。(11月26日記)

 まだ子供のころ、わが陋屋には煙で黒く煤けた囲炉裏が残っていた。冬は寒く、いくらそこで火を燃やしても背中はスースーしていたが、炬燵もなければ、もちろんストーブなどもなく、「飯台(はんだい)」と呼んだ長方形の食卓で正座をして朝夕の食事を摂っていた。
 それが、いつの頃か覚えていないが囲炉裏がなくなり炬燵に代わり、そのためたった一冬で正座が苦手になってしまったものだ。

 そんな事もあって、恐らく炊事にも役立っていた囲炉裏は今も郷愁を誘う。煮炊きにも第二のかまどの役目を果たしていただろうし、餅はそこで焼いた。炬燵に入れる炭も熾した記憶がある。
 今は便利になった分、生活の中の煩いから生まれる出汁のような味わいが薄れてしまい、便利な化学調味料で済ますようになったのと同じく、消えていった生活の味は多いと思う。

 山行では小屋を利用することは殆どなかった。今、呟いているのは、林の中にポツンとある個人用の小屋のことで、残念ながら半年以上を暮らした牧場の小屋も含めても「ひとりだけのウィルダーネス(東京創元社刊)」を超える小屋を思い浮かべることはできない。もっとも、あの小屋には囲炉裏を作ることは無理だろうが。

 本日はこの辺で。明日は上に行く。

 
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      ’24年「冬」(18)

2024年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも天気は申し分ない。ただ、気温は午前8時の段階で2度まで届かず、庭のモミジは音もなく葉を散らしている。そのうち、落ち葉焚きをやらねばならないが、「酒を煖め紅葉を炊く」かどうか別にしても、これはこの時季の楽しみの一つにしている。搔き集めたモミジから紫色の煙が冬空の中に立ち上っていくのを眺めるのはなかなか風情がある。
 今までは部屋が狭まっ苦しくなるからストーブとエアコンで寒さをしのいできたが、やはり炬燵が必要になってきた。

 それに、そろそろ散歩と、心のラジオ体操も再開しなければならないが、不思議なもので体操に関しては、あの上のような環境の中でこそ心を落ち着け、無心になれそうな気がするのに、実際はそうならなかった。陋屋の薄暗い部屋での方が落ち着いて集中できるというのは、自分でもよく説明がつかない。

 昨日の日曜日は午前と午後、別々の講演を聞きに行ってきた。午前は、伊那市の美すず青島に関する地元史を中心にした話で、講師の矢島さんの広範な知識に裏打ちされた熱意のある弁舌に、1時間半は瞬く間に過ぎた。
 入念に用意された資料も多岐にわたり、三峰川の水害とその対策への先人の苦労や知恵、また「赤穂浪士事件の生き残り」と伝えられる理鏡坊の話はあまり世間に知られておらず、興味深く聞いた。
 午後は信州大学の大窪久美子教授によるわが集落、福島区の斜面林に生息する植物や生き物を中心にした、生物多様性についての話を聞いた。
 もう少し里山に関する話、林業についての話を聞けるかと思ったが、先生の専門とは違ったようで、それでも子供のころに親しんだ裏山の記憶や、昆虫や動植物のことなどを思い出しながら聞くことができた。

 きょうはきょうとて、2時から農協で打ち合わせがあり、そのあとは高遠支所にも行く用事がある。
 こんな気持ちの良い天気には、牧場へ通うころによく目にした山室川の流域、山里の荊口に住む80を超えた老婆の日向ぼこしている姿を思い出すが、元気でいるのだろうか。
 本日はこの辺で。

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      ’24年「冬」(17)

2024年11月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日だったか、南アの仙丈にもついに雪が降り、昨日上に来るとき開田から見たらその雪は融けず根雪になったようだった。
 里にいれば、上は日ごとに遠くなっていく。しかし、いざ来てみれば、あの山径を昨日も車を走らせていたような気がして、牧場ばかりかそこに至る経路も、どうやら心身の奥深くまで沁み込んでいるのだと改めて感じたりした。

 昨日、それも昼を過ぎてから、撮影の話が突然舞い込み、やむを得ず急遽上に向かった。
 1週間ぶりの小屋で先方を待つ間、いつもの見慣れた五兵衛山を眺めていても、一向に倦むことがないから不思議と言えば不思議だ。生まれ育った里を含めて、これほどまでに慣れ親しんだ風景があっただろうか。
 
 この制作会社とは以前にも付き合いがあり、幸い、プロデューサー、監督、制作担当による下見(ロケハン)後の感触は悪くなかった。問題はいつもながら天候で、これまでは雨だったが、今度は雪の心配をしなければならなくなった。これは天に任すしかない。

 今朝は4時ごろ目が覚め、しばらく布団の中にいたが、面倒になって起きた。今、頂戴物の大根を煮ている。1本の大根を10個の輪切りにし、皮を剥き、面取りをして、ごく少量の醤油、そして酒を入れて、落とし蓋をしてじわじわと煮ている。醤油は一度に入れず、少しづつ・・・。
 (また文字が1行以上消えた。どうもこの行辺りが鬼門だ。)
 昆布は昨日から鍋の水の中に入れておいた。昔し読んだある漁業会社の出した本によれば、加熱すると昆布から良からぬ物質が出ると教えられていたからで、物質の名前は忘れたが、気合を入れる時はこの教えを守っている。
 
 昆布を鍋から取り出し、加熱して鰹節を加えて丁寧に出汁を引いた。その後、大根を入れ、落し蓋をして、もうすることはない。
 この呟きをここまでやった段階で、鍋の中の出汁と大根の味見をした。結構な味で大満足。あとは鉢に盛り、大根の上にゴマとへぎかつおを載せれば完成。
 しかし、これは立派な作品である。ガツガツ食べたり、あるいは朝からついでに1本温めて、などとやってはいけない。賞味の時間はしかるべき時を待つ。クク。Tご夫婦に感謝。
 それでも、折角だから1本温めようかな。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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