入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「春」 (19)

2020年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうで3月も終わる。実に早かった。それでいて、きょうの写真は先週行った身延山久遠寺で撮った花だが、それがつい1週間前のことだとは思えないほど、あの日は遠くへと行ってしまった。ひと月という単位で3月を考えれば呆気なさ過ぎるが、そこに数々の記憶を詰め込んでいくと、途端にその長さが過去へ向かって何倍にも延びる。結局はどちらも錯覚で、言うまでもなく3月は変わらぬ速度で時間を刻み、終わろうとしている。それにしても「今」という時間は、存在しても存在していないほど速い。どれほどの「今」が続けば1秒になるのだろうか。
 暖かくなってきて野良に人の姿が見えるようになったというのに、「いい歳こいて」途方もないことを言い出してしまった。

 鳥の声がさっきからずっとしている。ムクドリかと思ったが鳴き声はあんな品のない声とは違う。双眼鏡を持って外に出てみたら、さきほどまで柿木の枝にいた声の主たちは、いつの間にか姿を消してしまっていた。今年も、上に行くようになればしばらくは、野鳥の声とその姿を知りたくなって道中で右往左往することになるだろう。しかし、いまだに熱意と努力は報われず、初心者にもなれないでいる。野鳥の本なら3冊あるが、残念ながらほとんど役に立ってくれない。
 それでも、早朝の山道を行くのが楽しみで、目が覚めれば時間に関係なく家を出る。木々の芽吹きが始まったころなら、鳥の姿を容易に見付けることができそうだし、きれいな声で鳴いてもくれる。もしかすれば、というか多分、それぞれの鳥の名前や鳴き声を知るよりも、4月から5月にかけての新鮮な朝の日が木々の間から降り注ぐ、あの爽やかな森の雰囲気を気に入っているのだと思う。まず、真っ白いコブシの花が咲き、山桜も追いかけるようにして咲き出す。そして落葉松や白樺の木々が、不愛想で味気なかった暗い森を薄緑色で塗り替えていく。そういう中に、幾つもの鳥の囀りが聞こえてくる。
 昨年は4月10日に雪が降り、仕事始めからド日陰と牧場内の2か所ある「大曲り」のり除雪を幾日もかけてやった。取り消しになったが、小屋に予約が入っていたからだったが、今年は仮に雪が残っても、そこまではやらないで済むと思う。
 ムクドリが戻ってきた。「口ばしと脚は長く、オレンジ色をしている。顔には灰白色の斑があり・・・(「長野県野鳥図鑑」)」ウーン。

 本日もお粗末な独り言。 

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     ’20年「春」 (18)

2020年03月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 今週は天気が良くないらしい。西山には大分雪が降ったようだ。入笠も同じだろう。天気が良ければ上にでも行こうかと考えていたが、里で音・無・し・く、していることにした。
 
 一昨日ここで、コロナ禍に対して外出自粛要請が出て、つい「厄介なことになった」と口走った。しかし、冬ごもりの間人に会うことも、出掛ける機会もないままそれで済んできた者からすれば、それが日常である。何しろ会話らしい会話など1週間に一度あるかないか、誰とも終日口をきかないような暮らしが続く。運動も、気が向けば夜更けの散歩に出掛けるくらいで、何もしない。
 暇つぶしはこの独り言、読書、そして日に複数回の入浴。おっと、テレビを見るのもそうだ。ただ、飲酒は食べること同様に生きるための手段であり、目的だから、これらは暇つぶしとは思わない。ただし、その手段と目的は時を選ばないから、これこそ厄介と言えば厄介である。
 時々映画の一場面を思い出す。宇宙人に別の星へ移住を勧められて、無為な日々を持て余していた何人かの老人の一人が、このまま老いさらばえて終わるより、別の星へでも行ってもっと建設的な生き方をしよう、と言うのだ。穏やかな晩年は、生を持て余すのと表裏の関係にあるのかも知れないと考えてしまった。
 そこへいくと、別の星ではないが、牧場という願ってもない別天地が今年も待っている。7か月の少なくも3分の1は雨か霧であろうとも、あの老人たちよりも「constructive way of life」が約束されている。確かに今の冬ごもりは単調で、もの憂い思いや焦る時もある。しかし、いつでもそうばかりではない、小人は閑居すれば揺れるのだ。
 酒を飲み、美味い物を食べたいと骨犬HALさながらに渇望し、それでも犬より少しマシなのは、自分で作ることができ、それを楽しむことができることだ。昨夜の湯豆腐には、普段は昆布で出汁を取るだけだが、南禅寺式に大根を摺りおろし、それだけでなく即席の「松茸のお吸い物」を入れてみた。真似をおススメはしないが、これは気に入った。先日は、スープストックを作り過ぎたので、カレーを作った。ルーは出来あいにしたが、3種類使った。1回だけなら大満足の作品になったが、3食したら飽きた。納豆には、たっぷりと酢をかける。これもおススメはしないが、気に入っている。
 と、言ったふうに、正当な鰥夫(やもお)の日々は、錯誤と混乱の中でもうしばらく続く。
 
 赤羽さん、東京は大変なようですね。確かに出歩く気にもなれないでしょう。学校が休みになって、子供の食事の世話が大変だと言ってた若いお母さんたち、餌を必死で運ぶシジュウカラなら、都会でも目にするでしょうに。気付いてたと思っていたけれど、あの部分で3カットくらい入っていますよ。そう、あそこの森です。どうかウイルスになど負けないようにお暮しください。
 
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     ’20年「春」 (17)

2020年03月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この季節に相応しい「花曇り」などという言葉があるが、きょうはまさにそれ。窓を開けていても寒くなく、室温は15度ほどか。昨夜来の雨は今は止んでいる。梅の花が散り始めるのを待つようにして、「花」の季節がやってきたかと思っていたら、新聞は「あす関東で大雪の恐れ」などと報じて、すっかり気を損ねてくれた。まあ、天気のことなどどうでもいい。
 来る日もくるひも変わり映えのしなかったこの暮らしも、残すところ1ヶ月を切った。これまでの間、ほぼ毎日3食を自作したから、それは良しとするが、他にはもう何もない。尊い時間を、寝ているか食べているかの骨犬HALとあまり変わらなかったかも知れず、どうも一冬を乗り切ったという達成感が湧いてこない。さしたる苦もなければ楽もない、これも穏やかな晩年と言えばそうだが、最近の塩気の足りない甘味の鮭のようで、味気ない思いが溜まってしまった。
 今夜は、やがて始まる牧場の段取りでも少し考えてみることにする。それにしても「密閉、密集、密接」を避けよ!ということのようだが、厄介なことになった。
 
 本日もお粗末な独り言。明日は、呟きを休みます。


 

 
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     ’20年「春」 (16)

2020年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 天気は週末にかけて下り坂のようだ。それでも気温は高く、今朝近くの公園に寄り道したら桜の開花がもう始まっていた。まだ3月でこの早さ、喜んでいいのかどうかと少し戸惑う。途中から偶然出会って同道したTDS君も同じ感想だったのではないか。  



 今朝スーパーへ食料を買いに行ったら、たくさんの買い物客がいて驚いた。昨夜、新型肺炎の対策について、東京および周辺4県の知事が電話会談を行ったという報道があったが、多分、そのせいで不安感が煽られたのだろう。このウイルス感染は長期化が予想されていて、買い占めしてみても一時しのぎでしかないと思うのだが。

 公園に寄り道をしたり、さらにスーパーに立ち寄ったりしたのは、実はきょう、来年度の牧場の仕事に関して再契約をすることになり、そのために出掛けたからだった。この労働契約はJA上伊那と直接交わすのではなく、間にもう一つ関連する組織が入っていて、実際にはそことの契約になる。これで勤続年数が14年目に突入するわけで、ともなれば人生のかなりの部分が牛守でした、ということになる。そして、もう一つの感慨は「早かったな」ということだ。
 この72歳という年齢で、懲りずにまたこれから7か月を牧場へ通い、働くことになるとは、我がことながら不思議な人生だとつくづく思う。ある人に「変わった仕事ばかりしますね」と言われたこともあるが、牧場と老人は、老人と海よりも似合うと思う。もちろん歳だから、あらゆる点で衰えは認めるが、普段はあまりそれを意識しない。どうもこの年齢と自分の身体感覚の不一致は、92歳で平気で車を運転するお師匠にも言えそうである。
 いや、秘かに下車駅は決めてはある。ただあまり悠然と構えていると、予定していた駅を知らぬ間に乗り超す恐れがあるから気を付けねばならない。もっとも、そこまでこの列車は行けるのかの保証もない。どうであれ、窓外に飛び去っていく美しい風景ばかり眺めながら、揺れるに身を任せて行きたいと願うばかりだ。

 また鳥と野菜をいれてコトコトと煮ている。半分は骨犬HALの腹に入るだろう。あの人(丸元淑生)はスープにはセロリーが欠かせないと言ったが、大丈夫入っている。レモンを半分に切って、半分は鍋に、半分はできてから、というのもおススメですよ、世の奥様たち。もちろん、ホールの豆、コーンも。
 不要不急の外出を控えるようにとのお達し、それで、とりあえず先日行った久遠寺の見事な枝垂れ桜をご覧あれ。

 本日もお粗末な独り言。
 
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     ’20年「春」 (15)

2020年03月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日は身延の花に浮かれ、昨日は伊那谷の春宵一刻値千金を湯豆腐で飲んだ。きょうも素晴らしい天気で、今頃になって諦めていたカタクリの芽が顔を覗かせるようになった。庭の白いボケの花も大分花を咲かせ、その様子を眺めながらつい一杯、と思った気持を抑えている。きょうぐらいは夕暮れまで身を慎んでいた方がいいと考えたからだが、それは個人的なことで新型コロナとは関係ない。
 コロナと言えば昨日の新聞だったか、思いもよらぬあの防衛大臣が、「クラスター」、「オバーシューティング」、「ロックダウン」などのカタカナ語使用に苦言を呈し、それに何人かの国会議員が同調していたと報じていた。

 改正国有林法が4月に施行される。数百ヘクタールもの国有林を、民間業者に50年にもわたり伐採や木材の販売権を与えるというもので、その後の肝心な植林は何故か当該業者の義務ではなく、農林大臣が業者に「申し入れる」ということらしい。これを提唱したのは未来投資会議の議員で構造改革徹底推進会合会長の竹中平蔵氏である。
 このことは前にも呟いた。国有林に足を踏み入れたことがあるのかどうかは知らないが、複数の政権で大臣まで経験した経済学者なら、もちろん国有林の実態を知悉し、その上で卓越した頭脳から生まれる高邁な理念が政策に反映され、今度は林野行政にも生かされ実行されていくだろう。記憶に残るところでは労働者派遣法に大鉈を振るい、今日のような労働形態を作り出すことに見事に成功した。政治にはこれまでも多々関与したが、今も政治とは縁が切れていない。
 今度は国土の3割以上にも及ぶ国有林の「改革徹底推進」である。しかし、この大改革により眠っていた国有林は活性化し、有効利用され、日本経済にも大きく貢献することは疑いない、と見てもいいのだろうか。この結果が出るころには経済学者はとっくに草葉の影の人となってしまているはずだから・・・、なんてことはないだろう、いくら何でも。
 入笠の小黒川流域にも広大な国有林があり、この頃では皆伐された痛々しい山肌が目に付くようになってきた。あの急な斜面に残された切り株や根が腐れば、土留めの役はもう果たせなくなってしまう。崩落の危険は高まる。しかし、一体誰が植林するのだろう。伐るよりも、植える方がはるかに手も掛かるし、費用も要る。自然林に戻すにしても長い年月が必要となる。
 それでもあの人なら、そんなことはどれも想定内だと一笑に付すかも分からない。

 本日もお粗末な独り言。
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