入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

6日ぶりの入笠牧場とその周辺

2013年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       このPHは駄目の見本
 
 天気:晴れ、気温:零度(昼)

 北原のお師匠より、伊那の観光課の職員3名とともに入笠に登るという話を聞き、飛び入り参加させてもらった。

 一足先行した道中、大阪ナンバーの車1台とすれ違っただけで、初冬の山は人気もなくひっそりとしていた。もう、毎日通わなくてもよいのだという安堵感と、その一方で一抹の寂しさも入り混じり、7か月がまだ過去に定まりかねていた。峠からは道路の端に吹きだまった落葉松、ミズナラ、クヌギなどの枯葉や、日中の気温では乾ききれぬままに氷結したそこらここらの日陰の雪にも気を取られ、大分時間をかけて登った。
 北門を過ぎて少し行くと、いつもの場所で伊那谷のそのまた遥か向こうに、雪をまとった中アの主峰・駒ケ岳が冬空に見えていた。わづか6日かそこらのうちに遠くの山々はすっかり冬の装いに変わってしまい、また周辺の「初の沢」や「八っ株沢」などの落葉松の森は、前日の雨でだろう、ことごとく落葉してしまっていた。


 お師匠と2名の女性職員(「本家・御所平峠」)

 今回は高座岩を含む法華道の一部と、テイ沢の夫婦ガ淵まで同行した。その後、折角だから一目だけでも牧場内のお勧め場所を見てほしいと大沢山に行ったら、見えないと思っていた富士山がどっかりとした姿で浮かぶように見えていた。お師匠は大満足。観光課の3人の目に、さて入笠山とその周辺はどんなふうに映っただろうか・・・。

                 

                 
                   上2枚のPHはテイ沢の「夫婦ガ淵」

 本格的な冬の来る前の中級の山々は、緊張しているようでいて邪険ではなく、全体に色彩の地味なロウ・アンバー系の色合いは、平穏で暖かく、深かった。ふと、谷川や秩父の山々と印象が重なった。

 この間もコメント、メールを幾つも頂戴しました。村田H子さん、杉崎さん、カールママさん、白uazさん(10人でなくとも可)、ランデブーさん(接見能わず残念でした)、TDS君、海山さん、ARKWさん、OZWさん、百姓ピンカラ恋知らず君、FMZ君、KTO君ありがとうございました。ブログをアップしない日でも、コメントの確認は毎日行います。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業については、11月1日のブログをご覧ください。

 
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続 牧を去る、入笠を思う

2013年11月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 天気:曇り、気温:零度(昼)

 牛は元気にしているだろうか。不自由な牛舎で、時にはここでの気ままな日々を思い出すことがあるのだろうか。愚鈍のようで俊敏な牛たち。いつも後を追ってきた牛、被写体になろうとした牛。お前たちも母親になったのか?



 牧を去る感慨を、伝えることは難しい。入笠の早春から初冬までの風景や牛のこと、そして虚しい抵抗の果てに屠られていった多数の鹿のこと、さまざまな情景や思いが次から次へと浮かび、消えてゆく。



 山も変われば訪れる人も変わってゆく。キャンプのスタイルも街での暮らしと大差がない。便利になった。しかし、以前のように「山に来れば、なんかイイことがありそう」だと言って、それだけで来る人は少なくなった。そういう気がする。そう言えば、いまの人たちは山の歌なんてうたうのだろうか。

                              
                                もちろんこの人たちは歌うでしょう

 6月から始めたこのブログも、たくさんの人々に読んでいただけた。なるべく「毒を吐かず、ほどほどに」を心掛けたつもりだったが、さてどうだったろう。ブログ本来の目的だったはずの、ここの山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の宣伝については、どれほどの効果があったか分からない。
 ひとまず今日で、ブログを閉じたいと思います。そして来年の4月20日から再開するつもりですが、その間にもここには幾度も来なければなりません。その折には、またここの様子などブログに載せますので、たまには見てください。コメントをくださった方々にもお礼申し上げます。ありがとうございました。

 心の区切りがつかないまま、山を下りることに。

                              

                              

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業については11月1日のブログをご覧ください。

                               
 

 

 

 

 
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牧を去る、入笠を思う

2013年11月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 天気:晴れ、気温:-1度C

 「牧を閉ざす」は秋の季語だ。しかし、長年放置され、捨て置かれた支柱やバラ線を回収したり、鹿などによって破られた牧柵の補修などは、牛が下りてから始まる。だから牛でなく人間にとっては、牧場を去る今日が、実際の「牧を閉ざす」日になるのかもしれない。

 昨日は入笠の変貌していく様子を少し書いた。
 例えば「紅葉軒」は、今では夏のごく限られた期間しか営業してない。「マナスル山荘」の旧館は来年の3月までと聞いている。「入笠小屋」は不幸にも先日焼失してしまい、この辺りで残るのは「山彦」と「マナスル山荘 新館」、それと入笠牧場の山小屋「農協ハウス」とそのキャンプ場だけになってしまった。

                 

 そんな状況の中、今日「みろく山の会」男女14名が来てくれた。大分年配の人もいるようだが、そのうち9名はテント泊だという。こういう”登山者”は、入笠ではもう、あまり見かけなくなった。貴重な人々だ。2月の厳冬期、今冬もまた来てくれるようだ。
 今夜は鍋を囲んで、賑やかなこと。なんだか懐かしい山小屋風景だ。親しい人が何人もいて呼ばれているので、顔を出さねば。

 今日はそんなわけでこのブログを中断して、明日また再開したいと思います。今夜は入笠泊まり。牧場の写真は明日もう少し載せます。

 それでも一応けじめですので、

 牧を去る冬星々にまづ告げて    丼子

 
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牧を閉じる日まであと2日、入笠を思う

2013年11月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 天気:晴れ、気温:4度C(昼)

 今日から風の音が変わった。標高1、800メートルを吹く、冬の風だ。
 夢中で枝打ちをしていても、防風対策をしてないと知らず知らずのうちに、体温を奪われてしまう。木綿の肌着も激しく活動して汗をかくと、あとからゾクゾクしてきて風邪をひく。そういう季節が、また来たのだ。



 明日で牧場との契約は終わる。その後も必要に応じて登ってくるが、ともかく一応の区切りがこれでつく。
 
 毎年4月20日、まだ雪の残る山道を登ってくる。6月には牛が来て、放牧が始まる。8月に中間検査があり、10月になると牛は山を下りていく。牛の来る前と下りたあとは、牧柵の補修(これが大変な仕事)、電気牧柵の張替、草地の石拾いや整備、枝打ち等々が、牧場管理人のおよその仕事である。
 この他に山小屋やキャンプ場の管理、それらの利用者への対応、また有害動物の駆除員として罠の設置と鹿の捕獲(今年の捕獲頭数は93頭)、これらに加え、自主的にだが、今年からこのブログの作成が増えた。

 
     第3牧区のある大沢山から第1牧区を見る

 この仕事に就けたのは、ある人のお蔭だった。それから7年が過ぎる。これほど自然が豊かで美しい山の中の牧場で、しかも当然とは言え人間ではなく、牛を相手に働くことができた。本望だ、と言うしかない。
 たまに訪れた人に羨ましがられるが、7か月のうちの3分の1は雨と霧に耐えねばならない。それでも、昨日のブログに書いたような、南東アラスカで体験した辟易するような陰鬱さとか閉塞感は、ここにはない。誰にでもできる仕事とは思わないが、奇人である必要も、ウーン・・・ない?
 
 入笠も少しづつ変わっていく。富士見側は入笠の観光整備に力を入れ、山や周辺へのアプローチはゴンドラの営業とも相俟って、誰にでも手軽になった。伊那側は牧場が大半を占めているが、その先行きは容易ではない。どうすれば一番よいのか、いやでも考えなければならない時が来た。(つづく)

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業については11月1日のブログをご覧ください。

 深い森の中であなたが出会うのは、雪の精か、はたまた森の精か・・・。
 
 
 

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牧を閉じる日まであと3日、星野道夫を偲ぶ

2013年11月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 天気:晴れ、気温:5度C(昼)



 星野道夫のことは、時々考える。すると、何度か行って実際に見たアラスカの大地と、彼の撮ったアラスカの風景や文章が記憶の中で混乱する。
 
 彼は、雨の多い南東アラスカのシトカを「当時北米西海岸でもっとも早く開けた港町で、”太平洋のパリ”と称えられていた」と紹介している。そして「栄華は消え失せたが、氷河を抱いた山々、深い森、そして無数の島々に囲まれ、絶えず雨に煙る夢のように美しい町」と書く(「森と氷河と鯨」より)。
 
 この辺りを船で通過したことがある。彼が描写する通りだが、残念ながら「夢のように美しい」とは思わなかった。いつも厚い雲が頭上を圧し、海面と雲の狭いわずかな空間にかろうじて森の一部が見えていて、夏だというのに氷河の舌が迫り、鬱陶しい雨が降り続いていた。「こんな土地には、例え1年でも暮らせそうにはない」と感じたものだ。

 彼の目的は、ワタリガラスの伝説を求めつトーテムポールやそれを築いたインディアンのことを調べる旅であり、一方こちらはあてもないまま、かつてゴールドラッシュで沸いた寒い辺境の町を逃げるようにして船に乗った身、印象が違って当然だろう。
 それはさておき、凄い、素晴らしい写真を彼はたくさん残してくれたものだ。文章もそうだ。極寒の地で単身、長期にわたる撮影、そしてその苦労と努力、感服するほかない。

 星野があんな壮絶な死に方をしなかったら、今もなお彼は、西部開拓時代の面影を残すフェアーバンクス郊外に暮らしていただろうか。広大なアラスカの自然や動物、そして日本人ともその祖先を共有するかもしれない人々の歴史や文化、生活について、変わらずに発信してくれていただろうか。

 かならずしも彼の熱心な読者ではなかった。しかし、絶えず気になる人物ではあった。それは、もうアラスカに行く希望も夢も失せた男にとって、彼の地に寄せる詮もない個人的な感傷・思いをば、せめて彼の発信する作品を通して甦らせ、確認したかったからなのだが。

 林さんが持ってきてくれた星野道夫の本、パラパラとページをめくっているうちに、今日は枝打ちのことを書こうとしてエライ遠い所、人の話になってしまった。今日は小屋の宣伝は休みにします。

 
 
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