入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    夏が連れていかれる

2014年08月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 毎年8月最終の土、日曜日、「JALNEC」のメンバーが来て、祭りが終われば一緒に、夏を連れて帰っていく。去っていく彼ら彼女らを見送りながら、これでもう、夏は跡形もなく終わったという感じにさせられる。
 


 以前はロシア製の車を愛好する同好の士だったようだが、今はロシア製ばかりでなく、いろいろな車に乗ってくる。メカに精通した人ばかりで、ちょっとした車のトラブルなぞ、愉しみながらたちまちのうちに修理してしまう。老若男女とも元気印を背中に背負っているようだ。



 この人たちは食べることもなかなかウルサイく、30人近くの食事も男女入り乱れて手をぬかず、ブイヨンから始めていた。捕獲したばかりの鹿を提供したら、すぐさまハンバーグやカレーの材料にし、味見させてもらったら、これまた結構な出来栄えで感心した。
 
 9月になると最初の週末は、また別の車好きの団体が、今度は本格的な秋を連れてやってくる。8月にこれだけ降った雨、さて今年の秋はどうなることやら。

  ”蕩児の帰還”を見送り、少し虚脱感を感じながら、小屋の外のいつもの見慣れた風景を眺めている。あれほど活気のあったテント場の面影は失せて、忍び寄る夕暮れの気配が、すぐそこまで下りてきた霧やかすかな虫の声と一体化し、秋の趣きを深めている。今夜は、暗い山道をゆっくりと下ろう。8月も今日で終わる。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。JALNECがキャンプ場のCを占拠した日も、まだテント場は他にA、B、Dとあり、悪天にもかかわらず他に2組のキャンパーがいました。
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   井月のこと少々

2014年08月30日 | 入笠にまつわる歴史

    昭和5年に出版された井月全集
 下では今日、行脚・行乞の俳人井月にちなむ催しが行われている。近年井月は映画にもなり、多くの人に知られるようになった。
 にもかかわらず、この人物については出自、生い立ちなど今に至るも謎のままである。長岡藩の武士だったとか、江戸で学んだとかの巷説は聞くが、確かなことは、彼が伊那谷に現れた36,7歳ごろから66歳で没するまでの、この地で暮らした約30年間のことだけである。
 芥川龍之介に彼の書が「入神に至る」とまで言われたとか、どこで知ったのかつげ義春が彼のことを漫画で描いたり、また映画にもなったりするほどだから、彼のことを研究する人は多い。だからここで牛守が、何か彼について書こうなどとは思わない。


    同書にある「井月の面影」
 伊那市や同商工会議所などが二つの実行委員会を立ち上げ、識者を呼んで講演会を開いたり、俳句大会も行われて、今やこの地域の文化の”活性化”とやらに井月は貢献している。
 そこで思う。今ごろになってもてはやされている井月だが、生前のこの俳人に対し地域の人たちはどんな風な接触の仕方をし、評価をしていただろうか、と。家にも彼の書いた物が残っている。俳句好きが集まって句会を開き、それらの句を
「入神の域」の人に改めて書いてもらった物とか、酒を求めた句とかがある。厚遇とまではいかぬも、それなりの対応をしていたのだろうか。さもなくんば、異郷に職もなく30年を送るということはできなかったかも知れない。
 そう思いながらも、あまり関係のない人たちまでもが「井月、井月」と言うのを耳にする昨今、草場の陰で俳人はどう感じているだろうかと思ってしまう。
 もう一つ、果たして本当に井月は長岡の産だったのだろうか。長岡藩は大きな藩だが、それでもこれだけの人物の消息が今も知れぬことを考えると、あるいは、と。
 TDS君、このくらい抑えて書けば、可? クク。


 大正10年10月2日付の同書に寄せた芥川龍之介の跋
 F/C:Nさん、すいません気が付かず。なかなかです。今後もよろしくお願いします。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。
 
 
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    拝啓 お師匠さま

2014年08月28日 | 法華道と北原師


 今日も相変わらずスッキリしない天気だ。今週の始め、「木曜日には天気も安定する」と予報していたが、はずれた。
 
 昨夜、北原のお師匠から、
「あんなキノコの写真などをプログに載せられたら、気が騒いで困る」
 と抗議の電話を頂いた。そして、
「ご臨席を仰ぎは、いくらなんでも持ち上げ過ぎじゃないのか」
 とも。
 先日、囲い罠に入った鹿の殺処分をわざわざ見に、朝早くからお越しいただいたので、弟子としてはそのように書いたのだが、過ぎたる表現と「お感じになった」よう。
                  ・  

                  ・ Photo by Ume氏
 
 お師匠、普段は口論ばかりしている師弟とはいえ、一応このブログも公(おおやけ)の場ですからして、普段は不肖の弟子であっても、こういうときには師に対して姿勢を正すのです。
 今年はハナビラタケも結構採れたようだし、雑キノコに心騒がすとはお師匠らしくもないじゃないですか。まぁしかし、そのうち天気も秋らしくなるでしょうから、また登ってきてください。
 ただしその際、もう少しおとなしい運転を心掛けてください。いま山室の谷は工事用のトラックが頻繁に行き来してますから、あんなにスピードを出しては危険です。
「スピードが少し高目のほうが緊張して、安全だ」
 などと仰いますが、なんと言ってもお歳がお歳、ラリーやってるんじゃないですから。

 こんな天気ながら、T氏夫妻現る。氏の主宰するグループも20年以上、このキャンプ場を利用してくれている。後続部隊は明日、明後日か。他にも予約を頂いている。このブログを読んで来てくれる人が増えた。ありがたい。早く秋らしい天気になってもらわないと・・・。

 宮本さん、いとうさん、ママさん、大阪さん、ありがとうございました。五領丸さん、過分なことをしてもらい、取っておきますから、この秋またいらしてください。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。 
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 山の上、谷の中

2014年08月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                         Photo by Ume氏

  牧場北門の手前1キロもあるかないか、登ってくると右側に「座頭」の谷は深く落ち込み、今日のような雨催いの天気ではいつもそこに霧が発生している。その影響もあるのか、それとなく眺めてみれば、もうここだけは落葉松の葉が少し黄色く色付いて見える。
 牛のいない大沢山の牧草の色も、いつにか黄色が目立つようになってきた。そういえば、来る途中の杖突街道に沿って、秋桜の花が咲き始めた。子供のころは、どこにでもあるこの花に格別の愛着はなかったが、いつのころからか、秋の花と言えば秋桜と思うようになった。何気なく、どこにでも咲いている。丈は細く長いのに、意外と風に強い。何よりも、薄い花の色が控えめで、清楚な雰囲気がして好きだ。
 田んぼの稲も黄金色に染まりつつある。ほどなく刈り入れも始まるだろう。
 


 芝平の谷も小黒の谷も土木工事が真っ盛りである。雨で地盤の弱くなった山道を何台ものダンプが行き来する。今朝も前を行く2台の大型ダンプに行く手を阻まれ、やっとの思いで大ダオ(=芝平峠)まで来た。
 治山治水などと言うが、山は困惑しているだろう。えぐられ、削られ、巨大なセメントの構造物で川はせき止められ
、森は重機の狼藉に必死で耐えていまいか。イヤイヤ、作業者のご苦労を知らぬわけではないが。

 
 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。

 

 

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    忘れられていくこと

2014年08月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 Photo by Ume氏

 誰のせいでもないが、はっきりしない天気が幾日も続く。そう思って日誌を見てみれば8月、意外や意外、いわゆる悪い天気ばかりが続いたというわけでもない。それでも広島などの悲惨な土砂災害を目にし、耳にすれば、気象現象は過激さを強めているといった印象はある。
 昨日から2泊の予定で大阪から来ている3人の親子連れは、それでもしっかりとした雨支度をして、テイ沢へ行くと言って出掛けた。あそこは、雨が降ったら降ったなりの風情があるから、きっと満足してくれるだろう。


 9月にもならないうちからキノコ   
 

 道を挟んだ紅葉軒の対面、「風雪云々」の碑のある草の原、先日ある人から、なんで草を刈ってしまったのだとこぼされた。先週土曜日、入笠山観光連絡協議会主催の星空観察会が開かれ、子供たちが草の上に寝ながら星空が見えるようにと、富士見町の職員が来て作業していったのだ。たまたま目にしたから、「ついに富士見町はここまで攻めてきたのか」などとからかった。
 迂闊と言われれば、ウーン・・・、確かに。マナスル山荘の先代の女将さんも、あの放ったらかしの自然の草はらをとても大切にしていたことを思い出した。そういう人が他にもいるのだ。 
 難しいものだ。そう思う。だんだんと昔しのことや、いろいろないきさつを知る人がいなくなってゆく。
 近くの牧場内にある「万景一観」の碑にも毎年関係者が参拝に訪れる。しかしやがてはこの碑も、移りゆく時代をその場所で見守り続けていくことが、できなくなるのだろうか。
 行政側もこうした実態を把握した上で、入笠のことを考えてほしい。また雨脚が激しくなってきた。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。

 
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