入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (6)

2019年11月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ようやくきょう、今冬の営業案内を載せることができて肩の荷が下りた。どれほどの反響があるか分からないが、あり過ぎても困るし(そんなことは一度もなかった)、さりとて無さ過ぎても困る、というのが内心の複雑な気持ちであって、揺れる。車で上がれるうちはまだしも、1月半ばともなると歩きになり、となると年々足に付いた"年齢(とし)の重り"を意識するようになる。それに毎冬の同行者を努めてくれたHALもすでに13歳、冬の法華道よりは下の小屋で退屈していた方がいいかも分からない。(11月28日記)

 そもそもの話をすれば、契約が切れて牧を閉じてからも過去13年、毎冬欠かさず上には行っていた。その際、北原のお師匠が心血を注いだ法華道が主だったが、通勤に使うオオダオ(芝平峠)経由の林道も使った。
 ある時、焼き合わせを過ぎてしばらくいくと、つぼ足で難渋しながらも上から降りてきた足跡に出くわした。二人と思われるその足跡はそこから引き返していたが、その時入笠にも、なかなか粋な山歩きをする人がいるとものだと知った。冬季の入笠も、多くの人で賑わうことは分かっていたが、それでも大半は富士見側からゴンドラで来て、冬山の展望や気分を味わい、流行りのスノーシューズで雪と戯れれば満足して帰っていく人たちばかりだと思っていた。だから、意外だった。
 そんなこともあって、ならばこういう登山者のために、山の安全も兼ねて小屋を開けようと決意したわけだが、下には気を遣いあくまでも個人的な試みということで始めた。そして、そのまま今日に至っている。だから、料金設定もかなり安くできたし、燃料の他は諸々の費用負担を極力抑えるようにしてきたつもりだ。
 JA上伊那は7だか8の市町村より成る大きな組織であり、この冬の営業ばかりか、通常のキャンプ場と小屋の売り上げなどにしても、本体からすれば取るに足らない微々たるものだ。しかし、こと入笠牧場に限れば、決してそうとは言えない。
 入牧頭数が以前のようであれば、恐らく冬季営業などは許可されなかったかも知れない。それどころかずっと以前、すでに夏季の予約が小屋に入っていながら、それを知ってか知らでか、小屋を解体しようとする動きさえもあったのだ。そのことを外部から知らされ驚いたが、かつての上層部にはそういう考え方をする人がいた。
 今後のことは分からない。それでも県内の三大公共牧場の一つであり、これだけの恵まれた自然環境や、どこにもないような景観は貴重だ。かけがいのない宝だと思う。先人と牛たちが残してくれたこの入笠牧場を、少しでも長くこのまま残していきたいと、そういう思いと願いを持ってやっている。

 今年度の「冬季営業」の詳細については、下線部をクリックしてご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     冬期営業のお知らせ

2019年11月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など




 冬季営業とは、11月21日から翌年3月31日までの不定期の営業を指します。この間もできるだけご要望に沿えるよう努力しますが、1月半ばになると例年、車で上がって来ることができなくなります。そうなると管理人は歩いてくるしかなく、そのため後述するような幾つかの条件を受け入れていただくことになります。
 また、気象条件など不測の事態により、お断りすることもありますので、あらかじめご承知おきください。

 料金:素泊まり4000円プラス薪炭料500円(1名1泊)、最低受け入れ人数7名(ただし、人数についてはご相談ください)。
    前年度実績のある場合は、1000円の割引があります。
    なお、ブログにて利用状況をお知らせしますが、上記団体に便乗する場合の人数は問いません。管理棟内にも10畳2室あり利用可能。
 
 申し込み方法:年末年始の営業(12月30日から1月2日)は、最低受け入れ人数に関係なく行います。
        上記の場合も含め、申し込みは利用予定日の最低でも10日前までにお願いします。早ければはやいほど有難いです。
        
 申し込み先:JA上伊那東部支所組合員課(直通TEL:0265-94-2473)、もしくは管理人の携帯でも結構です。
       ブログのコメント欄なら確実ですが、その際は、こちらから連絡できるようTEL#を付記してください。

 小屋は玄関、廊下、台所2か所、トイレおよび48畳の畳部屋があり、12畳づつに仕切ることも可能です。備品は大型ガスコンロ、同ガス釜、食器、寝具、冷蔵庫などで、自由に使用できます。
 ただし、後片付け、掃除は利用者に負担してい頂くため、自前の寝袋、使い捨ての食器などが便利でお勧めです。暖房は石油ストーブが大型2台、中型3台あります。水道は冬季間は使用できませんが、小屋の近くに取水場を設けてあります。
 なお、食料、飲み物等は一切用意してません。ご苦労さまですが、担ぎ上げてください。鹿肉(無料)は早い者勝ちです。



 近年スノーシューズの人気が高まり、ゴンドラを利用して入笠に来る登山者が増加しています。しかし、もう少し足を伸ばして小屋に滞在し、伊那側の雪の森や林を楽しんではいかがですか。静まりかえった白い森の中を好きなだけ歩き、時代遅れの山小屋でしっかりと酒を飲み、談笑します。あとは寒さに耐えて凍れる星々の歌声に耳を澄ませば、空から感動が降ってくるでしょう。




Photo by かんと氏(2枚とも)

ご意見や質問をお受けします。よい企画があれば、それもコメント欄へお願いいたします。冬の入笠牧場およびその付近を知るには、他の年の同時期のブログを(特に2月)参照してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     「冬ごもり」 (5)

2019年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨は止んだようだが、きょう一日は曇天で晴れそうもない。そういう日にこんな写真だが、これは24日の朝に冠雪した北ア方面を撮ろうとした時の1枚。ここへ来るといつも、実際に見えている風景と、それを小さな機器にの中に取り込めないもどかしさを感ずる。本当は、視界の半分を占めるもっと大きな深い空があったのだが。

 この時期、身内の訃報と一緒に年賀の挨拶を欠礼する旨の葉書が届く。きょうも2通来た。1通はあらかじめ分かっていた。もう1通は思いがけなかった。
 それに対して、何か考えようとして長い間放置していた庭の草を毟った。最早どうしようとも思わない陋屋で、枯れ始めた雑草を始末するのは、自分なりの弔意を示すに相応しかったかも知れない。いろいろな思いが錯綜する。何も知らないHALがいつものように近寄ってきた。
 
 ここまで生きれば、身内の死ばかりでなく幾人もの人の死に接し、送った。若くして山で亡くなった者もいれば、100歳を超えた身内もいた。その多くは呆気ないと感じ、しばらくすると記憶のそれなりの場所に落ち付く。あるいは忘れる。
 老いと死を気にして後年、禁煙までしたあの高名な評論家は、70歳を目前にして、「棺桶に片足をつっ込」んだ意識もなく生きる者は「不具」だ、などと言い放ったらしいが、もうその人もとうに両足を棺桶に入れてしまって、話題になることはあまりない。
 余程の人でもない限り、せいぜい2代かそこらで一人の人間の存在は忘れ去られてしまう。歴史に名を残すなどと言ってみても高が知れたもので、所詮は吹き消したマッチ棒の煙のようなものだろう。しかしだからこそ、せめて残された者はその死をしっかりと受け止め、「天然の永遠」に送り出すべきだ、それしかない。
 故人との懐かしい思い出が、いささかでも心の痛みを癒されんことを。

昨日の呟き、水戸藩と会津藩の記述に混乱と解される箇所がありました。訂正しました。

 
 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     「冬ごもり」 (4)

2019年11月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                         Photo by Ume氏


 夜中は時間の経つのが早い。無為な時を1時間半も過ごしてしまった。ウイスキーを飲みながら眠気の訪れるのを待っていたのだが、このままでは朝に突入してしまいそうだ。まあ、きょうは何の予定もないからそれならそれでも構わないが、さてどうしたものか。

 昨夜友人のK岡に最後の将軍・徳川慶喜の悪口を綴り、まだ書き足りないと思って続きを書こうとしたらPCから消えてしまっていた。以下は、記憶を頼りに、入笠とは全く関係のない、その友人に送った便りの断片。
 
 将軍職に在ったのは僅か1年にも満たなかった慶喜が、30歳そこそこで静岡に安居し、まさしく無為徒食の日々を29年も過ごし、その間に趣味と二人の側室を相手にひたすら伽に励み、それぞれ平等に12人、流産なども含め24人の子を成したというから、驚くやら呆れ返るばかり(因みに父親の斉昭はもっとすごかった)。静岡では、旧幕臣の面倒などは一切見なかったようだが、この人物にあってはさもありなんだ。
 幕藩体制はいずれ行き詰まる運命にあったとしても、鳥羽伏見の戦いを直前にして大阪城から夜陰に紛れて遁走するなどその終幕を将軍自らが汚し、徳川幕府存続のために非業の死を遂げた多くの佐幕派の有為の士、のみならずその家族にまで及ぶ痛ましい結末、そして多くの無辜の民百姓の犠牲などなど、それらを知っていたはずにもかかわらず後年、ぬけぬけと従一位勲一等、公爵などという爵位まで受けた。送る方もだが、それを受ける者の底抜けの能天気さ、貴族院議員となっては江戸では2000坪の敷地を構え、歴代将軍の中で最高齢となる77歳の生涯を送った。
 こういう人間は、他人の幸運を徒に食いまくり、結果膨大な数の人々がそのために不運に陥り、不幸極まりない人生を余儀なくされたというわけで、世界のどこかでは今でもある話だ。実に「幸運」は限られていて、特定の個人に過度に集中させてはいけないという教訓となるだろう。
 水戸藩主徳川斉昭の子である将軍慶喜を頼り雪中に倒れ、挙句福井で打ち首となった水戸天狗党の面々、はたまた会津藩に代表される佐幕派の諸藩とその藩士、家族の非業の運命と死。ある会津藩士の家族は、城内の兵糧米を案じて入城せず、祖母、母、姉妹は自刃の道を選んだ。こうした悲劇は明治の代になってもまだ続き、旧会津藩士が下北半島の荒れ地で舐めた塗炭の苦しみなども、たとへ耳にしたとしても、全く意にも介さなかっただろう。
 こんな場違いなところで、眠気覚ましの代わりに最後の将軍をそしるなど畏れ多いと、異論反論もあるだろうが、あればあってもいい。
 
 ――それから何時間かが経って、壊れかけた小屋の屋根の向こうに、灰色の雲を透かして淡い冬の日が見えている。この時季になると決まってやって来るムクドリの群れも、今年は柿の実が生(な)らずに当てが外れてか、徒長した木の枝に10羽ばかりが所在無気に留まっている。
 冬ごもりを始めたばかり、「荒淫」の人のことなどはさっさと忘れてしまい、この冬も、炬燵の虜囚となって暮らすことにする。長い一日であっていいし、単調な日々であっても構わない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     「冬ごもり」 (3)

2019年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 上に2泊して、先ほど5時過ぎに帰ってきた。穏やかな初冬の山があって、また愉快な山の夜があった。この時季の入笠に期待した全てがあったと言っても言い過ぎではないと思うくらいだ。(11月24日記)
 
 一昨日、赤羽氏とK地氏が出掛けている間に、「アラスカの森」と呼んでいる第5牧区へ行ってみた。思ったよりか森の中には緑がまだ残っていて、よく見ればそれらは草と言うよりか大半が苔の類のようだった。何かの舞台に使いたいような枯れたまま立ち尽くす正体不明の3本の木を見上げ、緑の葉を付けたまま倒木となったシラビソの巨木を超え、そしてその間をゆっくりと流れる小黒川の源流を渡った。透明な水は不思議と冷たさを感じさせなかった。
 先日の台風と大水で草地が削られ、土砂が緑地を犯していた。あの小さな流れが小黒川となって15キロほどを流れ下り、戸台川と合流して「小」が取れて黒川となり、わずか数キロ下って三峰川に流れ込み、さらにはそのずっと先、2,30キロ下流で天竜川と一つになる。
 そんなことを思っていたら、急に目の前の湿地帯の茂みに意識が引き戻された。黒い点のような野鳥が幾羽も忙し気に飛び回って越冬の準備でもしていたらしかったが、人気を感じたのか、しばらくすると落葉松などの木々の梢を超えて灰色の空に消え去った。
 この一帯はクリンソウが群生し、6月には桃色の花を咲かせるのだが、動物、とくに鹿のヌタバとなっているため、最近は開花するかしないかのうちに花は鹿奴に摘まれてしまう、食べられてしまう。もっと以前にはそんなことなどなかったから、何かの理由で鹿の食性に変化が起きたとしか考えられないのだが、ムー、そんなことがあるのだろうか。
 鹿と言えば、囲いの中の雄鹿は、姿を消したと思っていたらそうではなかった。始末を頼んであった人たちに、早まって間違えたことを言わずに済んでよかった。昨日彼らはクマを仕留めたとかでその後処理が忙しくて来られなかったが、今朝行くと先程連絡があった。それが済めば、あの罠も仕掛けを外して来春までは開放する。

 昨日、二人が帰ってから大分して外にいたら、林道を歩く人の声がした。種平小屋のTさん夫婦だった。呼び止めて、またよもやま話をした。種平小屋は営業を再開したらしい。
 赤羽さん、K地さん、いろいろありがとうございました。山は冬の眠りに入り、きょうからしばしの間の冬ごもりです。もっとも、今週末も上にいきますから、本格的な冬ごもりはまだ先のことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする