上高地で、昨日の27日、開山祭が行われたことを新聞で知った。また今年も、たくさんの人が参集したようだが、確かに雪をまとった穂高の山並みを、大正池あたりから眺めるのは、いつの季節であっても心に沁みる。人を誘って行ったこともあれば、一人だけで訪れたこともある。多くは、しかし、上高地は通過点であった。
梓川沿いの横尾へ通ずる一般歩道ばかりでなく、よくと分からぬ左岸の径も歩いたが、あるとき一緒だったOさんは今はどうしているだろうか。梓川を渡渉する際に背負ってやろうとしたら、予想外に重くて、危なく川の中に倒れそうになったが、そのとき水中でもつれた足と、ひ弱な背中は、あの時のことをまだ覚えている。
今誰かに誘われても恐らく行かないだろうし、今後そういう機会が訪れてくれなくても、もう充分だという気がする。
急に話は変わるが、今日の新聞には、首相訪米による日米の「同盟強化」が大きく取り上げられ、続いて「原発回帰」や、憲法解釈を大きく変える「新防衛方針」とか、わが国の将来に大きな影響を及ぼすであろう内容の記事が掲載されていた。そのことの是非を、ここで云々しようとは思わない。
ただこういう重要なことを次々決断できる一国のリーダーの精神力とは、一体いかなるものかということである。もしも国を、いや世界を、誤った道へと進めてしまったらと考えたなら、普通ならその責任の重さ、そのストレスで、頭や気がおかしくなったとしても不思議ではない、と案じてしまうのである。
しかし拝見するかぎりそんなふうには見えない。ごく平凡な一人の男が、国の最高権力者に許された権能を、よくと分からぬ理念や信条、思い込みでふるっているように見え、時には危なさを感じてしまうことがある。わが国の首相だけではない。この広大な宇宙の中で今のところ唯一の知的生命体である人間を、いろいろな国の政治指導者と呼ばれるあの人たちに託することの不安・怖ろしさも当然だが、ご当人さま方が日夜どれほどそのことを自覚なさっているのか。
第2次大戦から70年、多くの生命が失われ、現在もなお悪政に苦しむ人々が世界中にいる。「ご免なんしょ」ではもちろんすまないし、断じて指導者の命や首で引き換えにできるものではない。にもかかわらずあの人たちに、そういう重い責任からくるところの屈託、恐怖がそれほどあるようには見えない。間違いだろうか。もちろん、身間違いであってほしい。
入笠牧場内の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましては、4月26日のブログをご覧ください。内容は必要に応じて改訂していきます。