入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(95)

2021年02月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日のことだが、桜餅と草餅が容器に2個づつ入って売っていたので買ってきた。まだ1個草餅が残っていたのに気づき、今朝は久しぶりに茶を淹れて一緒に味わった。ここらに桜の花が咲くのは、早くても4月の初旬だったと思うが、毎年のことながらそんなこともはっきりとしない。TDS君に電話で聞いたら、今年の高遠の花の開花予想は4月3日だと教えてくれた。
 昨年はcovid-19のせいで上京を諦めたが、その前の年は靖国神社で開花宣言が出た日に偶々そこにいて、報道関係者が1本の桜の周囲に蝟集しているのを遠くから眺めた。3月の19日から22日までの在京だったからその間のことだが、多分20日だったと思う。
 
 そんなことを記した手帳があって、それには北原のお師匠と身延山の久遠寺へ出掛けたことも書いてあった。3月の24日のことで、富士川沿いの桜並木や久遠寺の見事な桜を思い出した。あの日も甲府盆地に入ると、信州で感ずるような大気の鋭さが消えて、和らいだ春の日射しに一足早い長閑な花の季節の到来を感じたものだ。神社仏閣を訪ねることは結構やってきたが、その中でも身延山久遠寺は寺ばかりか、山の中の門前町の雰囲気も含めて好きな寺の一つとしている。今年も師のお供をするにやぶさかではないが、さてお師匠、どうなさる。
 膝元の高遠城の花見は、今年も花の下での賑やかな宴会は自粛が求められと思うが、詳しいことはよく分からない。牧場が20日に始まり、そのころも高遠城の花を遠く近くにに眺めることはできるが、気持ちは里から山へと移り、残雪の中で目にする木々の芽吹き、鳥の囀り、コブシの真っ白な花ときて、そしてようやく待望の山桜となる。
 昨年はド日陰の大曲り、そしてさらにはテイ沢と、たくさんの倒木に手を焼かされ、手許の手帳には山桜のことには一言も触れていない。作業日誌を見れば分かるはずだが此処にはなく、手帳には5月20日にヤマナシの花が咲いたとあるだけだ。この花が先行し、コナシの花が咲くわけだが、やはり今年も6月前後だろう。

 桜餅から、独り言が思いがけない方に行ってしまった。ともかくも、まだ花の季節を迎えるまでには日があるから、それまでには少しづつ活動を昼に移していかなければならない。
 昨年は3月の3日に上へ行ってる。この1日前にはHALの診断をしてもらって、赤血球が少ない以外は体温が1度高いくらいで他は正常だと言われて連れ帰って来た。しかし、それで気が休まったわけではなかったことを覚えている。
 こうして過ぎた年の春を思い出していると、ここには敢えて触れてないことも含め、いろいろとあったとしみじみ思う。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「冬」(94)

2021年02月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この頃は、朝起きると庭のボケの花が気になり、それを確かめに行くのが日課となっている。それで外に出てみたら驚いた、生憎の曇天。寒空からは小糠雨までが降っている。たまには昼間にも外に出て、移ろう季節の証のようなものを見付けようかと思ったのだが、あっさりと中止することにした。で、風呂を沸かし、その間を無駄にしないようにと1合ばかりの酒を燗して、ビールも一緒に、一日を閉じる祭りではなく、本日は一日を始める祭りになってしまった。これのどこが「入笠牧場その日その時」かと詰られても、「いや」とか「まあ」とか言うしかない。

 あの人の末期の酒はウオッカだったらしいが、「強い酒は美味い」と宣われたとか。そんなことを思い出しながら、カーテンを閉じたまま、外の様子など知らぬ存ぜぬを決めてチビチビしていると、土鍋からいい匂いがして来た。まさしく常夜鍋と言うに相応しく、あの中には鶏肉、豆腐、シラタキなども入ってはいるが、ホウレンソウ、キャベツ、モヤシと野菜が主役を張り、脇役には餃子まで入れてある。
 飲みながら、食べながら、よくもこんなものを食べ生きていけるものだと有難くも、感心している。お百姓さん有難う、だ。それが、少しばかり野菜の値が上がっただとか、下がっただとかが庶民の暮らしを煽るような報道をして、それで消費者は一喜一憂し、レジ袋が有料になれば文句を言いと、スーパーはこの世の縮図かも知れない。販売する側は、量とか重さとか、一定の基準を設けているだろうにそれを矯めつ眇めつ、・・・エライ!

 近年、性差別などと言われているが、GDPの半分以上は個人消費で、その舵取り役の女性の意向は無視できない。世論の動向には、彼女たちが悲観しているほど影響力がないわけではない、と思う。例えば車を買おうとすれば妻の意見を聞くだろうし、家を新築するとなればその意見も参考にするだろう。そもそも新婚旅行は殆ど、新妻に主導された夫もいただろうに。クク。
 どうやら、上昇志向の強い、学歴、能力ある女性ほど性差別に敏感で、異議を唱えているような気がするが、西山に日が落ちれば日中に大声で怒った夫は優しくなり、野良から妻を先に返す。そういう古い思い出を、昼酒の中で懐かしんでも、伝わらないだろうが、日本人が育んできた夫婦、男女の関係も、それほど否定的なものであるならば、歴史、文化、伝統との整合性はどうつけるのか。
 目下官僚接待の問題で矢面に立たされているあの人には、同情しなくもない。報道は、1名7万円の高額接待を受けたことをもって煽り、批判するが阿保らしい。社費を遣う方がはしゃいでいたのかも。月に100万円を超える俸給から70万円を返還したとしても、それも同じく詮無いことだと思う。
 昼日中、懸命に働いている人々には申し訳ない。本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「冬」(93)

2021年02月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ボケの花はあれ以来増えないが、梅の花は開花を増やした。窓越しに見える同じ景色が、気温の差でこれほどにも受ける印象が違ってくるのかと驚いている。きょうは予報通り気温が上がらず、晴れてはいるが冬の寒さだ。

 参った。これは世が世ならエライことになったかも知れない。畏れながら今上天皇の誕生日を、よりによって勤労感謝の日としてしまった。一昨日の呟きである。何かおかしいという気がチラッと頭をかすめたが、そのまま立ち止まれずに呟きを続けてしまった。他人のせいにしてはいけないが、前夜に交わした某との会話のせいだ。確かに勤労感謝とくれば、その日が秋だぐらいの認識はあったはずだが、痛恨、恥。
 あの日の夜だったと思う、間違いなく内閣総理大臣が平身して祝意を述べ、それに応える令和の天皇の堂々たる姿をテレビで見た。音声を消していたのか、その時でも休日と天皇の誕生日が結びつかなかった。その上、還暦を迎えたのだと思っていたら、これまた違って61歳だったとは。
 
 ― 玉座に就かれるも、いまだ大内山に落ち着かれることなく、木立繁る赤坂御所の奥からはそのご動静も先帝ほどには伝わってこない。宸襟はいかがなるかなどと一民草の身では思うだに畏れ多いが、時代は変わり、皇室の存続は国民の総意だとあらば、心穏やかならざる時もおありかと。「なるちゃん」などと呼ばれていた時代のことが、有難やということかどうか。
 
 この失態、最近偶々かの憂国の人の著作など再読しつつ、天皇に抱く複雑難解な思いに頭を痛めていた折も折のことだった。思えばあの事件も、あれから50年が過ぎて今は遠い。「などてすめらみことは人となり給ひしか」。
 身を割かれるような思いで家族を残し、戦場に消えていった多くの兵士が、今の物質経済優先の社会を見ても、憂国の人と同じような思いを共有し、同じような叫びを上げるとは思えない。あの人たちが生きた時代は貧しく、特に農村はひどく、今よりか格差もあれば、政官、民にも不正義が横行していたはずだ。
 そういう時代に育った人の多くは世を去ったが、戦後民主教育を受けたと言われる我々にも親の時代の影響は残る。残滓もあろうが、そうばかりでもない。「多様性と調和」などと聞いても、首をかしげる者もいるだろう。

 この誤りを指摘してくれたのは、半世紀を優に超える小学校以来の畏友KM子さんである。フム―、それにしてもこの勘違いの凄さには、つい笑ってしまう。本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「冬」(92)

2021年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 北斗七星の見える位置が少しづつ北東の空から、中天に移動しつつある。それにつれ、柄の先から山際までの間が大分開いてきたから、もうそろそろ牛飼座の主星も見えてこないかと期待している。
「冬北斗」はその名の通り冬の季語。ただし、俳句の場合は一般に旧暦を使うため、2月以降の毎夜眺めてきた北斗は、その意味では冬の星座とは言えない。それでも、最近の北斗の方が「冬北斗」らしい貫禄を、夜空の良い場所に得て見せてくれている。
 ここに、歳時記に載っている「冬北斗」の句を紹介しようと思ったが、はっきり言ってそうしたくなる句が一つもなかった。それでも敢えて、

   生きてあれ冬の北斗の柄の下に ー加藤楸邨
   青き糸ひっぱりあって冬北斗 ー小宮山勇
   冬北斗片足飛で遊ぼうか ー服部光子
 
 加藤楸邨の句などは、別の歳時記にも載っていた。少なくも牧場であれ、里の山からであれ、北斗七星を眺めてこういうような句境を覚えることはなかった。" a exile (追放された者) " の身でエラそうなことは言えないが「冬北斗」、このたった5音に凝縮された言葉の力が強過ぎるのか。埋め草、ムー。

 昨日のような陽気であれば旅にも出たくなるが、きょうは光の強さは変わらずも気温が低く、猫並みに一日を過ごすことになりそうだ。小型バイクで伊豆半島を一周するという豪の人からの通信を貰ったが、あの半島の海岸線を走る道路沿いから目にした茫洋、のたりとした春の海が目に浮かんできた。もうすぐそこに桜が艶やかな色どりを添え、そんな季節の便りもやがてどこからか届くだろう。
 伊豆半島へは何度も行ったが、天城の山中へは足を延ばしたことがない。というよりか、はっきりとした記憶がない。あの有名な小説張りの、なかなかいい温泉宿もあると聞いて計画を立てたりもしたが流れてしまって、以来そのままになっている。信州の針葉樹林とは違って、同じ緑の葉を付けた樹々でも暖かさを感じるツバキなどの照葉樹林が目立ち、それを見るだけでも気が休まる。
 それにしても、信州にいてはなかなかそこまではと思うが、伊豆辺りなら今の季節であっても小型バイクを駆っていい行楽ができるのだろう。そういえばこの時季、「サーファー」とか呼ばれる人たちが何人もアメンボウのようになって海に浮かんでいたのを覚えている。一緒に行った異国の人(スイス人)に、アレの何が面白いか分からないと言ったら、その人も待っていたように同意してくれた。
 彼ら、彼女らがそれを聞いたら「キコリになんぞには分かりっこない」と嗤うだろう。本日はこの辺で。


 

 

 



 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「冬」(91)

2021年02月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 庭のボケの花が一輪だけ咲いた。この白い花は、蕾が大きく膨らんでもなかなか開花までには至らず、毎年のように気を揉みながら待つ。今年は意外に早そうだ。もっと花の数が増えたらちらし寿司でも作り、人を呼んで小宴を張り、今年の春を寿ごうかと考えている。
 昨夜の散歩の時にも、さらにその後夜中には雨が降ったようだが、暖かかった。これからは本格的な春が到来するのを待ちながら、暖かかったり寒かったりの気候の変化に一喜一憂することになる。それにしても、2月も残り1週間を切った。早いものだと改めて思う。



 外へ用事で出たついでに、夜の散歩道が昼間はどんなふうに見えるのかと、同じ順路を車で走ってみた。一番のお気に入りの天竜川が見下ろせる高台まで行くと、段丘に張り付く集落の向こうに西山が、中腹までは白い冬化粧のままだった。風は強かったが光の明度は高く、春まだ浅き伊那谷ではあるもののボツボツ野良にも人の影が見え、冬の重苦しさのない明るい風景が遠くまで続いていて、そんな風景から気が晴れる思いがした。
 
 きょうは天皇誕生日で祝日。畑中の道では両手に杖を持って歩いている人に何人か出会った。健康のためにと、こうした人をよく目にするが、山ばかりか里でも杖が必携となっているようだ。短すぎたり、長過ぎたり、そこらの調整がきちんとできているのかと、日ごろ登山者の杖の使用にはあまり賛成でないだけに、余計な心配までした。
 杖はピッケルと違って、緊急時に、窮屈な手皮(ストラップ)の場合は手放すことが容易でなかったり、放り出したら失うと躊躇う可能性もある。ないよりかマシかも知れないが、ヘルメットや杖などは用品メーカーが生み出した流行で、雨具のように必ず持たなければいけないかは疑問だ。舗装路や岩の上などでは、手に受ける衝撃も少なくないと聞く。安全の名で売れれば、それでいいのだろうか。

 あの西山の雪の様子からは、入笠へはまだ車で行くことは無理だろうと思った。それでもいろいろと心配だから、近々に行くことを考えている。
 春を思わせるこの気温も、今夕にはまた冬に逆戻りとなるようだ。本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする