入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    ’16年「夏」 (52)

2016年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  以下は、昨夜ほろ酔い気分で兄貴分のあの人と交わした会話の一部。
「オマエ、もしかして入笠山という山の名を、雨請岳に変えたいと思っているのではないのか」
「何を仰る滅相な、そんな気なぞ毛頭ござらん」
「そうか。しかし、オマエの好きなマッキンリーも、原住民が呼んでいた古い名前のデナリに変わったゾ」
「あれとこれとでは話が全く違い、入笠山は民衆の生活の中から生まれた正当かつ立派な名前で、もう一方のデナリについてはどこかの太鼓持ちが、アラスカなどには一度も行ったこともない、しょうもない大統領の名前を勝手に付けただけでござる」
「そうだったな」
「ただ、つい明治のころまでは今の入笠山が、恐らく伊那側の住民らには雨請岳と呼ばれ、雨乞いと関連する山だったとを知ることができたのは、本当によかったでござる」
「確かに。大澤氏のお蔭だな」
「それにつけても、少々気になることがござって・・・」
「ウム、何だね」
「登山口の駐車場の名前でござる」
「ああ、例の御所平峠駐車場というヤツだな」
「本来の場所とは関係のない所にもう一つ、御所平峠という地名があるということでござる」
「確かに、最近伊那側へ来る登山者も増えたし、混乱するだろうな」
「・・・」

 というような会話が交わされ、今日で6月も終わる。牛乳月間も終わるが、その最終日、牛がまた4頭上がってきた。これで50頭を超えた。



 パンフレットには御所平峠駐車場とあるも、登山口の標識には写真のように「峠」の文字がなく、その点をご承知おき下さい。

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    ’16年「夏」 (51)

2016年06月29日 | 入笠にまつわる歴史

          雨ニモ負ケズ!

 昨日は、下に用事がありいつもより少し早目に下っていくと、途中で古くからの馴染み客のI氏に出会った。氏はまた北沢の方に釣りに来ていたようで、その帰路に入笠に立ち寄り、無聊をかこつているはずの管理人に高遠饅頭でも持っていき、日本茶を喫しながら四方山のことを語ろうと考えてくれたらしい。その気持ちに添えないことを詫びるしかなかったが、別れ際、「霧の入笠も素晴らしいですね」と、彼は言い残してくれた。

 さて昨日の続き「雨請岳」についてだが、名前の由来である雨乞いなら、諏訪神社上社の奥宮である守屋山がよく知られている。しかし、こうした風習はこの辺りでは、かなり古くから一般的だったのではないだろうか。この牧場内にも雨乞いをしたと伝えられる「雷電様」がある。祠は江戸末期の作である。しかし「雨請岳」の”二つ名”を持つ入笠山には、雨乞いを連想するのはその山名ばかりで、牧場内の「雷電様」のような祠や碑は、あったかもしれないが、少なくとも今はない。


         雷電様の祠
 ここから勝手な空想を許してもらいたい。もしかしたら、雷電様での雨乞いは、「雨請岳」に向けて祈願したものだったのではないだろうか、ということだ。雷電様の祠の置かれている場所も、牧場内では高い場所になる。しかし、眼前にそれより高い山、雨請岳がある。普通なら、天に近いそこで雨乞いをしようと考えるはずだが、何故かそうしなかった。谷を挟み、雨請岳のよく見える雷電様が、雨乞いの場所として定着した、その理由は何か。
 ここでさらに空想を膨らませるなら、当初は雨請岳で行っていた雨乞いが、例えば期待はずれの結果ばかりに終わったとか、もしくは何かの理由で雨請岳での雨乞いを中止し雷電様で行ったら、その霊験があまりにもあらたかだったとかしたなら、どうか。人々は雨乞いの場所を、里から近くて便利な雷電様に移そうとしたとしても納得できる。
 「雨乞いの場所、もしくは対象がが入笠山で、何故右手隣の4.9メートル高い『名無しの権兵衛山』ではなかったのか」と問われれば、「ここに来ればよく分かるはずでござる」とだけ答えさせてもらいたい。そしてひとまず、本日の妄想もどきを終えることにする。

 FujimiーH殿、これではあまり期待には応えれなかったかな、また。

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    ’16年「夏」 (50)

2016年06月28日 | 入笠にまつわる歴史


 「十一月八日 晴   午前六時半、荊口を発し栗ノ木立組より施業。道路も峻険。積雪尺余。上がるに随て積雪愈深く、三里許、頂に至る。これを御所平嶺と称す。下れば平原。水は尚三峰川に落ちるの源流なり。復上る、半里、仏平嶺に達す。之を伊那・諏訪両郡界とす。嶺北に一高山あり。雨請岳と称す。近傍の地形を視るに便ならんことを期し、雪中を侵し頂に達る。連脈中の高嶺なり。以下略」

 大澤さんは、地形学の世界ではその名も知られた神足勝記(こうたりかつき)の膨大な第1資料を調べ、それを長年かけて書き起こし、さらには実際に著者の足跡を求めて多くの地を訪れている研究者だ。今回もその資料を参考に現地にやって来た。ところが、その記述には納得できない箇所があり当惑された。無理もない、高遠から乗ったタクシーが氏を連れていった所は「御所平峠」ではなく、入笠山の登山口である。この駐車場がいつの間にか、「御所平峠駐車場」として案内図にも載るようになったからだが、以前にも書いた通り、「御所平峠」はこの場所ではない。「嶺北に一高山」はない。
 マナスル山荘新館の女将に尋ねたら、牧場の管理人なら何か分かるかも知れないと言われ、ちょうど牧区の見回りを終えて走っていくトラックを見て、調査のため携行していた自転車で後を追いかけた、ということらしい。
 大澤さんの専門は財政学である。戦前の皇室の財産などを調査、研究する過程で”明治の伊能忠敬”と呼んでも差し支えない、神足勝記に行き当たったのだ。明治の初期、皇室財産、主に山林が急激に増大したが、彼の調査はそれと関係したものだったようだ。
 神足の資料にある入笠周辺の記述は正確である。経路は、法華道の赤坂口(法華道には別に諏訪神社口がある)を出発して、御所平、仏平、雨請岳(入笠山)を経て、富士見の若宮に下ったと読める。
 神足勝記については、インターネットでも検索できる。興味があればそちらに目を通すことをお勧めし、今日のブログでは、取り敢えず二つのことを強調しておきたい。一つは「御所平」と呼ばれている場所が、明治の初期の神足勝記の調査でも、現在の場所と一致し、従って当然「御所平峠」もこの場所であるということ。もう一つは、これこそが新事実の発見であり驚きだが、入笠山にはもう一つの名前、「雨請岳」という山名があったということである。(つづく)

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    ’16年「夏」 (49)

2016年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


梅雨の時期とはこういうものだろう、今日も深い霧の中で一日が終わる。権兵衛山も、白い闇の向こうにその姿を隠してしまったままだ。二日続きの雨で心配したが、牛の元気な姿を全頭確認することができた。今日も和牛が中心になって、15,6頭の牛がゾロゾロと後を追ってきた。給塩は済ませた後だったから、やるものがない。それでも呼べば来るように調教しておきたい。

 二日日ぶりに大沢山へ行ったら、また鹿が1頭罠に掛かっていた。しかも、20日、月曜日に捕獲した罠と同じだった。この付近には6台の罠を埋めてあり、これはただの遇然だったかも知れない。しかし、そうではない可能性も考えられる。というのは、止め刺し後の放血の際には多量の血が出る。鹿の血液中にはかなりの塩分が入っていて、もしかしたらこの塩分が鹿を誘引した、とは考えられないだろうか。
 県の有害動物対策の担当者と行った調査では、くくり罠の周囲に誘引用の塩を置いた場合とそうでない罠とで、捕獲の結果を比較してみたことがあったが、明らかに塩による誘引を行った罠の方が捕獲の成功率は高かった。この実験と同じような効果があった可能性もある。
 今日はもう一つ鹿の話題。先日、茅野や富士見の「Aコープ」で鹿肉の販売を始めたことを報ずる新聞記事を紹介した。200グラムで1300円とか1400円もするというので、驚いたことを書いた。
 ところが昨日、同じ長野県内の佐久地方では、鹿の肉がペットフード用に使われているという写真付きの記事を読んだ。どちらの記事も、毎日新聞の長野県版である。あまり日を置かずに、一方の記事では食用として鹿肉を普及させようとする人たちの話題を取り上げ、他方では鹿肉がペットの餌になるという話を紹介している。 これでは、せっかく鹿肉を食べてみようと思っていた人たちはどう思うだろうか。もう少し記事の扱い方には工夫があってしかるべきではなかったかと、長年愛読してきた新聞に対してではあるが、不満を感じた。
 ことほど左様に鹿に関しては、行政も含めて、対応がバラバラ。

 3時を過ぎるころになってようやく、真っ青な空が広がってきた。久し振りに夕焼けが期待できそう。

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    ’16年「夏」 (48)

2016年06月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 6月は牛乳月間だということを巣鴨氏のコメントから知り、先日そのことについて当ブログでも少し触れてみた。今日は牛乳に因む別の話題を、もう一つご紹介したい。
 明治が、業界シェア1位の「明治美味しい牛乳」の容器を、1000ミリリットルから900ミリに変えるという。しかし、料金は変わらないらしい。何故そうするかという理由は、新聞が引用したメーカーの説明をそのまま再度引用すると、「牛乳を開封してから飲みきるまでの期間が前より長くなっている。キャップ付きで、最後まで無駄なく衛生的に飲むことができる」ようにするため、なのだとか。
 またこれで、「筋肉への負担が約1割軽減され」、「手の小さな子どもや握力の弱い高齢者も持ちやすくした」との、広報室の説明まである。呆れた。いくら何と言ってみたとて、値上げがまずありきだと思われても仕方ない。なぜ正々堂々と値上げをすると、言えないのだろうか。
 百歩譲って、メーカーが本当に消費者のことを考えて、筋肉の負担まで考えてくれて、容器を1割小さくすると決めたのなら、値段も1割下げるべきだ。なのにそうしない。こんな拙劣なマーケティングをやってては逆効果でしかない。
 容量を1割減らすが、値段はそのまま変えない、その理由を消費者が理解し、納得し、受け入られるようにすればよいだけだ。それにはまず、きちんとした説明が必要で、あまりにも姑息な理屈ばかりをコネていると、同社製品のブランドイメージはさておき、牛乳への高い信頼が傷付きはしないかと気になる。
 牛乳は決して高くはない。そのことを消費者に分かってもらう努力をこそ、すべきではないのか。

 優柔不断な天気の中、今日も草刈をした。軽トラで牧区内に入っていくと、和牛が群れになって後を追ってきた。「露天風呂?まだ内緒でござる。クク。」

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