入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (43)

2016年04月19日 | 牧場その日その時


  5か月の休みが今日で終わる。いろいろと思うことはある。
 特に今、過ぎ去ろうとしている平穏だった日々に、強い哀惜を感じている。何か特別なことがあったわけではない。まるで愛犬HALのように、暖かい場所と、美味い物とをほしがり、ただそうやってウロウロと過ごしただけだ。にもかかわらず、二度と手にすることのできない何かをなくしてしまったような喪失感を味わっている。
 たまに炬燵から抜け出し、スキーに行ったり山を歩いた。入笠へも法華道から二度登ったし、今年は雪が少なかったから車でもちょくちょく上がった。懐かしい顔に会うために東京にも二度ばかり行った。しかしそれでも多くの時を、この陋屋の虜囚となって過ごし、呆気ない日を送ることで5か月が過ぎていった。
 この10年、毎日のように牧場に通う日々が「主」であり、長い冬を逼塞して暮らすのが「従」だと思っていた。しかし、その主従の関係もよく分からなくなって、今では背中を丸め、寒さに震えた冬の日々も有り難く、尊く、懐かしく思う気持ちになっている。


    HALも退屈しのぎになってくれた

 写真は清流、山室川。一昨日、入笠からの帰りに撮った。明日からまたこの流れに沿って、四季折々の季節の変化を眺め楽しみにしながら、7か月を行くことになる。
 
 連休の予約はお早目に。山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。
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       ’16年「春」 (36)

2016年04月12日 | 牧場その日その時


 「水ぬるむ」と書きたいところだが、昨日、きょうあたりは、気温がこの季節らしからぬ低温で、萌え出した草木も一服といったところか。それにしてもいまさらながら、高遠という山里の町には桜の花がよく目立つ。今が満開。

 一昨日はタカボッチへ、そして昨日は急に思い立ってまた入笠へ行ってきた。
 伊那よりもわずか30キロくらい北へ行っただけだというのに、タカボッチから見たあたりの眺めはまだまだ春の息吹というにはほど遠く、広大な草原に立てば、一面に萱(かや)やその他の枯草が緩やかな地平線となって鉢伏に遮られるまで続き、残寒の風に揺れていた。
 眼下には諏訪湖が、そしてその背後に霧ヶ峰や蓼科山が見えていた。八ヶ岳や南アルプス、そして目の前に展開するはずの北アルプスの峰々は生憎の薄雲や霞の中にあって、山容をあれこれと想像してみるしかなかった。
 わずか1週間ばかりの間に陣馬形、入笠、タカボッチ、そしてまた入笠と、まるで高所中毒者のように出掛けては爛漫の里を行き、早春の高原を渡ってきた。今週末も入笠へ行くし、19,20日は常念岳の麓の温泉に行く(20日早朝帰宅、同日入笠へ)。もうすぐ仕事が始まれば、入笠に縛られる。そういう思いがどこかでしているせいだろう。
 初めて訪れたタカボッチのは印象は、乾いた山という気がした。しかし、一度ぐらいで勝手なことを言うのは早計だろう。ここの草競馬は有名で、さすが観光牧場としての工夫や努力が、好感を持って伝わってきた。
 行き止まりで車を降りたら、中川与一の歌碑が目の前の草むらにあった。彼の代表作「天の夕顔」は19歳の夏読んだ。たまたま京都で知り合い、別れ際に京都駅でその本を渡してくれた人の短い記憶が、そこで終わっている。そのことを久しぶりに思い出した。
 
  天にちかき 国のたかはら 霧ふりて 神話の如し 君としゆけば  

 純平君、ちゃんとコメント届いていますよ。Nさん、活動範囲と行動力に感心。巣鴨さん、土曜は入笠泊にしてください、連絡します。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては、カテゴリー別の「H28年度の営業案内」をご覧ください。  
 
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       ’16年「春」 (33)

2016年04月06日 | 牧場その日その時


 最近、タイトルは忘れてしまったが、 K2の初登頂を映画化したイタリア映画を観た。大御所カシンが出てきたし、24歳のボナティはサミターにはなれなかったものの登頂には貢献した(ただしこの件では裁判沙汰になったとも)。少し前に「神々の山嶺」を観たことは、以前にちょっとだけ書いた。この映画は、完全な創作だが、両者に共通するのは、実際には考えられないような場面が次々と出てきたことである。
 当然、両作品とも技術指導をする者がいたはずだが、監督の思い描く「山」や「登攀」のイメージというものが強くあったのだろう、そのために所々で首をかしげたくなる場面を見せられ、その方に気がそがれてしまった時もあった。
 高所における登攀は大変な苦労や危険を伴うだろうから、そのためにクライマーは当然、できる限りの安全策を採るはずだ。それは、監督の意図するイメージとかけ離れてしまうかも分からないが、そういった装備や技術を無視してしまうと、安っぽいとまでは言わないが、真実味の薄れた映画になってしまうという気がする。
 K2に関して言えば、撮影地がアルプスであったりニゥージーランドだったせいだろう、高所の感じがあまりしなかった。その点、「神々の山嶺」はヒマラヤの現地撮影が行われて、スケールに富んだ迫力のある場面も次々と現れた。
 映画は、マロリーがエベレストの初登頂を果たしていたか否かに関心を持つカメラマンを主役とし、準主役の登山家には、グランドジョラスで墜死した故森田勝氏の人物像や実績の相当部分を借りてきて着せ、負わせ、そこに井上靖の「氷壁」を思い出させる役柄の若い女性を登場させた。さらにその上、エベレストの南壁を単独・無酸素で攀るという、これらの道具立ては盛り沢山かつすごいが、山岳映画を期待して観た人たちはどう思っただったろうか。
 なお、以上は映画を観た感想で、原作は読んでない。

 今日の写真は、本日陣馬形へ行く途中、中川村の大草城址公園で撮影。背景は中央アルプスです。陣馬形については、明日のブログをご覧ください。 
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       ’16年「春」 (32)

2016年04月05日 | 牧場その日その時


 春宵のいっとき、小宴を張る。酒を温めしばし歓談。
「少なくとも3万年以上も前、海を渡ってこの小さな島国にやってきたと言われるわれわれの祖先と、これから未開の宇宙に出ていこうとする現代人と、どちらの方が勇気があると思われるかな」
 と、詮もないことを問えば、相手は一瞬のためらいもなく答えた。
「どちらも!」

  花に酔い、御柱(おんばしら)に熱狂する人々がいて、列島は安泰である。日常の不幸はあちこちにあっても、この国の、この時代に生きていることは、秋津島根の万年の歴史の中でも有り難く、ひたすらに有り難い。
 冬を送り、春を迎えて今、何するでない春の宵、薄墨色の気配に漂う平安をしみじみと識る。

 鐘撞けば 流石に更けて 春の宵 - 井月 -

 今日のPHは、キャンプ地(B)に残る雪とモグラの悪戯。
 山小屋およびキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。
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       ’16年「春」 (31)

2016年04月04日 | 牧場その日その時


 朝方雨が降っていたが、それも今は止んだ。爛漫の季節を迎えるための通過儀礼のようなもので、これでまた春は一歩か二歩進んだことだろう。 庭のボケが今年もまた白い花を咲かせた。この陋屋に果たして似つかわしいかどうかは分からないが、手入れもされていないのに毎年ちゃんと白い花を楽しませてくれる健気な花だ。
 花といえば、もうあまり残ってはいないが、田舎で暮らし始めて50種以上の山野草を植えた。そのうちの幾種かは、この季節になると今も芽を出し、情の薄い者に、何事かを訴えているかのように見える。イカリソウ、ヒトリシズカ、ミヤコワスレ、八角連、ユキザサ・・・。




    八角連

    イカリソウ

 下の写真は、すでに今年も登場した。その名の通り、わずかに融けた雪の間から白い花弁を覗かせる。「春咲クユキノシタ」と教えられていたが、疑義を呈す人がいて、図鑑やインターネットで調べたがはっきりしない。別に花の名前にこだわるわけではないが、そういう問題提起をした人がいることは、伝えておくべきだろう。そのうちD先生に聞いてみよう。



 山小屋、キャンプ場の営業内容については、カテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。
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