入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(72)

2021年01月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 昨夜7時半からNHKの「冬キャンプin信州」という番組を見た。撮影地はなぜか北信の青木湖と、南信の駒ケ根という二カ所だった。出演者の名前は憶えていないが、彼が冬のキャンプを体験し、その様子を紹介するということで、青木湖の方は出演者を支援する専門の人が1名いて、テントの設営の指導をし、その人の案内で周囲の美しい雪景色の中をスノーシューズを楽しんだり、野外料理を堪能するといった趣向だった。駒ケ根の方は、出演者をキャンプに来ている人たちの所へ顔を出させたり、冬キャンプを推進しようとしている人などを登場させていたが、あえて使わなくても良かったのでは、と思った。
 こういう番組はまず何より楽しく、快適、そして自然をほめそやす、ということが定番になるらしい。贅沢なテントと設備、美しい雪景色や星空の輝き、暖かい飲み物と豪勢な料理とくれば、番組を見た人の中には冬キャンプをやってみたいと思った人も当然いただろう。昨年の正月にもNHKが静岡の冬キャンプ場を放送したら、たくさんの人が押し掛け、手に負えなくなったという話を思い出しながら見た。
 
 そこで感想だが、まずは寒さ。これが一番の課題になるが、そこは抑えた演出となっている。それにしても、いくら贅沢三昧のキャンプが流行りとはいえ、あんな大型テントに立派な薪ストーブ、その上就寝専用の小型テントまでが用意され、それでもまだ足りず簡易サウナまでが出てきた。キャンプ用品の宣伝が始まったかと錯覚したほどだったが、冬季は車が使えないキャンプ場が多いから、あんな結構な装備、用品はキャンプ場の方で用意するしかないだろう。ウーン。
 となれば、料金はいかほどになるのか。水場はどうなっているのだろう、はばかりは、とそういうことも知りたくなるが、そんな舞台裏は見せてくれない。しかし、こういうことが実際のキャンプでは重要なのだ。
 焚火はいいが、煙が目に染みて涙を出す姿などは見せない。暖房がなければたちまち氷結する便所、手の切れるような冷たい水を使っての汚れた食器洗い、雪の上に寝る寒さや不安も、「快適、楽しい」には邪魔になる。本当はそういう苦労を乗り越え、耐えるからこそ、冬の野外生活が味わい深く、甲斐のあるものになるのだと思うが、番組はそこまでは行かないし、行けない。青木湖と、そこから眺めた星空が良かった。
 
 まあ、こんな感想などは趣旨が違うと一蹴されて終わるだけだが、「歯に沁みるような孤独」とか、はたまた「地球の回る音が聞こえる」ような静寂につつまれた冬の世界で、あまり演出のない素朴なキャンプを、いつか是非番組で見てみたい。
 
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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     ’20年「冬」(71)

2021年01月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 中央に見える長い谷が山室川の削った芝平の谷で、牧場が始まればここを行き来する。遠くに小さく見える白い峰は中アの西駒ケ岳。

 昨日の呟きばかりかいつもだが、何が言いたかったのかと聞かれても困る。多少は聞き耳を立ててくれる有難い人のことも意識しないではないが、これはあくまでも独り言なわけで、特に今は炬燵の虜囚でしかない身、花が咲いた鳥が囀るの話題は乏しくなって、どうしても陋屋の住人としては乱雑不明なことばかりを呟くことになってしまう。
 それで昨日の言い訳としては、丸元淑生のような人もいれば、たかだかが70歳そこらで早くも老いの先を考えたり、その年数を数えるような人もいる、というだけの話で終わった。付け加えれば、山田風太郎はパーキンソン病という思いがけない病を得た晩年ではあったが、ともかくも1000日以上の晩飯を食べることができた。氏のたった1冊の愛読者とはいえ、それについては何より喜ばしいことだったと思う。愛妻家だったと感じた。
 
 ここからは妄言になるが、文士・作家と言われる種族の中には、やれ腰が痛い、足がふらつく、視力が落ちたなどと老齢の不自由、衰えを嘆くふりをして、それを材料に徒し事を綴りながらまだ生きている人がいる。そもそもこの作家などは出版社に甘やかされて法外な稿料を当然のように貰い、優雅の過ぎた暮らしをしていると聞く。それだけでなく、これまた法外異常な講演料などというものを人気力士の賞金のように得て、その際に遠方遠出であれば当然、列車はグリーン車で高級旅館が用意される。しかも中には、送迎にタクシーでは嫌だという女流もいるから驚きである。
 作家ならだれでもこれほど恵まれているとは思わないが、本が売れなくなった現在、そしてこの先、過疎地の人口のようにこういう人たちも淘汰され、減少し、希少化の一途を辿るだろう。そうなれば、市井の隅でつましくも清貧に生き、短い一生にもかかわらずあの人の残した名作が、乱作駄作の中でより光るだろう。
 少しばかり顔が整っているとか、声がきれいだとか、これらのことも天与のものとは思う。しかし、いまのような自分勝手な感情に酔った、歌う人のための歌にしか聞こえない曲を何曲持ってきても、「赤とんぼ」1曲にさえ勝てないだろう、というようなもので、この「赤とんぼ」に匹敵するような本を探すとなれば埃だらけになることを覚悟で、本の整理をしなければならなくなる。止そう。

 ころころと天気が変わる、どんな予報だったか記憶が混乱してきた。本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(70)

2021年01月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

              Photo by Ume氏

 牧場へ通う時もそうだが、今の夜の散歩も開田に上がる前には「洞口(ほらぐち)」という坂を登る。「洞」と言うのは沢のことで、この坂はそういう意味から来た名前だが、沢そのものは水量は少なく狭くて名前はない。ただ「洞口の坂はきつい」というような言い方をして、名前のように使われているし、坂の名前だと思っている人も多いと思う。
 子供のころはよくこの坂を荷車を押して登ったもので、思い出すだに恥ずかしく、それでも今となっては懐かしい。荷車だからゴムのタイヤのリヤカーとは違う。木製の車輪が擦り減らないよう外側に厚い鉄の板が巻かれていて、空荷でも結構重く、動きもよくない。あんな古い、壊れかけたような荷車を使う家など当時でさえ他では見掛けなかった。
 ところが引手たる父親は、そんな手伝いを一種の躾だと信じ、また、専業農家ではなかったから、あの荷車で充分だと思っていたらしい。まだこのころはその後何年かして常態化することになる反抗はできなかった。
 今はもちろんそんな"不幸"な子供などいない。それどころか、機械化のお蔭で家族総出で野良に出るなどということもなくなった。だから、若い人たちの多くはもちろん米の作り方など知らないだろう。彼らの親たちといえば60代以上だが、農業を子供に教えず、頼らず、せいぜい老夫婦が元気にその役を務めている。そういう家ばかりだ。
 農業の集約化などということは、お上が考えなくても自然とそうなる。たとえ仮に、先祖から引き継いだ土地を守るため、嫌がる息子に農業を継がせようとするような殊勝な親がいたとしても、肝心なその跡取りが減るばかりで、あと一世代も待てばこんな田舎はわが家も含めて、空き家ばかりが増えていく。
 
 これまでの人生を振り返って、ふる里に帰って過ごした60代が一番平安だったと思っている。それは都会の暮らしがあったからかも知れないが、いつも正しい選択のできなかった人生において、都落ち、これだけは当たったと思っている。だからまだ「あと千回の晩飯」のあの人のように、70歳になったかそこらで、老いをとくとくと語り出す気にはならない。昨夜の散歩の歩幅は平均81cm、歩行速度は5.9㎞/hとある。
 作家を目指しながら、いつしか栄養学やそれに基づく料理を語るようになった名著「システムキッチン学」の丸元淑生は、皮肉にもガンを宣告され、余命7ヶ月を言い渡された。病院からの帰りの電車の中で気落ちしている息子に「まだ7か月もあるじゃないか、みんなで楽しく暮らそう」と言ったそうである。

 また寒くなるようで、夜からは雪の心配が必要らしい。赤羽さん、「三条の湯」という手もあります。本日はこの辺で。

 
 


 
 
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     ’20年「冬」(69)

2021年01月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 きょうのUme氏の写真でも分かるように先週末から、標高1千4乃至500㍍以上では雪だったようだ。その高さは多分第2堰堤より先の枯木橋あたりに相当し、確かにこの橋を境に、積雪量がガラッと変わることが多い。昨日用事で外に出たら、西山も同じような高さからはかなりの積雪があったようだったが、昨夜、夜中にかなり激しい雨音を聞き、今朝の室内気温はいつもに比べて8度とかなり高かった。山の降雪はさらに標高を上げたかも知れない。

 小屋やキャンプ場へよく来てくれ、親しくしているOさんから電話で、仕事のない今は何をして過ごしているのかと聞かれた。相変わらず機械に向かって独り言ち、本を読み、気晴らしに風呂に入り、夕暮れが訪れれば晩飯を用意し1合の酒を嗜み500㏄のビールで潤す。昨夜はビールはつい2本、1千㏄になってしまったが、8時半ごろにいつもの散歩に出掛けて1時間半ばかり歩き、この頃はその後にウイスキーのお湯割りを飲み、心身をほぐしてから床に就く。
 昨夜もネズミの立てる音で一度目を覚ますも9時間、はばかりにも行かずにしっかりと寝た。精液を運ぶ前立腺は用がなくなれば縮小どころか肥大し、歳を取った男たちのそれが頻尿の原因となり、共通した悩みらしい。まだその兆候はない。
   
   日は日くれよ夜は夜明けよと啼蛙(なくかわず) ー蕪村

 この句は例の「あと千回の晩飯」で知ったが、作者の山田風太郎もこの句がお気に入りのようだ。こういう単調な日々を送っていれば、俳人が蛙に託して吐露した思いが実によく伝わってくる。普段は時の流れなどできればゆっくり過ぎて欲しいと思っているのに、ここでは遅々として進まない時を急かそうとしている。何か愉快なこと、嬉しいこと、あるいは吉報を待つというのなら分かるが、夕暮れとか夜明けの話である。特に夕暮れなど来ればこの時代、一日はほぼ終わってしまう。それでも、この心境は意外なようでよく分かる。
 
 今、指折り数えてみれば、この冬ごもりもまだ2ヶ月と1週間しか経っていない。長いと思っていたがまだ半分にもならない。残りの日々に安堵もしないし、過ぎた時を惜しむわけではないが、この無為とも言える日々の状況を格別不満に思うこともなく、終わってもいいし、終わらなくてもいいと思っている。だから、この5か月の閉じ籠りに関しては俳人の思いとか、それに共感する気持ちとはまた違ってくる。
 それでいて午後の3時ごろを過ぎ、空の色にも光の精彩にも衰えや翳りが生じてくると、やはり夜が待ち遠しくなる。何か宙ぶらりんの状態に早く決着を付け、落ち着くべきところに落ち着きたくなるからだろうか。
 
 また寒くなるというが、本日はこの辺で。
 
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     ’20年「冬」(68)

2021年01月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(1月25日撮影)

 この呟きも「夜の散歩その日その時」になりつつあると思っていたら、Ume氏から貴重な5枚の写真が送られてきた。思いがけないことで大変に有難かった。昨日の朝、氏の場合は乗用車だが、それを駆ってオオダオ(芝平峠)まで強行し、そこで撮影したと聞いた。きょうから順次紹介するPHは、お蔭でこの独り言にも大いに色を添えてくれるはずだが、それにしても雪は結構深い。よく行けたものだ。
 
 さてまた例の散歩だが、昨夜は妙なことを思い付いた。前々から考えていながら果たせないでいる旅のことだが、それをもしも実行するとなれば途中で野宿をしながら旅を続けるのも一興かと考えたのだ。それで、この林の中なら、いやこの土手の横は、などなどとすっかりそんな寝場所の想定をしながら歩いていたら、さらに北へ足をのばして福与城まで行ってしまった。
 いや、何も野宿で宿代を節約しようと思っているわけではない。というのも、思い描いている古道は辺鄙な山の中が続き、宿が限定され、そのためどうしても行動が束縛されてしまう恐れがある。それが、山の中でも畑の脇でもどこでもと考えれば余程気が楽になりはしないかと、この旅に思いを巡らせていたらついそんなことを考えたのだ。だから、野宿一本で行くつもりではない。たまには風呂にも入りたくなるだろうし、人並みの物を食べて酒も飲みたい。それも旅だ。
 ウーン、確かに、夜間にそんな人気のない山の中で過ごすなど気味が悪くないかと思われそうだが、それよりかも、もし誰かがそんな風体の怪しい者を見付けたら、相手の方が余程不気味に思うだろう。乞食とでも間違えられて石でも投げらるかも知れないと、そっちの方が余計に心配になる。よく分からないが夜の山の中だろうが、墓地だろうが、殆どそれは景色、環境程度にしか感じない。久しく使ってなかった言葉だが、これも知らないうちに少しづつ野生化が進んだということだろう。若いころの単独の山行では、寝る場所には多少の拘りがあったと思うから。
 
 小学校性のころ、この福与の古城へ遠足に来て絵を描いた記憶がまだ残っている。信州へ帰ってきてから、春などはこの城跡へ桜を見に来たりすることもあるが、昨夜はその時に使う道でなく、小学生以来一度も通ったことのない急な山道を下ると決めていた。暗くて少し迷ったが、恐らくその細い急な道こそが小学生の時に歩いた急坂だろうと思った。60年以上も前の記憶だが、子供の足にはきつかったことを覚えている。
 そこからはまた天竜川の土手に出た。ここでもまたあれこれの思い出に耽りながら歩き、帰ってきた。7.4キロ、1万2千歩。本日はこの辺で。


 

 
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