Photo by Ume氏(2作とも)
この冬は暖かかったのか寒かったのか、よく分からないうちにボツボツ春の便りが届くようになってきた。河津桜を見たさにご本家、静岡県の河津町に多くの人が押しかける様子をテレビで見て、花もだが、あの人たちには雑踏が、人混みが同じように必要なのかとも思ったりした。
しばらく沈黙が続き、「アイツついに身罷ったか」などというよろしくない噂すらどこかで流れたかも知れない。幸いまだこうして生きているが、以前に「雪の法華道を行くよりか大変なこと」をそれとなく予告しておいたように、その「大変なんこと」に気を取られて、しばらく安気に独り言を続ける気にならなかった。
実は、友人の会社で年1回開かれる関連会社との重要な会議があり、その後に何か喋ろと言われ、今でもその時の気持ちがよく分からないが、なぜか安易に引き受けてしまった。あまりにも軽率としか言いようがない。
ともかく当日はこの独り言にも時々時々登場してもらっている元小学校の教頭TDS君と、元高校の校長AKR君とに付き添われ、会場に向かった。演題は「漫談 つれづれなるままに」という、考えてみれば同じような意味の言葉を連ねた文字通り行き当たりばったりの話。およその筋書きは考えておいたものの、どう話が進んでいくかは本人にも分からなかったような次第、後は天に任せた。
まずは気合を入れるために、350㏄の缶ビールを2本ばかり控室で頂き、いよいよ本番に臨んだ。すると、演台にもちゃんとビールが用意してくれてあり、ここら辺りから乱調が始まり、いやはや全く制御不能の有様となってしまった。正しくあれは漫談、いやそれ以下。
その上、会場の奥に何だか見たような顔があるゾと思ったら、後で分かったことだが、心配してわざわざ東京と松本からも、保護者然とした友人2名が駆けつけてくれていた。これには泣けた。
ただ、45分の予定が時間が余り過ぎて、やむなく質疑応答を始めると、徳川将軍らの乱だな夜の話もしたので、それに触発されたのか、このうちの一人MCM君が「弁士の女性遍歴は」などと、とんでもない話を振ってきた。これまでひたすら「清貧独居禁欲」を旨として生きて来た人生、思わず「退場、退場」を連呼していた。
というようなことで、それ以後は連日友情耽溺が続くばかり。久しぶりに夜中に目覚め、貰い物の沢庵でビールを飲みながらの独り言。日曜日からは、当初の目的は叶わないことになったが、それでもFMZ君の車に便乗して上京の予定。この独り言が巡行運転再開になるまでは、まだ少し先になるかも知れない。
本日はこの辺で。