午前6時半、気温は10度を下回り、8度。間もなく朝日が昇ってくれば気温は上がる。きょうも秋晴れの良い一日になるようだ。悪天に翻弄された9月が終わる、早かった。
と、思いつつ作業日誌を見れば、あんなこともあった、こんなこともあったかと、忘れかけていたことが次々と思い返され、「早かった」という感慨はそれらのことが記憶から消えたり、消えかけていたせいだと分かった。日誌に助けられていろいろなことを思い出していると、むしろきょうで終わる9月は忙しい1ヶ月だったと言いたくなる。
仕事も生活も中心は山だったが、里にも何度か降りた。そして遠方から来た「朋」と会い、ここでもそういう人たちと会った。撮影の話も何件かあり、その都度下見や打ち合わせ、さらには本番に繋げるため当てにならない天気予報に一喜一憂させられた。
色々とあった中、やはりなによりも北原のお師匠の死を別にすれば、牛たちが無事に山を下りたことが最も大きなことで、実際はそうはいかないが、牧守の仕事はこれで大方終わったという気になる。春先に第2牧区の区画変更を電牧と通常の有刺鉄線で行ったが、さらに追い上げ坂も新しく牧柵を張り直そうと考え、その準備も少し始めた。他にもいろいろあって、そのうちには冬支度もしなければならなくなる。
いつもながら撮影は裏方に回る人たちに感心させられた。特に若い女性が重い物を運んだり、動かしたり、男並みの肉体労働を淡々とこなしていく姿には褒めて上げたくなるし、応援したくもなる。
女性の地位向上などという声がこんな山の中まで届くこともあるが、そういうことを叫ぶ人の多くはすでにそれなりの社会的地位を得ている人が多く、またそういうことを仕事にしてしまい、どこまで本気で発言しているのかと疑いたくなる人もいる。
照明の重い機材や、撮影機材を動かす彼女たちからすれば、それこそ彼女たち評論家気取りの言葉など寝言のように聞こえるかも知れない。お笑い芸人のふんぞり返った背後で、ツンと澄ました女優の陰で、こうした人たちの献身が映画であれ、テレビであれ、CMであれ、支えていることをいつも目の当たりにし、痛感している。
帰らぬ日々の過ぎていく中で、北原のお師匠が静かに逝った。御所平の地蔵尊の前で名刹・遠照寺の住職が経を上げ、その横で手を合わせ、嬉しそうに唱和していた姿が目に浮かぶ。それが師の元気な姿を見た最後となってしまった。合掌。
法螺貝’Sさん、峰々に響き渡る大きな音でした。多謝。
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本日はこの辺で。