入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(46)

2021年04月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

           Photo by Ume氏
 
 久しぶりに雨が降っている。森や川もこれで一安堵していることだろう。牧草は生育を早め、そこを流れる初の沢のイワナや、アマゴも喜こべば、この頃姿が目立つようになった鹿たちも、この雨に刺激され生えてくる牧草の一番芽にありつけるから、やはり嬉しいと言っているはずだ。連日の枝打ちで疲労気味の人間も、思案の末、きょうは休みとした。
 昨年は倒木にすっかり翻弄され、苦労した。通勤路のド日陰の周辺は土木業者に大方を任すことができたが、焼き合わせから迂回を余儀なくされ、また誰も手を出そうとしないテイ沢の倒木処理には1週間くらいかかっただろう。
 丸太橋が無事だったことが救いで、救いと言えばTDS君が応援に来てくれたことも有難く、助かった。来る日もくるひも沢の中で、水に濡れながら何本ものモミの倒木とチェーンソーを武器に格闘し、大いに憤慨もした。それでも、終日耳にしていたあの流れの音が今も耳に残っているように、懐かしく思い出すこともある。
 
 そして今年の枝打ち、牛の搬入と搬出で1年にたった2回往復するだけの大型トラックのためにやるのだが、まだ終わってはいない。コナシの木というのは、他の木の枝とは違い、異常なまでに上下左右奔放に徒長し、それらがやたらと絡みに絡み、どこまでもしつっこく作業を妨害してくる。
 昨日も、1本の太ももくらいのコナシを伐ろうとして、いつも電線には細心の注意をしていたつもりだったが煩雑な枝の中を電話線が走っていて、それに絡んだ。幸い、コナシは伐り終わる寸前でチェーンソーを咥えて抵抗し、傾きかけた状態のままでかろうじて止まり、助かった。不安定な木の上で、枝につかまりもう1台のチェーンソーで丹念に枝をはらっていくしかないのだが、これ以上詳細を呟くのは控える。ともかく、無事に終わった。

 一昨年は確か、テイ沢の丸太橋が流れてしまった。牧場の立ち上げ、山小屋やキャンプ場の受け入れ準備だけをしていれば、それまでの経験もあるから自分の思うように進めることができる。しかし、いつも伏兵が潜んでいて、敵も様々な手法で邪魔をする。
 今年は、雪が少ないだけでなく除雪が終わっていて、初日から難なく上まで軽トラで行くことができた。こういう思いがけないこともあれば、covid-19のせいで、5月の光輝く山の牧場へどうぞお出掛けくださいとも言えないまま、あすから連休に・・・、ゲェ、きょうからだ。となればこうしてはいられない、予約がある、上にいかねば。
 本日はこの辺で。
 
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     ’21年「春」(45)

2021年04月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      Photo by Ume氏

 連日の好天で山室川の水量も目だって減ってきた。北門を過ぎたばかりの山桜、先日「きょう明日には」と開花の予想をしておいたが、何だか足踏みでも始めたようではっきりしない。もっとも、このところ、朝は零度以下まで下がり、今朝の気温も6度では花を責めては酷だろう。
 それと比べ、きょうのUme氏の写真のように、オイデエラのヤエベニシダレは今年も見事だ。惜しみなく、花の艶やかさを見せ、それと競うかのような柳の萌黄色も、また文字通りに遜色がない。
 
 この場所で26、27日と、以前にも紹介した郷土を主な足場とするピアニストの平澤真希さんの屋外ピアノ演奏の収録を行った。詳しいことはもう少し後になるが、YouTube「ネイチャーピアノ 平澤真希」で検索すれば、これまでの自然と共演する彼女の演奏を楽しむことができる。森や高原などの天然の舞台は、どんな豪華な演奏会場や、そこにでんと居座るグランドピアノにも負けないと語る彼女の音楽観、自然観がきっと伝わってくるだろう。



 今朝は久しぶりにNHKのFMを聞きながら上に来た。チャイコフスキーだった。花、鳥、音楽、どれも縁遠い世界であったが、食べず嫌いで済ませてきた珍品、逸品を今ごろになって喜び、感動して味わうことになった。長い旅の間に眺めていた退屈な風景が、後で振り返ったら忘れられない印象に変わることもある。人もそうだ。あの人もそうだ。そして、音楽も、花も、鳥も。
 音楽の点数を10段階で1という評価をしてくれたT先生、そして一部のお気に入りの生徒しか相手にしなかったU先生あなたも、僭越ながら音楽教師としての評価を1とさせて貰います。お二人からは、残念ながら音楽の素晴らしさ、奥深さを教えては貰えなかったからです。
 T先生、あなたが半世紀以上も前にNHK紅白歌合戦について、年が明けてからの授業で偉そうに、聞くに値したのは森繁久彌と弘田三枝子だけだと言いました。実は、内心では同意していたのですがね。もう一つ、音楽と何の関係もないことで1の評価を頂戴した理由、「生徒会長を殴った」からというのは、今だから言いますが真実ではありません。身から出た錆びではありますが、クク。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「春」(44)

2021年04月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 家の柿の葉が蓬色の若葉を見せるようになった。一冬、無数の徒長した枝を寒風にさらしながらも耐えて、また今年もたくさんの柿の実を付けるのだろうか。そうなっても、誰も捥ごうとする人はいないから、老木にはあまり無理をしてほしくない。
 欲しいと言った人も何人かいたが、木が大きくなり過ぎて手に負えなかったらしい。樹齢はどのくらいになるのか、子供のころからずっと、あの大きさだったような気がする。きっとそれは洟ったらし小僧の当時のままの感覚だろう。
 都忘れの花も幾つか咲き出したし、遅咲きの白い花を咲かせるイカリソウも同じように可憐な花を見せるようになった。牧場の仕事が始まれば、もうすぐこの家は主無き陋屋と変わらなくなるわけで、山に上がる前の早春の一時だけ、忘れかけていた草花の存在を気付かさせてくれるいつもの春だ。

 きょうは富士見の観光課に配属されたばかりの職員を案内して、入笠の伊那側を少し歩くことになっている。その前に昨日、突如機嫌の直った露天風呂を、いつでも入浴できるようにと準備した。枝打ちもやらなければならないし、相変わらず忙しい。忙しいが、ともかくも露天風呂が直ったのは大きな安堵だ。
 先日、前任者のH氏が新人のS君を紹介がてら連れて訪ねてくれ、その際に交わした言葉がきょうのことに繋がった。
 実は、以前から何とかしなければと思っていたことが、伊那側の道路標識の不備だった。取り敢えずのことはしてあるが、とても充分とは言えない。また、富士見町で作る伊那側の案内にも不充分だったり、不正確な点もある。
 そこで、この機会に材料など費用はこちらで持つから、得意の技を使って標識を幾つか作ってくれないかとはなはだ勝手で、難しいことを提案してみた。ヒルデエラ(大阿原)やテイ沢を始め、高座岩など伊那側を訪れる人々の大半は、富士見と無縁でない人ばかりだ、などと言い添えて。
 そうしたら後日、それを引き受ける条件にきょうの案内を求められたのだ。もちろん、いやだとは言えまい。
 恐らく彼らは仕事に支障のないように、連休の間にでもこちらが頼んだことをするつもりでいるのだろう。釜無山登山道も、クマササがひどいことになっていると話したら若い人たちが、確か休日返上で草刈りをやったのだから。エライ!
 O澤さん、いつ例の酒を一緒に呑めるのでせうか。本日はこの辺で。

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     ’21年「春」(43)

2021年04月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日は、千代田湖から守屋山の脇を通り、紅葉湖(もみじこ)へ抜けて帰ってきた。いつもの高遠の街を経由するのと距離的には殆ど変わりがなく、ただし枯木の頭ともう一つ守屋山の峠を超すことになるから、時間的には少し余計にかかるかも知れない。そう言えば「もう一つの峠」の名前はいまだに知らないままだ。
 
 人生の大半を、およそ草花などに関心を持たずに生きてきて、しかもあれだけ山に行ったのに、桜、コブシの花くらいしか気にせずにこれまでを来てしまった。それが今ごろになって、少しづつ変わってきた。もしかすればこれも野生化のせいかも知れず、そうだとしたら、吠えてばかりいるよりかもいいだろう。
 とにかくあそこは今、花・桜三昧の山道であり、しかも、目に沁みる新緑がまたいい。殆どすれ違う車もないからそのことも気に入っている。黄昏の物寂しいくらいの風景が、背中に負った疲労感を何とも言えない心地よさに変えてくれるのが分かる。
 朝の清々しい光の中に咲く山室川の花はもちろんいいが、暮れなずむ紅葉湖の水面を飾る花はまた格別で、その情趣の深さを味わい、しばらくは車を停めて思い出すように辺りの風景に見入る。



 仕事を始めて1週間が経った。実に早かった。作業日誌も、幾日か空白のままにしてある。小屋やキャンプ場の清掃や整備、それに露天風呂の釜の不調に手を焼いている。着火を制御する機器を下に降ろさなければならないかも知れない。幸い、水漏れの方は、米ぬかを使ったらほぼ収まってくれた。
 キャンプ場内に散らばっている枯れ枝、そして鹿の落とし物と、こんな物まで片付けなければならず、しかもかなり手間がかかる。緊急事態宣言が出て、予約取り消しがあるかと思えば、少数ながら、すでにキャンプ場を訪れたお馴染みさんたちもいる。
 何より今一番に手のかかるのが牧場内の道路際に生えているコナシの枝打ちである。これは体力もだが、それ以上に神経を使う。とにかく手も足りなければ、充分な道具もない。まだまだ終わらない。牧柵の点検、補修など、肝心の牧場の仕事までは当分手が回りそうもない。

 本日はこの辺で。
 





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     ’21年「春」(42)

2021年04月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 Photo by Ume氏    

 いい天気が続いている。こんなに晴天が続くなら、鬱陶しい梅雨の季節の為に少し残しておいて欲しいと、詮もないことを思うくらいだ。
 北門を過ぎて少し来ると指標木にしている山桜の木がある。それがすでにかなり蕾を膨らませ、もうすぐ開花するかも知れないと思ったほどだった。もっとも、標高のもっと低いオオダオ(芝平峠)付近の山桜さえまだなのだからとその期待を打ち消して、それでも念のために再度見にいったら、やはり開花はきょう明日かに迫っていた。
 


 一昨日仕掛けた大型の囲い罠、今朝来てみると罠のゲートが落ちて、中に鹿5頭を確認。今年における初捕獲となるから、有害駆除の観点からすれば、もう少し数が欲しかった。

 昨日も午後は牧場内を通る道路の際のコナシの枝打ちに専念。これは、牛を運んでくる大型トラックに性質(たち)の悪いコナシの枝が引っ掛かったりして車体や、幌を傷めないようにするための作業だと先日呟いたばかりだ。作業は体力も要れば危険でもあり、加えて腰の具合が本調子でないから、重いチェーンソーを持って微妙な体制を執ると、決まって激しく痛む。一昨日は、まだ不慣れと不調が重なり、落ちてくる太い枝に脳天を叩かれるということもあった。
 
 道路に木を倒すから合図の為、昨日も少し先に軽トラを停めてから作業をしていた。すると、1台の同じ軽トラが近付いてきた。小黒川へ釣りに来たという。それで、現在小黒川林道は通行止めで、南門のゲートは施錠されていると伝えると、70をかなり過ぎたと思えるその人は、大久保谷の近くで生まれ育ち、今も土地を持っていると聞きもしないことまで話し始めた。
 あんな人家などない人里離れた山奥だから、先祖は山仕事でもしていたのかと問うと、そうだという。しかも、木地師の末裔だというからさらに驚いた。こういう話になれば放っておけず、小屋に招いて茶を淹れ、子供のころの不便な山の中の暮らしや、分校の思い出話を聞かせて貰った。
 
 それにしても、あの谷から分校のある戸台までとなれば一体何キロぐらいあるだろうか。中学は長谷だったというからさらにもっと遠く、とても通学できるような距離ではなかったはずだ。
 別れ際、年齢を聞いてまた驚いた。年上だと思った相手は2歳も若かった。他人が見れば、あの人よりかもっと老けて見えるかと、わが風体のことを神妙に考えざるを得なかった。

 FUWAさん久しぶり、情報有難かったです。当分は、こんな調子です。
 本日はこの辺で。
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