午前中は上で早朝から天気を気にしつつ忙しい思いをした。それを済ませて、明日は大事な用事があるので、午後になってまた里へ帰ってきた。いや、やたら暑い、驚くほどだ。これもあの台風のせいだというのだろうか。
雑草に埋もれた陋屋の草を刈ろうと始めたら汗は流れるだか、血に飢えたやぶ蚊には刺されるだか、上とはエライ違いで面食らった。たまらず中断して、途中で投げ出した仕事の跡を眺めながら、自分の家のことには甘いなと自嘲した。
今、風呂から出て、ビールを飲んでいるといい風が入ってくる。ここも、本来ならもう秋だ。いまさら、晩夏の抗いなど「老人の元気」と同じようなものと、老人という自覚の乏しい老人が思っている。
蚊に刺された箇所がやたらと痒い。薬箱から怪しい軟膏を取り出し塗ってはみたが果たして効果があるのか、というよりかあれは痒み止めの薬だったか否かもよくとは分からない。
そんなものだ。これも自分の身体だからいい加減とは言え、それで誰かに怒られることもあるまい。もう一度風呂に入れば治るだろうか。それにしても里の方が住みにくくはないか。
天気予報によれば、台風10号の影響で来月の2日まではいやな天気が続き、ようやく3日の火曜日ごろから天気は回復するらしい。この台風が発生してから幾日になるのか、「低い土地の浸水、河川の氾濫、土砂崩れ」への注意喚起が毎日繰り返され、ストレスがずっと続いている。
この地域、伊那谷は幸いなことに比較的自然災害が少なく、その理由の一つとしては、木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)の両方に守られているということが言われてきた。
記憶にある大きな被害は、昭和36年(1961年)に起きたいわゆる「三六災害(さぶろくさいがい)」で、この時は信州の南部に大きな被害が出た。入笠の麓の集落、芝平はこれが引き金となって集団離村のやむなきに至ったと以前にも呟いた。
だから、安心していてよいというわけではないことを、この災害を経験した人はみな知っている。半世紀以上も前のことだが、もちろん忘れてはいない。(8月30日記)
台風10号奴はどこで何をしているのか、まだ近畿地方で暴れているのか。依然「記録的な大雨に厳重警戒」とあるも、これは昨日30日の予報で最新のものは分からない。この辺りの予報は午後から雨のようだが、確率は35㌫とそれほど高くなく、「厳重な警戒」にも対応が難しい。
先程までヤマバトの鳴く声がしていた。今はもう虫の声がするだけだ。秋。
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本日はこの辺で。明日は沈黙します。