入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(34)

2024年03月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

         開田から眺めた昨日、3月29日の仙丈岳
 
 久しぶりに春らしい陽気に、布団を干した。以前は屋根の上で済ませていたが、山小屋じゃないのだからと人に嘲われて、何年か前にそういう物を田圃の中の家具屋で入手した。それにしても、「緑なす繁縷(ハコベ)も萌え」だしつつある明るい日差しの中では、陋屋の荒廃が一段と目立つ。



 昨日、散歩の帰り、家の西裏にある日当たりの良い傾(なだ)れで待ちわびていた蕗の薹を採った。たった5株、例年ならもっとあるはずだと思ったが、それだけしか見付からなかったのは、去年の晩秋にここをしっかりと草刈りをしたから、そのせいだったかも知れない。
 菜の花のお浸しもいいが、やはりこの蕗の苦みは春の味である。牛が来て山の牧が牧らしくなるように、これで蕗味噌を作り、日本酒の熱燗を飲んでおかなければ春を語ることはできないとさえ思っている。
 
 蕗味噌はいたって簡単な料理である。蕗の薹を軽く水に放った後水気を拭いて、薄くごま油をひいたフライパンで炒め、酒で溶いた味噌を加える。
 これで充分だが、昨夜はこれにクルミを細かくして入れた。ちらし寿司のみならず焼きそばなどにもクルミを愛用する身、これも良かったが、もしかしたらあの繊細な春の味が少しぼやけたかも分からない。
 キノコのクロッカワを焼いて食べる際、大根おろしを入れてしまうと、キノコのこれまた繊細な苦味が負けてしまう。あれは生醤油だけで充分、それと同じ理屈だろう。

 今朝、電話の音で目が覚めた。しばらくして切れたが時計を見ると6時半前、こんな朝早く、またどこか誰かの訃報かと思い、恐るおそるかけ直した。するといきなり「山ゴボウは今が旬かえ」と、これ以上ないような幸福そうな声が聞こえてきた。
 そして大分してから、その幸福そうな声の主が2種別々の味噌で漬けたという山ゴボウの味噌漬けを持ってきてくれた。食べ比べてみろと言うので、それだけではもったいないと、やむなくビールも飲むことにした。
 どちらも久しく口にしたことのない尊くも懐かしい素朴な味、春が口中いっぱいに拡がった。ありがとう、T君。

 なお、山ゴボウの旬は、PCで調べたら秋と春だとか。食には適さない、などという記述もあり呆れた。
 
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
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     ’24年「春」(33)

2024年03月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

          よく見るとサクラの花も咲いている
 
 昨年の今ごろと比べると、今春は大分季節の進み方が遅いということが分かる。きょうの写真は去年の3月30日に散歩の途中で撮影したもので、鮮やかな緑の色をして見えているのは麦だろう。
 今はどうか知らないが昔はこの時季、子供も駆り出されて麦踏みということをした。日頃、作物は大切にしなければいけないと教えられていたけれど、この時ばかりは生え出したばかりの麦を踏むことが許されて、悪戯を公認されたような気がして張り切ったものだ。

 牧場の草は芽を出したはじから、冬の間食べる物が少なくて腹をすかした鹿の群れがそれらを待っていて食べ漁る。一番芽は食べさせた方がいいと言う人もいたが、それが正しいかどうかは確かめようもなく、今ひとつはっきりとしない。
 牧守としては、2か月後には上ってくる牛たちのことを思い、どうであれお手柔らかにしておいてほしいと願う。
 
 その鹿、毎春かなりの希望も込めて、頭数が減ったと言っては裏切られてきた。また同じ轍を踏むことになるかも知れないが、今年に入ってから3度上に行っているにもかかわらず鹿の姿を見た記憶がなく、そんなことはいくら頭数が減ったと思った年でもなかったことだ。
 今春は何度も雪が降り、出産を控えた雌鹿にはきつい思いをしたはずで、それが鹿には悪い影響を、牧場にとっては良い影響を及ぼすことになるのだろうか。

 小屋の内外の点検、清掃、水回りのことが一段落すると、キャンプ場に落ちたコナシの枝や鹿の落とし物の片付けが待っている。
 鹿たちは人が去ったキャンプ場を自分たちの活動域にしてしまうから、これが散乱した枝に加えて結構手のかかる仕事になり、だから鹿の害には違いない。
 それでも、周囲に残雪の消えない山の牧場で、明るい春日を浴びて作業をするのは快く、人の手を借りずに自分だけでするから余計にそう感ずる。
 
 渓の中にある水源地へ降りていけば、手の切れんばかりの透明な湧水が次から次と枡の中に湧き出てくる。その点検や整備を終えれば、心地よい水音を聞きながら渓の中を下る。延長2キロ近い埋設管の点検を兼ねていて、欠かせない仕事だ
 牧場やその周囲の自然は冬の眠りからようやく目覚めたばかり、その神聖なとも言える雰囲気はまだしばらくは続くだろう。
 本日はこの辺で。

 
 
 
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     ’24年「春」(32)

2024年03月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 まだ雨は降ってこない。午前9時、薄日が射して、外の気温は7度ぐらいだ。窓を開けて、久しぶりに炬燵以外は暖房の世話にもならずにいる。まずは春らしい陽気だと言っていいだろう。
 先程、農協の職員O君が新しい作業日誌を届けてくれたせいかも知れないが、きょうの気温、空の様子、鳥の声、上で仕事を始める4月下旬のころとよく似ている。
 
 冬の間閉めっぱなしにしてあった小屋の窓を開け、よどんだ空気と生まれたばかりの新鮮な空気とを入れ替える。次には日陰に残る雪を掘り起こし、清冽な水を小屋まで引き込む。
 いや、その前に今年も3キロほどの雪道を歩きながら、新しい早春の息吹、懐かしい周囲の風景、その匂い、鳥の声などを、まだ誰も来ない林道でしみじみと味わうことになるだろう。
 
 不思議だが、記憶の中の初日の天候は毎年良かった。一度や二度はそうではなかったかも知れないが、思い出せない。それとも、あの年は、この年は、といった年別の印象、記憶が殆ど消えてしまっているから、これまでの17年に及ぶ仕事初日の印象が積み重なって、一つの情景ができてしまっているのかも知れない。
 とにかく、あれほどまでに周囲の自然と気持ちが同化し、ショボクレタ体内にそれらが流入し、漲る、そういうことを意識する時は他にはまずない。

 そうそう、里のサクラの話をボツボツ耳にするようになった。それでも、梅の花の開花を待つほどには待たない。梅の花の場合は花というよりか、少しでも季節が進み、春が近づいてくる象徴のように思い、待っているからで、だからやれやれと思いながら眺めるのは梅の花の方だ。
 それに、ソメイヨシノ、タカトウコヒガンにしても、確かに豪華絢爛で見事ではあるが、都会の猥雑とも言える花見をつい連想して、片仮名で表記したくなる。毎年のように同じことを呟くが、やはりそれよりか、人知れず山に咲く控え目で清楚な山桜をこそ「花」と呼びたい。
 今年も仕事の合間に、残雪の山々を背景にしてそういう花々をたくさん見ることができる。有難い自然からの労いだと勝手に思い、喜んでいる。
 本日はこの辺で。

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     ’24年「春」(31)

2024年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日の夕方、春雷の音を耳にした。短い間だったが、3,4回ほどかなり大きな音がして、それらを逝く冬の最後のあがきのようにも聞いた。
 夜になって雨が止み、雲間からは大きな月が昇ってきた。もう、冬の星空を支配していたかつての主役は西にその一部を見せていただけで、雲がなければ代わって北斗七星や牛飼座の主星アルクトゥールスがその座を占めているのが見えただろう。
 地上とは別に、星々は確実に季節の移ろいを伝えているが、その正確無比な星の運行を時には非情と感じたりすることもある。

 朝風呂の中で、思い出せない人の名前を記憶の深い井戸から手繰るようにして引き上げた。時間はかかったが、落とさずに何とかできた。
 その人は70年代に世間を騒がせ、20年近い獄中生活をして社会に戻って来た謂わば「今浦島」の活動家だった。年齢的にあまり違いがなく、その人の消息を調べてみようとしたのは単なる好奇心で、それ以上のものではなかった。そしたら、70代半ばですでに亡くなっていた。
 あの頃は、未舗装の荒れた政治の道に迷い込み、帰ってこなかった人、野垂れ死にした人、人生を台無しにした人がたくさんいた。単なる一介の傍観者に過ぎなかったが、そのころ流行った歌に釣られて思い出すことがある。

 いつのころからか「多様性」などという言葉が世の中で肯定的に使われるようになった。それが社会を動かし、発展させ、人々により良い未来をもたらすということらしい、詳しいことは知らない。
 確かに同性婚が法的に認められれば、その人たちとってはいいことだろう。あるいは、結婚も愛情を優先させ、生物としての役割である子孫を残さないという選択も、それを望む人たちには勝手いいだろう。結婚という法的な束縛を拒否して暮らす人たちにもこの言葉は都合がいいはずだ。
 昔は「自由」で、今は「多様性」ということか。

 どうもテレビなどで、知識人と呼ばれる頭のいい人らは、こういう現今の風潮を歓迎すような発言をすることが多い。知識人としての体裁で、本音はどうか知らない、と思うこともある。
 もし公に、こうした世の流れに逆らうようなことを言えば「時代遅れ」、「無知」、「馬鹿」の烙印をたちまち押されてしまいそうだ。
 日本の歴史、文化、伝統が、他所の国のそれらと比べ、特に秀でたものであるか否かは知らない。しかし、この国に生まれ、育ち、それらの影響を受けてきたことは間違いがない。当然、愛着はある。
 馬鹿と言われてもそうだからいいが、このまま「多様性」が都合のいい方便にされてしまわないかと気になる。
 本日はこの辺で。

 
 
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     ’24年「春」(30)

2024年03月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 先日、久しぶりに散歩に出た。昨日ときょうの写真はその折に撮ったもので、野焼きの後にも少し緑の色が目に付くようになってきたのが分かる。田畑からは元気な人の声が聞えてきて、それも風景を明るしているようだった。
 待望久しかったカタクリの葉も、昨日新しい顔を覗かせた。そのうちボケも白い花を咲かせるだろう。



 今年は、すっかり散歩の回数が減ってしまって、体力の衰えを気にしていた。しかし幸いいつもと変わらずに歩け、炬燵の虜囚としては少し自信を取り戻せた。
 集落のほぼ中央を南北に走る県道があり、そこから5、600㍍ほどは登りが続き、その先に中央奥に仙丈岳を据えて開田が拡がっている。
 途中に「洞口の坂」があり、子供のころはここで一息入れて、よく冷たい清水を飲んだものだった。今は脚力の目安にしていて、ここを一気に登れなければ自らの肉体的老いを認めるつもりでいる。

 この頃テレビなどで同年配の人を見ると、その老けまくった顔に驚き、ならば自分も他人から見れば同類なのだと言い聞かせるように努めている。ただし、気分までもそうかと言えば、幸か不幸かまだ未熟な後期高齢者である。それを良しとしている。
 と思いつつ、刺身のつもりで横の皿の沢庵にワサビを塗ったことを寂しく自嘲したり、洗濯機のある風呂場に行くつもりで台所へ行き、何をしようとしたのか忘れて自らを叱る、そんな老いの悲哀を感ずることがよくある。
 とにかく歩くことはまだ問題ないようだ。身体に痛いところも痒いところもない。今年も牧の仕事はまず大丈夫だと言っていいだろう。

 赤羽さん、便りありがたく拝読しました。春の東京行は恒例でしたが、今年はその機会を逸しました。段々そうなるでしょう。
 行けば大概訪れる所は宿舎の関係もあり靖国神社、上野公園とその界隈、皇居周辺ですかね。玉川上水路や、もっと郊外にも思い出深い所がありますが、今や繁華街にはどこも行きたいと思う場所がありません。元来が東京の田舎者でしたから。
 晩年を、20年近くも山の中の牧場で働くとは自分でも驚いていますが、これも運命のように思っています。他の晩年など想像できないし、やもめ暮らしながらもきっと、一番向いてる暮らし方に出会えたのでしょう。
 冬の攪乱はまだあっても、やがてはいい季節が来ます。残り少ない山の生活、今春は仕事を放り出しても、というくらいのつもりで、野生との「結婚」を果たし、飽くなきほどに慈しむつもりです。
 いつも親切な助言をもらいながら、充分にそれらを活かせずにいてすみません。感謝しています。お出掛けください。

 雨が降っている。一雨ごとに暖かくなると思いつつ、それをぼんやりと眺めている。梅の花が散ってしまいそうだ。
 本日はこの辺で。
 

 
 
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