入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(33)

2020年09月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 午前7時、気温3度。朝の光がまるで鋭い刃となってレースのカーテン越しに射し込んでくる。囲いの中の牧草が朝露に濡れて光って、日陰と日向の強い対比の中で牛たちはすでに行動を始めている。見慣れたその風景に気が落ち着いてきて、またきょうが始まったことを時間をかけ、ゆっくりと納得した。
 今朝の気温で、ここよりか約100㍍ほど標高の高いヒルデエラ(大阿原)には初霜が降りたかもしれい、そう思ったら、じっとしていられずに行ってみた。車を運転しながらしめやかな大気の中を進むと、幾日か続いた寝不足と疲労感を追い出すには、悪くない気紛れ・思い付きだという気がしてきた。
 富士見側の展望台辺りまで来ると、真っ青な空に八ヶ岳の峰々が屹立しているのが見え、そこから昇った日が眼下の裾野の盆地一帯に降り注いでいた。いつもならそこで充分な高度感や、広大な展望を楽しめるのだが、まだ盆地の上空に取り残された雲が這いつくばるようにその上から覆っていて、眺望を求めるならもう少し時間を遅らせた方がよかったかも知れない。
 どうやら初霜はまだのようだった。それでも、すでにその辺りの秋色は一段と進み、特に落葉松の緑の葉が渋い茶の色に変わりつつあるのを、沈黙した林の中を走りながら見た。やがてはその色も深まる秋の大気の中で磨かれて、鮮やかな金色に変わるだろう。

 北原のお師匠から電話が入り、紅葉の見ごろはいつごろになるかと難しい質問を頂戴した。夜毎飲むビールや酒の値段を知ることもないのと同じで、などと言ったらおかしいが、この辺りの自然の変化について、誰かに教えるほどのしっかりとした知識を持ち合わせていない。14年も毎年、長い秋を願って、その季節を大切に暮らしてきたのに、何とも情けない次第だ。
 そこで、昨年のこの独り言を"聞き直し"てみた。それによれば、どうやら紅葉の時季は10月の後半、20日前後くらいが良さそうな気がする。ただ、紅葉もいろいろな樹木による。この辺りの山で代表と言えばモミジだろうが、この木の葉が色付くのはそのころになると思う。すでにツタウルシは見頃を迎えているし、山桜の葉も中には紅葉している木もある。
 
 昨年は、台風による大雨でテイ沢の丸太橋が流されたことも呟いていて、3度目になるか。今年流れたら、復活させる気力がまだあるのかと心配している。

 Mさん承知しました。本日はこの辺で。
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     ’20年「秋」(32)

2020年09月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝3時半からの撮影立ち合い、それが一昨日の日曜のことだった。撮影現場はきょうの写真のような気象条件の中で始まり前途多難を思わせたが、しかし深い霧、青空、そして夕焼けの日没と、期待していた気象条件がほぼ全て満たされたと、後で監督から直接聞いた。
 新型ウイルスの影響もあり、撮影要員は絞りにしぼり30名前後だったと思う。それが、彼ら彼女らは実に気持ちの良い人たちばかりで、協力のし甲斐があったと感じている。時代の先端を行くと考えられているような業界だが、若い女性が重い機材を持ったり運んだりと、実際の現場は今では珍しい肉体労働が当たり前の世界であり、その様子はいつもと大きな違いはなかった。
 その一方で、CM撮影の場合が特にそうだが、主演の俳優は上にも下にも置かれないような丁重な扱いを受けるのが常で、裏方の人たちの苦労を知っている者としてはこの業界の風習、厄介な人間関係など、時として釈然としない気持ちになることもある。今回は出演者側にも制作者側にもそういうことはなく、終始和やかな雰囲気の中で順調に進んだ。
 
 昨日も撮影と関連する仕事に振り回され、今朝も5時少し前に起きた。それも済み、きょうからようやく本来の牛守の仕事に戻ることになる。その前に朝一番で、家にそのままにしてあった宅急便荷物を取りに里に帰った。無人の家の中には入ることなく、帰りはまだ紅葉には早いもみじ湖を通り、松倉から千代田湖経由で来た。
 今年も、10月の半ばから「枯れ木の頭」からオオダオ(芝平峠)に向けて、わずかの距離に過ぎないが道路工事が始まり、1ヶ月以上も通行止めになる。秋の楽しみの一つである松倉の集落のあちこちに咲くコスモスの花の見納めにしようと思って、それで戻りは普段利用している林道を変えてみたのだ。春は桜と新緑、秋はコスモスと紅葉と、松倉川の谷間にあるこじんまりとした美しい里で、すでに稲の取入れが始まっていた。
 
 9月も明日で終わり、牛は来月の7日に里へと帰っていく。「牛が下りたら」ということを口実のようにして、ここでも里でも色々な用事を先延ばしにしてきた。そろそろ、それらのことも考えておかねばなるまい。
 そうそう昨日、雪化粧をした富士山を見た。今年の初冠雪だろうが、短い秋で終わりはしないかと案じながら眺めた。
 本日はこの辺で。

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     ’20年「秋」(31)

2020年09月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝も霧が深い。その中を1頭のホルスが囲いの中を歩いて行く。上の方に仲間の牛がいるようだが、霧は深くなるばかりで、もうその牛の姿も白い帳に隠されてしまった。風は吹いていない。鳥の声も虫の声もしない。聞こえてくるのは電気牧柵に電気を流す周期的な音だけだ。
 少し霧が晴れてきたので双眼鏡を持って外に出てみた。囲いの中には2頭、網状の柵を隔ててその外に5頭、うち2頭が和牛で、昨日B放牧地へ移動しなかった牛たちだ。このぐらいの頭数なら、このままにしておいても大丈夫だろうし、そのうち、他の牛に連れられB放牧地へ移動する可能性もある。いざとなれば第5牧区へ出すことを考えてもいい。
 もっと牧畜が盛んだったころは300頭もの牛がここに上がってきたという。それほどの牛の数は知らないが、確かにここで働き出したばかりは、200頭近い牛を相手にした。それがたった40頭そこそこの牛で草のことを案ずるようでは、はなはだ情けない話ではある。使用中の放牧地が第1と第4だけで、2も3も閉じてあるからだが、中でも牧区として最も広い第3牧区を使用してないことが管理を相当難しくしている。
 入牧頭数がもっと早くから分かれば、それに対処する方法もあるが、近年の牧畜の状況では牛が来るまで実際の頭数を把握するのが難しい。50頭を越えれば第3牧区は間違いなく必要になるが、現在の頭数では微妙なところだったのだ。加えて、第3牧区を開けるには、それなりの準備をしなければならない。ここにも、電牧の問題や鹿対策が必要になってきて、第5と違って、第2と第3はおいそれというわけにはいかないのだ。もっともこうした現状がどこまで下に届いているかは分からない。
 
 青空が少し見えてきた。昼ごろにはまた天気は悪くなるようだが、午前中はこんな曇り空がずっと続くだろう。1頭でも2頭でも、牛の姿が見えていれば、それだけでここの眺めは見る者の気持を穏やかにしてくれる。特にきょうのような陽が射さない、静かな秋の日は。
 漁に行ってた山奥氏が、獲物を持ってそろそろ来る頃だ。本日はこの辺で。明日は沈黙します。
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     ’20年「秋」(30)

2020年09月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 管理小屋の部屋には年中電気炬燵が置いてある。今朝9時の気温は12度と、その炬燵にそろそろ電気が欲しくなってきた。それにしてもきょうは何とももの寂しい雨の日で、昨日里へ帰る時には囲いの中に5乃至6頭くらいの牛の姿を目にしたが今は1頭の姿もなく、そのせいでもある。
 
 こんな天気の日に何をしているかと言えば、外に出て仕事をしていた。まだ確定ではないが、10月7日が下牧日と決まったなら、その日まで12日ある。約半月という言い方もできる。そうなるとやはり、牛たちの食べる草のことが気になってきて、昨日できなかったB放牧への移動を、雨と風の悪天下ではどうなるかと不安を抱えつつもやってみることにした。
 囲いからB放牧までの距離は約1千200㍍あり、途中に500㍍くらいの林の中を誘導することになる。昨日のうちに林の中の倒木など牛道の整備は済ませておいたから、きょうは塩袋を持って声を上げながらその距離を牛を気遣いつつ連れていけばよい。
 と、簡単に言ってしまったが、牛道と言っても獣道に毛の生えた程度、狙い通りにいく可能性は半々ぐらいだろうと思っていた。ただし、たとえ数頭であっても、一度B放牧を教えてしまえば、群れの編成はよく変わるから、後はその牛たちに任せてしまうという手もある。
 うまい具合に、6頭の和牛と1頭のホルスが走りながら塩場に来て、そこにお目当ての塩がないと分かると囲いの中に移動して来た。その牛たちを連れていければ、途中から他の牛たちも合流してくるだろうという目論見である。それが当った。
 懸念していた林の中も、2度ばかり和牛の先行を許したが、先の分からぬ牛は結局後に回って付いてきた。移動した牛の頭数は全頭ではなかったが、30頭に近かったと思う。
 
 ダケカンバの森を抜けていく帰りの道、濡れそぼつ林道には落ち葉が目に付いた。その風景から得た心象は、きょうのような天気に登攀を強行し、濡鼠ながらも満足感を抱きながら土合駅までの道を歩いた遠い昔の記憶と重なった。季節も今のころだったと思う。

 昨日も里に下りたのは、近所の老婆に言われたことが頭にあって、昨日の夕方30分ばかりと、今朝は5時半から、「一本木様」の草刈りをやってきた。とても15分では済まなかったが。
 IWIさん、予約承知しました。本日はこの辺で。 
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     ’20年「秋」(29)

2020年09月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 やはり昨日、久しぶりに山を下りた。里へ帰る理由付けに、山室川流域のコスモスの咲く風景や、秋の取入れが始まった鄙びた山里の眺めなどと、目にしたいこの季節の風物を挙げるには事欠かない。その中でも毎年、紅葉のさきがけとしてツタウルシの葉が色付いていくのを楽しみにしてきた。昨日「焼合わせ」を通りかけて、薄茶色に変わりつつある落葉松の林の中に、まだ盛りとまではいかない色付きかけたそのツタウルシの葉を目にした。
 ここにいて気付いていただけでなく、秋は里でもすでに始まっていた。それも目に入る風景ばかりでなく、自作のサンマ飯にも、到来物の栗おこわにも、そして久しぶりに目にした陋屋の雑草の茂る庭にもあった。

 ところで、秋の味覚の代表でもあるキノコが不作だということを呟いたことがあった。その理由の一端を、久しぶりに一昨日テイ沢、そして昨日山室川の流れを見て納得した。思っていた以上に山が乾いてしまっていたのだ。どちらも澄んだ渓流が渓を潤し、時に信じられないほどの大水を流す狂暴な面も見せるが、それにしてもあれほど流れが細くなっている両谷を目にしたことはこれまでなかったと思う。
 9月に入って、大雨ばかりか台風も来た。雨が少なかったとは思わなかった。結構、警戒を呼び掛けられていた記憶もあり、12号台風にしてもしかり。「秋雨前線」という言葉は嫌になるほど聞いた気がする。
 またこんなことを言うと怒る人がいるが、どうもこのごろの天気予報は当たらなかったり、見逃したりを恐れるあまり、客観性を疑いたくなるような報道がままありはしないかと思うことがある。それで良し、という意見もあることは知っている。
 確かに、自然災害には要注意であることは当然すぎるほど当然だし、それでも大きな被害が思わぬ場所で起きていることは間違いない。昨今の温暖化の影響と言われる複雑な気象状況を気象予報士が懇切丁寧に解説してくれるのは有難い。しかし、その後のお定まりの警戒を呼び掛ける言葉、あれも予報士の仕事では荷が重くはないかと、ついそんなことまで考える台風の季節だ。
 
 今朝家を出る時、近くの老婆に苦情を言われた。「一本木様」と愛称する7乃至8軒ばかりの家で守る小さなやしろがあり、今年はその当家(とうや)でありながら、雑草の草刈りを怠っているというのである。それを見かねて他の人がやったから、その人に一言お礼を言えとのこと。ここでやる草刈りと比べたらあんな所など、それこそままごとのようなもの。知らせてくれたら山を駆け下り15分で片付けたのに!と言うようなことがあった。そして、いま入った電話は、土曜日の朝、3時半から始まる予定の撮影が悪天気を理由に1日延びただと。・・・、・・・(聞こえましたか?)。
 これから牛たちを第4の放牧地AからBまで誘導する。果たして、上手くいくか。本日はこの辺で。
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