入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「春」 (44)

2020年04月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 不思議なことがあるものだ。テイ沢は、詳しいことは分からないがいつのころからか、信仰の対象にされていたと言っても間違いないと思う。そうでなければ、20体以上もの石仏、石柱があの渓に残っているわけがない。しかも、それらは夫婦岩と呼ばれている、流れを挟んだ左右の巨岩の周辺に集中している。
 
 下から4番目の丸太橋を架けた時に、巨大な男岩(下流から見て左)を削って直角に流れる淵を夫婦岩にちなんで「夫婦が淵」と呼ぶことにした。沢の中でも、人気の高い場所である。この橋を渡り少し上流に向かうと、左手に大きな岩があって、この岩の上に以前は1体の石仏が据えられいて、賽銭なども置かれてたという。そのことを教えてくれたのは北原のお師匠だったが、いつの間にかその石仏は姿を消してしまったらしく、確かに今はない。
 
 きょうもテイ沢に行った折、夫婦が淵の流れの中にモミの枝が流れを邪魔し、少々景観を損ねているのが気に障った。放っておいても良かったが、妙に気になり取り除きに行こうとした時、流れに向かって下り出して変な形状の岩に気が付いた。下に回って見てイヤー驚いた、変な岩は石仏だった。あそこへは何度となく行っている。またきょうのように、流れに引っ掛かった流木を引き上げたりすることはこれまでもさんざんやってきた。にもかかわらず、この石仏の存在には今まで全く気が付かなかった。



 もちろん、早速北原のお師匠にも電話で報告した。すると師は大変に驚き、喜んだ。そして、お師匠もずっと探していたのだろう、見付けた場所を詳しく知りたがり、さらに「地蔵様は頭にジャを巻いていないか」と聞いてきた。どうもそんなふうには見えないが、実物をよく見なければ分からないと答えておいた。師もこの独り言は聞いてくれているから、この石仏が師の記憶の石仏であるかどうかはきょうにも分かるだろう。
 
 ともかく、いずれ師の指示に従いしかるべき場所に安置するつもりだ。「お師匠、いしぼとけ様はわたくし奴に探して欲しかったんじゃないのですかね、お師匠ではなく」と無礼なことを冗談半分で言ったら、「そうだ、そうだ」と笑って受け止めてくれた。賽銭を供えた人たちが分かれば、沢、特に夫婦岩がどのような信仰の対象であったのか分かるだろうが、もう、難しいかもしれない。

 神も仏も信じないままきょうまで来た。しかし、きょうの発見にはまんざらでもない気がしている。このごろ、郷土の神社仏閣などに興味を持ち始め、さらにきょうのこと、そろそろ来いと呼ばれているのだろうか。海老名出丸さん、いい話でせう。

 本日はこの辺で。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「春」 (43)

2020年04月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 きょうも山鳩の鳴く声を聞き、「朝日ににほふ山桜花」を眺めながら芝平の谷を来た。



 誰が言ったのだろう「山は逃げない」と。決してそうは思わない。充分な体力、経験、準備、知識、その他山が求める諸々のことに応えてない登山者には、山はいくらでも逃げる。さらに、老いてなおそのことを自覚せずにいる者にも、山は好意的ではなく、逃げていく。
 
 確かに、山はそこにあるかも知れないが、向かう者にとっては決してそうではない。年齢を重ねていくに従い、登れない山は増えていくし、登り方も変わらざるを得なくなる。山が逃げないでいるのは多くの人にとって、人生のかなり限られた間でしかないことを、分かっている人は充分に分かっているはずだ。
 
 先に独り言ちたようにこの言葉の由来は知らない。勝手な想像だが、かつて国の内外を問わず「初登頂」、「初登攀」などという言葉に沸いた時代があった。そのころの登山には成果を競うという面が多分にあって、当然そうした中で、山岳事故も多発した。もしかすれば、このような傾向を諫める意味で使われ出したのかも知れない、「山は逃げない」と、山を知ってか知らでか。
 
 半世紀くらい前の昔話をすれば、海外の山は憧れであり、現在よりもはるかに遠かった。仕事を辞め、借金をして、山に登る前から彼らの多くは、多大な重荷を背負って出発していった。だから、山はずっとそこにあるかも知れないが、彼には、彼らには、そうではなかった。当時にあっては、それがようやく手にした二度とないかも知れない貴重な機会であり、挑戦に違いなかった。であれば、先鋭を目指す者らは相当の無理や、危険を犯したとしても不思議ではない、充分に分かる。登山は「危険を甘受する行為」だとは、フランスの登山家ルネ・ドメゾンが彼の著書「素手の岩」に残した言葉だ。
 
 機会はいくらでもあるから、山で無理をすることはない、といった意味で使われる「山は逃げない」というこの言葉、入笠山ならそれでもおかしくない。ただし誰しもが、逃げていく時間を追いかけて生きているわけで、これは何も山だけに限らない。まして、生涯に一度しかない挑戦であれば、余計にこの言葉は白々しく聞こえる。これは誰だったか「チャンスは蓄積がきかない」と言った人もいる。
 決して安全登山に異議を挟むわけではないが、この使い古されたお題目は、いい加減もう用済みにした方がいいのではないだろうか。


 TDS君、あそこはこんな感じにしました

 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「春」 (42)

2020年04月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 見た人、行った人でなければ、自然がつくったこの惨状は分からない。きょうの写真は下から5番目の丸太橋を上流から写したものだが、橋の奥に折り重なった倒木が分かると思う。橋の手前も酷かったがここも何とかし、一応、沢を通過することだけはきょうからできるようにした。なぜそれほど早くできたかと言えば、実は強力な助っ人が来てくれたからで、今回ばかりは一人と二人の違い、それと年齢からくる体力の低下をしみじみと感じさせられた。



 分かる人には分かると思うが、助っ人はTDS君である。毎年、テイ沢の草刈りを手伝ってくれ、丸太橋を架けた時や、その補修などで最も協力してくれ、入笠にのめり込む牧場管理人の気持ちも、彼が一番よく理解してくれている。長い間教職にあり、彼の知識や判断力は、肉体労働で一生を終えようとする者には持ちえない、貴重な助けになっている。

 そんなわけで、通過はできるようになったと言っても、あれだけ荒れた沢はそう簡単には元に戻らない。いつ頭上から倒木が落ちてくるかも知れない。決して安全まで回復できたわけではないことを承知の上、入渓していただきたい。今後も倒木を片付け、少しづつ整備は続けていくつもりでいるが、それが何時終わるかまでは簡単には言えない。

 末筆ながら、TDS君に深甚なる感謝をここで述べさせていただく。いずれ粗餐でも振る舞いたいと思っている。本当に有難かった。

 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「春」 (41)

2020年04月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨日、上に来たら、期待した通り囲い罠のゲートが落ちていた。気温が上がると、鹿の行動も活発になるはずと予想していたからだったが、なんと捕獲したのはたったの2頭のみ、がっかりした。今年最初の捕獲とあれば、最低でも獲物は10頭くらいでないと、鉄砲撃ちを下から呼び上げるのに気が引ける。
 さりとてその鹿たちをいつまでも罠の中に置いておけば、他の鹿が囚われの仲間を見て、囲いを罠と知って警戒するようになる。思案の末、偶々来た山ツクモ氏の手を借りて逃がすことにした。
 
 第1牧区の電気牧柵は、電圧を測ったところ9千ボルトという結果が出た。まずまずと言える。この電気柵は、その効果は別にしても、鹿対策用だから設置を急いだが、第3と第4牧区のように牧区を仕切るための電気牧柵の場合は急がない。というよりか、むしろ両牧区で使うアルミ線は第1のリボンワイヤーと比べて鹿に簡単に切られてしまうから、入牧の予定が決まったころからやる方がいい。それでも間に合う。
 
 水回り、電気牧柵、そして鹿、かくして牧場の日常が始まった。それでもコロナ禍のせいで今年は連休中に人が来ない。その分は、テイ沢の倒木処理に時間と、労力を回すことができるだろう。
 そのテイ沢へは、すでに昨日様子を見に行ってきた。きょうも行く。きょうはヒルデエラ(大阿原)まで上がって、沢全域の現状をしっかりと見ておこうと思っている。





 テイ沢の中で倒木の被害が一番大きい所は、下から5番目の丸太橋の手前だと分かった。ここは3本のモミの木の倒木が折り重なっている。それより上部にも幾箇所か倒木はあったが、通行には支障のないようにだけはしてきた。
 最低でも人が沢を通れるようにするには、まだ5か所の倒木を除去しなければならず、景観など他のことは無視するか後回しにするしかない。有難いことに、丸太橋に被害はなかった。

 今朝降圧剤を飲むつもりで、間違えてHALにやる犬用の薬を飲んでしまう。そのせいもあるかも知れないが、だるい。5か月の冬ごもりですっかり身体がなまってしまったらしく、2台のチェーンソーを持っていってもきょうはノコギリに頼り、一度も使わずに帰ってきた。年齢から来る体力の衰えと、バランスが悪くなったことを痛感した。

 本日はこの辺で。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’20年「春」 (40)

2020年04月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 夜の間に雪が降ったらしく、枯れ木橋を過ぎた辺りから、森の中に残る薄っすらとした雪化粧が目に付くようになって驚いた。空は良く晴れて、気温もようやく上昇しつつある。それでもまだ10度には届かず、日の射さないあのうそ寒い林の中で倒木の処理をするとなると、つい腰が引けてしまう。
 それはともかく、まずはここでチェーンソーの歯を研磨したり、暖気運転をしておかなければ現場へ行ってから苦労することになる。今は大分改良されたようだが、古いチェーンソーはエンジンを始動させるのが簡単ではなく、特に長い間使わなかった場合は手古摺ることが多い。この倒木の上に置いてあるのはまさしくそのような代物、しかし、愛着はある。





 森の中で、細かい手先の作業に熱中していて、ふと、我に返る。すると、待っていたかのように静寂が襲ってくる。この時の感覚が何ともいい。鹿も、クマもいない。耳に入ってくるのは時折木々を揺らす微かな風の音だけで、こんなふうに自然の中にいて、誰からも忘れられ、自分だけがそこにいる意義を認め、それを一人だけの特権のように感じているのも悪くない。
 もう少し付け加えると、写真のような見掛け倒しの大木と格闘している時よりか、牧柵の支柱に有刺鉄線やアルミ線を取り付けている時の方が、いい時間が持てるような気がする。仕事上の手順をあれこれと考えながら、その時同時に脈略もなく懐かしい記憶が割り込んできたりするわけで、内容はやがて曖昧になってしまっても、それよりか、過ぎ去った快い時間の方がいつまでも後を引く。

 きょうの写真は、枯れ木橋の近くにある朽ちかけた廃屋。林野行政に関わる人たちの作業小屋だったのだろう。山の中には、このような打ち捨てられた古い小屋がまだ幾つも残っている。理由はいろいろあるのだろうが、どうも釈然としない。手の入らない荒れた山林や、皆伐され傷付いた山の斜面を連想してしまう。

 静かな一日が終わる。今夜あたり鹿さんが罠に掛かるといいのだが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする