入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「春」 (26)

2018年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 焼合わせを過ぎるとまだかなりの雪がが残り、3,4か所ほど運転には神経を使う。それでも、改造車などによる乱雑横暴な轍に悩まされないだけマシと言える。写真は帰りに撮ったもの。タイヤの跡を見ると、ガクガクと刻むように、かなり無理しながら車は進んでいた。冬に入る前にタイヤを新調してなかったら雪の悪路につかまっていたかも知れない。

 ともかくきょうで3月は終わり、明日から新しい月4月が始まる。昨日ちょっと触れたが、美和ダムから下ってくる沿道の桜は思いの外赤い蕾が膨らんでいて、ここらの花見ももうじき始まるようだった。里から山へと、これから1ヶ月ぐらい花を愛でる季節が続き、それをコブシの白い花や新緑が競うようになる。森は日ごとに精彩・活気を強め、山が大笑するのを目にするようになる。幾たびとなく繰り返した季節をまた見るわけだが有難く、楽しみだ。





 もうそろそろだろうと思っていたら、庭のボケが咲いていた。数えてみたら3輪、いつ植えられたのかは知らないが、住人よりも余程長く陋屋の春を知るボケの木だ。しばらく、荒廃した佇まいが少し明るく華やぐ。
 その一方で、今春もカタクリは片葉だけ姿を見せてくれたが、花は咲きそうにない。西山で、この花の群生を目にしたときは、誰かが植えたのかと思ったほどに赤土の斜面一面に咲いていた花だ。一株だけ丹念にこいで、持ち帰った。もう、数年が経つ。それでもこの季節、花の咲かない葉だけが姿を見せ、それで役目を終えたと思っているらしいのが、せっかちな住人の気を揉ませ、もて遊ぶ。
 イカリソウも芽を出し始めた。雨飾山の春が懐かしい。覚えているかTDS君、S秋君よ。一句ひねれ。

 赤羽さん、都会の春を思い出しています。懐かしいです。存分に謳歌してください。それから一声、これから始まる春の山に、「み・ん・な、来ーい!」
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   ’18年「春」 (25)

2018年03月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山室の集落を通って帰ってきたら、美和ダムの近くの日当たりの良い場所に、数えるほどだがもう桜の花が咲いていた。上でもそうだったが、季節がいつもの年より半月以上も早い。この時季に、またしても車で上まで行けた。
 
 昨日、「池の平」少し手前の大きな曲がりで、いつ付けられたのか不明の、オオダオ(芝平峠)の先から続いていた車の轍は引き返していた。そこからは、水をたっぷりと含んだ重い雪の上に新しい轍を残しながら、車を進めた。「焼合わせ」付近から雪の量が増し、駆動を4WD-Lに切り替えた。そして、「ど日陰の曲がり」を含む幾つかの難所を慎重に乗り越え、小屋に着いた。昼を食べていたら、ゴンドラを利用したM林氏が到着し、歓談していたら、2時ごろ法華道を登ってきたKNI夫妻が現れた。要した時間は3時間くらいで、存外早かったが、雪もそれほどのことはなかったということだった。
 当然ながら同夜、酒で喉を湿らせながら話していたら、夜中の2時ごろになってしまった。夕暮れとともに月齢11.6の月が昇り、そのうちに、太陰暦と太陽暦についてあれこれの話に移り、ナイル川の氾濫と農業との関係、それがどのように暦法に影響を与えたのかなどという高尚な議論や、季節の移ろいを古代人は月と太陽のどちらを中心として知ったのかなどなどと話は尽きず、面白おかしく笑ったり、吠えたり。
 
 きょうの写真は、山人(やまびと)KNI夫妻にもう1名M林氏も加わり、再び、法華道を里に下ろうとしているうしろ姿だ。もう冬とは言いにくいが、この冬、雪の古道を訪ねた人は幾人くらいいたのだろうか。たった3人の山人が山椒小屋の辺りを行く姿を想像するだけで、往時の活気が甦ってくるような気になる。雪が融けたら、また別な旅人の姿を目にするような気がして、楽しみだ。
 経路:茅野ー杖突街道ー長藤ー小豆坂トンネルー山室ー荊口ー芝平諏訪神社。

 春の家族旅行について拝読。釣りもやるとは知らなかったです。良い季節の到来に合わせて順調な回復を遂げてください。かんとさん、気持ち分かります。今度の新月ぐらいはイケそうじゃないですか。



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   ’18年「春」 (24)

2018年03月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏(再録)

 畦道、犬ふぐり、春耕・・・、季節の言葉が浮かぶ。ここわずかの間に春は一挙に進み、信州でも、南に位置する飯田の方では桜の開花宣言が行われたという。この時季にこれほどの晴天が続くことは記録的なことのようだが、光溢れる青空に、白い残雪をまとった山並みがその美しさを存分に見せてくれている。

 そういう中できょうの新聞、那須の茶臼岳で起きたあの雪崩事故から、昨日で1年が経過したと報じていた。生徒7名、引率教諭1名が亡くなり、その他にも生徒や関係者が多数重軽傷を負うという大きな山岳事故だった。それも、この事故は、栃木県下の高校山岳部部員を対象とした冬山登山の講習中に起きた。この事故を知って、雪崩に対にする防止策は、本当に難しいと痛感した。もちろん、そういって慰められるものでも、指導する立場の教員らが免責されるものでもないが、それが通常の登山行動中の事故ではないということが、さらに重く、いろいろと考えさせられた。
 あれは高校生だけが対象の「登山講習会」であった。そうである以上、万に一つでも事故が起きれば、それは大変なことになることは分かっていた。当然実施に当たっては、充分な事前の検討、準備がなされ、万全の体制がとられていたはずだと普通は考える。にもかかわらず、その万一のことが起きてしまった。
 その後、いろいろな調査が行われて、幾つかの不備が指摘された。以前にも、雪崩が発生した場所だったとも言われてる。事故発生後の対応についても厳しい非難があった。しかし、あの日、あの場所で、講習会が行われなかったなら、あの事故は起きなかったということ以外、確実なことは誰にも言えないと思う。事故を検証し今後に生かしてほしいという遺族の気持ちはわかるが、それでも山岳事故は起きる。
 特に雪崩などというものは、思いがけない場所で、不意に襲ってくる。登山者にしても、起きる可能性を覚悟で強行しなければならないことだってある。斜面に積もった雪はどこであれ、雪崩る可能性はゼロではない。スキー場も含め、山は斜面そのもの、雪の山に登らない以外に雪崩の確実な回避、防止の手立てはないと言っても良いてくらいだろう。山が困難であればあるほど、あの人の言葉だが「危険を甘受する」ことを強いられる。交通事故と違うのは、そう言う覚悟の有無が、山では時に求められるということだ。

 明日は上に行くので、この独り言は休みます。
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   ’18年「春」 (23)

2018年03月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 千丈岳。もう少しすれば、ここからの山容を毎日のように眺めることになる。

 

 今更、もう登りたい山などないと決めてしまっていたが、阿弥陀の南鐐だけは何故か例外だった。昨日そこで事故が起き、死亡者も出た。
 もう何十年も前のことだが、初めての冬山は越年山行となり、この南稜経由の阿弥陀岳だった。Nと、Kさんの3人で、今でもこの時の楽しかった山行は鮮明に覚えている。その後も何度も登っているから、事故現場はすぐ分かる。長い尾根歩きから稜線を外れ、少し山腹を西側に巻き、それから核心部であるガリー(=岩溝)を直登していくのだが、順調にいけば頂上までは30分ぐらいだったろうか。
 事故を起こした人々は核心部ではアンザイレン(ロープで結び合うこと)していたようだが、おそらく途中で誰かが滑落し、全員がそれに巻き込まれたのだろう。7人の男女がどのような方法でそれをしていたのか、新聞記事からは詳しくは分からないが、そこが肝心な点である。安全度を高めようとしてロープで結び合った結果が、仇になってしまった可能性が高いからだ。
 ロープは正しく使えなければ、かえって危険である。恐らくこの7人は「コンテニュアウス(=同時登攀)」と呼ばれる、ロープを結び合ったまま同時行動をとっていたのだろう。これは「スタッカット(=隔時登攀)」と言って、確保者が行動を中断し、ロープで結ばれた仲間の行動中の転落・滑落などを止めること、確保に専念する方式よりも不確実で、難しい。ヨーロッパの山岳映画などで雪稜をロープで結び合い同時行動している様子を目にするが、あれは案内人の客に対する職業的な作法のようなもので、現地を熟知し、危険を予知できていないならやらない方がよい。不安なら、隔時登攀に切り換えるべきだ。氷河上のクレバス帯を進む場合も、不意をついて落下するのを止めるのは至難だ。
 
 きょうの昼のニュースではどうやら7人が、やはり1本のザイルで結ばれていたようだった。登攀用ロープは、1本の長さが40メートルか、または50メートルの物を使用するのが一般的だが、いくらなんでもその長さに7人では無茶だったのではないか。あの場所でザイルを使ったことはないが、仲間の安全のためにロープを出したとしても、せめてそれを固定してから補助的に使う程度にしておいた方が、あの場合は良かったのではないかと、結果論だが思っている。
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   ’18年「春」 (22)

2018年03月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など





 


 露天風呂は身に沁み、心に沁みる。万緑の中で、花を眺めて、星辰を仰ぎつ・・・、多くの訪問者から喜んでもらい、もう2年が過ぎた。

 ところが最近になって、露天風呂の簾(すだれ)はせっかくの雰囲気を壊しはしないかという懸念を耳にした。それも、この露天風呂を寄贈してくれたご本人からだったので、はて、どうしたものかと目下思案の種を膨らませている。大体は簾などなくても問題なく入る方法があるのだが、それでも誰でもが安心して入浴できるようにと苦心惨憺の結果、どうにか現在の状況に落ち着いた。しかし、氏の意見も無視できずにいる。
 確かに、女性でも気にせずに平気で入る人たちもいる。また、暗くなれば人の目など気にせず、頭上の天の川銀河を眺めながら、解放感に浸りながら入ることも可能だ。有難いことにキャンプ場も小屋も、利用者はよく常識をわきまえていて、これまで何の問題も起きていない。今後も、野趣に溢れた入浴を楽しんでもらいたいと思っているが、この件に関してもしも何か参考になるような考えでもあれば、ぜひ聞かせていただきたい。

 この露天風呂と、美しい星空は当キャンプ場及び小屋の大きな"売り"。風呂焚きは得意でも、生憎のことに管理人は機械に疎く、せっかくのここにある望遠鏡を充分に活かせてない。それだけに、名古屋方面、東京方面の天体観測の愛好者であるあの人たちに期待するばかり。かんとさん、通信拝読。今年は雪融けが早いから、準備はお早めに。
 
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