散歩は森の背後の山付きから対岸に見えている天竜川の堤防を歩いて終わる
昨日で1月も終わり、きょうから2月。月日の経つのは早いが、それでも1月はまだゆっくりと過ぎた方かも知れない。年末から上に行き、越年して2日に里へ戻ってきたことなど、1か月前のことどころか、もっともっと遠い日のことのように感ずる。
俳句の世界では2月から季節は「春」になる。とは言え、明日は東京でも雪が降るのではとの予報が出ているし、さすがにそれは尚早だと思う。
そんなことを考えながら、昨年はどうしたかと興味が湧いて1年前のこの独り言を振り返ってみたら、2月の19日から「春」に変えていた。忘れないでいたら、今年もそのころにしようと思う。
ついでながら昨年は2月の10日11日、上に行っていることが分かった。それは思い出すことができ、誰かから予約が入ったためかと思ったがそうではなかった。珍しく先行者がいて、「ハバキアテ」までツボ足で登ったらしく、その後を辿るのは歩きにくかったことを思い出した。
そのことに関して昨年の秋だったか、北原新道の整備をしていた時、高座岩で休憩していたら下から登山者がやってきて、以前から知っていたK君だった。その時の会話から、先行していた登山者とは彼だったと知った。
多分昨年は、3月初旬にも上に行っているはずだ。昨年と言うより、ほぼこの時季、例年の行事のようにして行っている。ただ、今年は行けそうにない。別の計画が入っているからだが、これはしかし例の結石次第で、まだどうなるか分からない。
来週の火曜日、4日にはまた第3回目の処置を受けに市の中央病院へ行くことになっている。普段は痛みもなく、腹部の違和感も忘れているくらいだから、すでに流れているかも知れない。そうでなくても3度目の正直で破砕できると期待している。
1年前の2月、もう少ししてからだが、デンマークの元首相夫妻が手をつなぎ一緒に安楽死をしたことに触れ、何事か呟いていることが分かった。ただもう疲れるから、読み返すことはしなかった。
その代わり先日、ある人から「わたしは一応クリスチャンだから安楽死はしない」と言われて、唐突にも戦国の武将細川忠興の妻、というよりか明智光秀の娘、細川ガラシャの最後を思い出した。彼女も戦乱の世に生まれ、生き、クリスチャンとしての生涯を全うした人だが、そのために自死した老臣もいて、その人の生きざまも同じく重く考えさせられた。
本日はこの辺で、明日は沈黙いたします。