入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「冬」(39)

2025年02月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

          雪原に描かれた風紋と青い空      
 
 住人が殆どいなくなった芝平の集落はあの日も寒かった。山室川の流れが淀む辺りは氷が張っていて、遠い昔のわが福島の集落を思い出させた。あそこに行けば、今は人の姿が絶えてしまったが、時は錯綜し、子供のころの北原少年や、一緒に遊ぶ自分もいるような気がした。
 恐らく天然の氷で毎朝スケートを楽しんだ数十年前の福島の気温は、今の芝平と同じくらいだったと思う。もし、芝平にそんな設備があったとすれば、きっと今でもスケートができたのではないかと、頬に当たる刺すような風をその時は懐かしく感じながら思ったものだ。

       山椒小屋跡から始まる落葉松林の中の古道

         薄氷が張った山室川の流れ
             
           ・・・お知らせ・・・
 突然ですが、3月の終わりまで都合によりこの呟きを休止いたします。病気、入院などの理由ではありません。
 4月から再開するつもりでいますが、そのころには牧場閉鎖後の方針が今よりかはっきりとするかも知れず、またもしかすれば、この独り言の場などなくなってしまうかも分かりません。
 それでも、入笠牧場及びその周辺の自然、そしてそこへ通う際に親しくなった芝平の集落、山室川の流れは、18年の間に過ぎていった時間と同じく何にも代えがたいものとなりました。
 良い人に出会うこと、それに匹敵するのが、わたくしにとってはそれらの土地でありました。
 この独り言が再開できれば、そのころには鳥が歌い、芽吹き始めた樹々の間を縫って春の暖かな日が射す頃でしょう。また、お会いしたいと思います、よろしくお願いいたします。
 入笠牧場管理人 三沢拝

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      ’25年「冬」(38)

2025年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 日本海側を中心に日本各地は、連日大雪の被害が報じられている。にもかかわらず先日呟いた通り、法華道は驚くほど雪の量が少なかった。
 例年だと芝平の諏訪神社口、もしくはその上の「万灯」を過ぎて林道から法華道へ入る段階でスノーシューズを履いたものだが、それが1時間半以上も古道を登った「ハバキアテ」までその必要がなかった。
 豪雪で大騒ぎをしているのをよそに、忍び寄る温暖化がこんな所に現れたのだろうか。これほど雪が少なかったのは恐らく18年間で初めてのことだったと思う。
 また、この時季に古いものも含めて先行者の足跡を目にしたことも、昨冬以外では記憶にない。先月だか先々月であったか、市報の市長専用コラム「たき火通信」が法華道のことを紹介していたから、その影響、効果があったのかも知れない。

  人気の高い山の登山道は踏み跡がしっかりできていれば、スノーシューズや輪カンなどは逆に邪魔になることが多い。しかし、法華道のように滅多に人の通らない雪道はそれらが必要になる、特に1月、2月の厳冬期には。
 その上でだが、踏み固められていない荒れた道は結構歩きにくいもので、輪カンやスノーシューズでも同じことが言える。(以下10行以上が文字サイズを変更していたら消えてしまった)。
 
 翌朝、第2牧区から第1牧区へ上がる際にも、かなり潜った。表面は固く凍っていたが、また最中(もなか)に譬えたら中の餡に相当する雪がもっと締まり、体重を支えてくれるまでになるには、やはり3月の声を聞かねばならないのだろうか。
 潜った雪の中で靴とスノーシューズが複雑な動きをし、また外れはしないかと気を揉んだが、何とか太陽の光と寒風に晒された第1牧区の雪の締まった雪原にでることができた。そしてそこからは安定した歩行ができたが、場所によってはそれでも柔らかな雪に幾度か足を取られた。
 
 スノーシューズや山スキーの締め具は近年軽量、小型化した分、より複雑になった気がする。しかし、ひとたび故障でもすると、素人では手に負えなくなる場合が多い。
 ゴムやプラスティックなど経年劣化については、かつてプラスティック靴の破損で問題になったように重大事故に繋がりかねず、ただし使用者がそれを判断するのはなかなか困難である。
 そのあたりのことを、技術革新に熱心なメーカーにおいても何らかの目安や方策を考えてもらいたいし、使用者も万一に備え、対策・方法を考えるべきだと思う。最低でも細引き、針金(16番)小型のペンチ、万能ナイフぐらいは必携だろう。

 歩きにくい山靴でゆっくりと山道を下ってきた。背中のザックに結わえた使い古したスノーシューズ、その世話になることはもうないと思ったし、また、雪の法華道を歩くのも、これが最後になるかも知れないと考えていた。
 本日はこの辺で。

 
 


















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      ’25年「冬」(37)

2025年02月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 (昨日から続く)
  スノーシューズに関しては、前にも似たような経験をしていた。靴とシューズを固定するゴムのバンドが切れて、腰までの深い雪の中を泳ぐような思いをしたこともあって、そのためゴムのバンドはすべて強度のある6ミリの細引きに換えて万全を期したつもりでいた。まさか付け根までがあんなふうにあえなく切れるとは。
 
 一応は用意してあった細引きで何とか凌ごうとしたが、10㍍も行かぬうちにまた外れてしまい、かくなる上はと右足はツボ足で行くことを覚悟した。
 踏み跡が細く歩行に支障がある時はこうした手もあるが、ただし、登路がしっかりしている場合である。あの古い林道は数歩も歩けば右足は潜るし、左足のスノーシューズも菓子の最中のような雪に沈んでしまい、雪中行は俄然苦難を強いられることになった。

 遅々として捗らない雪の道に昔のツボ足山行を思い出し耐え、御所平峠に着いたのは13時近かったと思う。出発が9時45分だったから、4時間以上もかけてしまったことになる。



 お師匠の担ぎ上げた地蔵尊に声をかけ、頭を下げ、写真も撮った。峠の少し手前で左足のスノーシューズも外れてしまっていたため、そこからは両足ともツボ足で歩くことを余儀なくされた。
 峠から林道へ下り、南門から先は予想通り踏み跡のない雪を膝まで潜りながら小屋に到着した。

 今回も例のドロドロのウイスキーと、凍結を免れたビールが労を労ってくれたが、不思議なもので、里にいれば遠い存在であったそこが、落ち着けば懐かしのわが家のようになる。気温は零下7度だった。
 夜、星を見ようと外に出てみたが、2回とも月はないのに星の数は少なく、中点よりか西に傾きかけたオリオン座がいつになく精彩を欠いて見えていた。

 翌日は7時半に目を覚ました。気温は零下17度、快晴。上に来て、やはり牧場を無視して帰るわけにはいかないと、前夜修理したスノーシューズを靴に縛り付け、強引に足をねじ込み、そして一夜泊まりのわが家にも等しい小屋を後にした。
 
 今回の牧場行、いろいろと思うことが多かった。次回もう少し、そのあたりのことを。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 




 
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      ’25年「冬」(36)

2025年02月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝起きると、気温を見るのがほぼ日課になってしまった。で、今朝は屋外が零下11度、家の中は零度だった。天気は申し分なく、吹雪いていることが多い経ヶ岳も、山頂まで朝日に輝きよく見えている。山はまた雪を増やしたようだ。

 一昨日入笠へ行き、1泊して昨日帰ってきた。一番驚いたことは、意外にも例年と比べ雪が少なかったことだ。西山(中ア)は雪雲に隠れている日が多かったが、東山(南ア)の前衛は普段はあまり目にしないから、同じように考えていた。ところが、荊口、芝平と山室川の流れに沿って車を走らせても、いつもの冬景色とは違い、道路には目立つほどの雪はなく、谷全体が少ない雪を抱くようにして眠っていた。

 諏訪神社の脇から始まる急な登りにも雪がなく、法華道を登りだしても相変わらずで、いつ降ったのか分からない雪が所々に点在しているくらいだった。そんなわけで、ツボ足のまま登行を続けるしかなく、そのわずかな雪の上に先行者の新しい足跡が上へと続いていた。
 ついにハバキアテまでそういう状態が続いた。下からは1時間半くらいをかけただろうか。いつものように底の固い冬靴は足になじまず、外反母趾が時々疼いたりした。
 そこから先は冬の古道らしく雪道が待っていて、ようやくスノーシューズを履くことにした。

 急な登りを終えれば山椒小屋跡。冬期はこの先の夏道をたどる雪の登路は古道の中では歩きにくく、冬道には適さないといつも思う。
 初めての時は、北原のお師匠が落葉松の木に付けた小さな道標に気付かず、もっと左に寄った雪原を進んだ。その記憶があってここでどちらを選ぶか迷うのだが、やはり師のご苦労を偲びつつ行く方を選んだ。
 ここまで来ると雪の量は例年と変わらない。今回はそこに細い踏み跡が続いていて、スノーシューズを滑らせるにはいささか窮屈な思いをしながら登っていった。

 ようやく林道に出るというところで、右足のスノーシューズが外れた。よく見れば、靴に縛り付けるバンドの取り付け部分、プラスティックの立ち上げが劣化して切れていた。
 付け根が切れてしまうことまでは想定できず、天を仰いだのがきょうの写真。この続きはまた明日にでも。
 本日はこの辺で。
 
 
 
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      ’25年「冬」(35)

2025年02月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     
 午前7時半の気温、外と室内が同じで4度とは、寒暖計がおかしいのか。いつもだと6度くらいの違いがある。それに、寒気が来ているはずなのに零度を上回り、天気も良い。豪雪に苦労する人たちには申し訳ないような気がする。

 よそ事のように聞いていたが、昨日スーパーへ米を買いに行ったら、棚に米が2,3袋、それも5㌔だか4㌔詰めしかなかった。仕方なく、そのうちの1袋を買ってはきたが、こんなことは都会の話で、よもや田舎でも起こるとは予想もしてなかった。
 間もなく政府の備蓄米が放出されるようだが、騒ぎが起こり始めたのは昨年の秋だった。それに対し農水省は「新米が市場に出るようになれば」問題は解決されると言って、事態を楽観視していた。ところが、米不足は今も続いている。大量の米がどこかに隠匿されてしまったからだ。
 そして最近では、仮に備蓄米が市場に出ても、「コメの価格はそれほど下がらない」などと、余計な世論形成に一役買うどこかの大学教師もいる。

 天候もそうだが、世情も段々と悪くなっているような気がする。それにもかかわらず国会では「選択的夫婦別姓」だとか「高校授業料の無償化」などが何故か大きな問題になっている。
 法外な出演料を貰いながら顔をしかめて物価高を嘆き、庶民代表を演じるようなあの人たちと同様、選良の皆さまの感覚も少しずれていはしまいか。
 地方から東京の大学に進んだ子供の親と、家から通学できる子供の親との負担の違い、差がどれほどのものか、大方の選良の方々におかれては良家のご出身が大勢だから分からないのだろう。高校の授業料など論じる前に、奨学金制度の見直し、教育を受ける者の間にある格差とか不平等にこそ目を向けるべきではないか。

 高額療養費制度も改正の動きがあるやに聞く。ガンのような医療費が高額になる人たち、就中年金暮らしの高齢者には酷しいことになるだろう。確かに、医療を受ける側にも問題がないとは言わないが、不安を抱える人たちは多い。
 それとも関連して前から呟いているように、安楽死の問題と、選択的夫婦別姓の問題と、どちらがより深刻かつ重要かも是非議論して欲しいものだ。

 風は強い。しかし晴れている。上に行くのは断念した。携帯電話は復活しました。
 本日はこの辺で。


 
 
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