入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「秋」 (9)

2015年08月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


    木々が騒ぎ、森が咆哮している
    例えそれが、逝く夏の最後のあがきだとしても
    秋に味方した小雨まじりの風が、夏の名残りを容赦なく消していく
    疲れ果てた旅人が、追い立てられて去っていくような
    今年の夏の寂しい後ろ姿だ





    この子はだぁれ誰でしょね



    たった1日過ぎただけで

 あの森の中には、すでに気の早いキノコが、ぽつりぽつりと顔を出し始めた。いまにこの牧場へ登ってくる道は、キノコ採りに来た人たちの車で一杯になる。森の雰囲気は一変し、狂騒が始まる。今年はくくり罠がそこら中に掛けられているから、クマならぬ人の錯誤捕獲も起こるだろう。
 雨の中、ずっと電気牧柵の立ち上げに終始し、また一日が終わった。濡れて電気の流れがよいので気を付けていたが、それでも2度感電した。これで心配していたソーラー発電機も立派に機能していることが分かったが、そこまでしてみたとてまったく詮無い話だ。もう充分過ぎるくらい働いた。これが終わったらまた昨年のように温泉にでも行って、贅沢な芋煮会でもやらねば気が済まない。
 明日は「JALNECの帰ってきた青春」ということで、先週やってきた彼らのハイカラなキャンプ風景を紹介する予定。

 入笠牧場の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年の営業」を、また天体観測に興味のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。

 
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     「秋」 (8)

2015年08月29日 | 牧場その日その時


  ブログを上げることができなかった間にも、秋は進んだ。
 
 26日、「馬っこウオーク」隊という子供を中心にした18人のメンバーが、その名の通り1頭の馬を連れて、50キロの行程を2泊3日をかけて入笠に到着した。雨の中、元気に設営の準備をしたり、大釜に火を燃やし夕飯のしたくをしたりと、よく頑張った。そして翌朝、入笠の山頂へは特別のコースから登って、一人の落伍者も出さず3泊4日の旅を無事に終えた。
 このイベントは地元紙でも大きく取り上げられたが、欲を言えば、古道である石堂越えを登り、高座岩、本家・御所平のコースを歩いて入笠牧場のキャンプ地にやってきたことも報じてほしかった。
 同日27日、20年近く毎年やってくるJALNECの先遣隊T夫妻が来て新式の大型テントが立ち上げられると、キャンプ場の雰囲気がまた変わった。終末にかけて続々とメンバーがやってきて、ハイカラな村ができ、お盆並の賑わいを見せた。

 忙しい日々が続く。8月中に第3牧区の電気牧柵を立ち上げようと苦心しているが、昨年から今年にかけての大雪で、かなりの牧柵がへし折られてしまった。この作業の苦労については、ここに書く気にもならない。ただ雨の中、張り終えた牧柵を眺めながら悦に入るという、救いもあることはある。
 わずか1カ月ばかり、30頭ほどの牛の放牧のために半月を要して立ち上げた牧柵は、牛が下りればまた落とさなければならないだろう。そしてまた来年、同じ苦労を繰り返す。第1牧区、第3牧区、そして第4牧区、この牧場はその昔に電気牧柵に頼り過ぎ、挙句に保守の難しさから放棄してしまった牧区がまだ他にもある。
 電牧を立ち上げ、その下の草刈をして、保守し、そしてまた落とす、そういう作業が4キロにも、5キロにも及ぶ。が、愚かで切ない牧場管理人の意地とでも言うのか、そういうことをすべて、一人だけでやり終えたい。
 作業日誌を見ると、8月は11日まで晴れの日が続き、15日も晴れたようだが、その他は雨か曇りの天気ばかりが続いたようだ。天候のことについても、これ以上は書かない。天気予報について批判的なことを書くと注意される。クク。久しく沙汰ないが、あの娘は元気でやっているのだろうか。

 最後に訂正とお詫びをしなければならない。
 一昨日のかんとさんの天体写真、「北アメリカ星雲とペリカン星雲」と「網状星雲」のキャプションがあべこべになっていました。気が付いた人もいたと思います。猛省して、お詫びいたします。
 入笠牧場の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年の営業」を、また天体観測に関心のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。


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      「秋」 (7)

2015年08月28日 | 入笠牧場からの星空

北アメリカ星雲とペリカン星雲

 138億年という宇宙の歴史からすれば、われわれの出現は早かったのだろうか、それとも遅かったのだろうか。この広大無辺の宇宙の、過去から未来へと流れていく時間の中で、われわれはどこら辺りにいるのだろう。



      網状星雲
 
 太陽系の46億年の過去も、そしてその未来もおよそ分かっているが、われわれは自分たちの1000年どころか100年先すら予測できないでいる。わずかの間に科学や文明は長足の進歩を遂げたが、こんな小さな惑星の上で共に平和に暮らすという、最も基本的かつ重要な命題への解は、まだ得ていない。いつか得ることができるかどうかも、分からない。
 虫の声を聞きながら星空を眺めていると、いろいろなことを考えさせられる。今夜の天体写真も昨日に続き、かんと氏からの贈り物。

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     「秋」 (6)

2015年08月27日 | 入笠牧場からの星空

    わし星雲(上)とオメガ星雲                           



    アンドロメダ大銀河

 地球から月までは、光ならカッチンで着くのに、地球から太陽までの距離(約1億5000万キロ)となると8分以上もかかり、すぐそばに見えているようで太陽は意外に遠い存在だということを以前に書いた。その太陽を中心にした太陽系を10センチに凝縮すると、直径約10万光年の大きさのわれわれの天の川銀河は、北海道の面積を幾分凌ぐ大きさになるという比較を、「ハッブル宇宙望遠鏡がみた美しすぎる宇宙」〈=宝島社)」で読んだ(概略)。宇宙の広大さを考えるとき、これでもピンとこないかも知れない。
 今日のかんと氏の天体写真アンドロメダ銀河までは、同書では230万光年としていた。この写真も、230万年という膨大な時間をかけてようやく届いた光をキャッチしたものだ。ちなみに、アンドロメダ銀河がわれわれの銀河の外にある天体であることを発見したのは、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルで、それほど古い話ではない。
 今月号だか、前月号だったか科学雑誌「ニュートン」は、そのアンドロメダがわれわれの銀河系に向かって超高速で接近中であることを特集していた。書店でチラッとその表紙が目に入ったが、ページを開く気にならなかった。このごろでは、そういうことはどうでもいいと思うようになった。ウン10億年後の、太陽すらどうなっているか分からないような途方もない未来のことよりか、もっと情緒的に美しい秋の星空を眺め、どうしたらあんな奇妙な名前を星々に付けたのか、できたら遠い時代の羊飼いを相手に、空想の会話でもしてみたい。

 第1牧区へ行ったら、山桜の葉の色が早くも黄ばんでいた。近くの森の深い緑の色にも、何となく秋の気配がするようになってきた。

 熊出たとかぁるく牛守話す秋  TDS

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      「秋」 (5)

2015年08月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


この間の日曜日、ちょっとしたクマ騒動があったことは知っていた。当日は富士見町が主催する自転車の催しがあって、たまたま有害駆除のため仕掛けた罠を点検に来た駒ケ根班の人たちがクマを目撃したため、近くにいたこの催しの関係者に注意して、騒ぎになったようだ。この駒ケ根班の人たちが、実は昨日、自分たちの罠でクマを錯誤捕獲したことをここに知らせにきてくれた人たちである。
 
 後を託されたため、取り合えず上伊那地方事務所の担当者に連絡した。ところが昨日は、別の場所でもクマの錯誤捕獲があり、そちらが終わってから登ってくるということになった。
 11時過ぎ、県のT担当者と麻酔銃を取り扱う信大のI先生がやってきて、即小黒川林道の現場に向かった。捕獲場所は道路際のかなり急な斜面で、罠に苛立つクマを確認、思ったよりも大型だった。例によって、周囲の草や木はみななぎ倒されていた。
 I先生はベテランで、距離は20メートル以上は優にあったが下方から、矢羽付の麻酔弾を見事に一発でクマの背中に命中させた。麻酔が効いてくる間にさらにもう一発見舞い、約7分ほどしてクマは昏倒した。クマをビニールシートに載せ、3人がかりで引きずり下ろした。下ろしながら、クマは再び放獣されるのだから怪我をさせないよう、止め刺しした鹿とは違うことを意識するようにした。それでも、やることは鹿とあまり変わらない。
 ただ、そのあとの個体調査は多岐にわたり、雄クマだったため陰茎のサイズまで記入する欄があったのには驚いた。T氏が各部位のサイズを測りながら、次から次へと言う数字をこちらは記入していくわけだが、氏はその用紙の記載事項をすべて暗記しているらしく、終わってみれば各項目は洩れなく数字で埋まっていた。彼もまた当然、この道のベテランであるわけだ。体重は四肢を縛り計測しようとしたが、重すぎてできなかった。推定体重は120キロ、年齢は15歳と見た。
 クマを放獣する前にタグを付けると書いたが、錯誤捕獲の場合はやらないらしい。ただ今回は、タグと発信機も付けた。そうして欲しいと頼み込んだのだ。やはり、今後どんな行動をするのか、浅い縁でもこのクマの将来を知る可能性を、できれば残しておきたかった。
 3人でI先生のライトバンの後部のスペースにクマを押し込み、もう一度麻酔注射をすると、それでやるべきことは終わった。あとは封獣するだけで、そこまでそのまま何もせずに行くと言う。同道するつもりでいたら、「放獣場所は知らない方がいいでしょう」とT氏からやんわり断られてしまった。
 以上がおよその顛末で、終わってみればそれほどの大事(おおごと)ではなかったという気がするが、多分クマを撃ち殺さずに済んだことが、そう思わせたのだろう。

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