入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (27)

2016年03月31日 | 牧場その日その時


    昨日、「つづく」などと思わせぶりなことを書いてしまったが、実はこの話はこれだけで続かない。その夜スノーボート上の遭難者の死体がどうしたとか、こうしたといったような怪談もどきの事件が起こったわけではない。
 翌日梯子谷乗越ではまたしても不調の極限を体験しながら、内蔵助谷に下る際にアイゼンを外したら途端に元気が出て、それから雪のあるとないとでは驚くほど様相の違う黒部の谷を、悠々と流れる深緑の水の色に目を奪われたりしながら黒四ダムの基部に出て、すでに最終のトロリーバスには何としても乗ると決めていたため、最後の急な雪の斜面を力を振り絞ってふたりで競うように登った。

 山から帰ってきて、遭難者の話をすると、よくもそんな場所で眠れたものだと、なじられ、嗤われた。別段そのことが言われるほど無神経とも思わないが、ではどこならそういう非難めいたことを言われないで済むのかと、逆に問い質したかった。50メートルなら駄目で、1キロ離れていればよかったのか。それとももっと遠くへ行かなければならなかったのか、広大であれほど大量の雪の詰まった剣沢の中で。
 あの時の状況においては、不審なスノーボートを目にしたからといって、それを特に忌避する気も湧かなかったのは事実だし、それが本当に遭難者の遺体だと知ったのは夜になってからのことだ。
 どこで、どのような事情で遭難事故に至ったのかは分からないが、山の事故は、もしかすれば自分たちにも起こりうることと考えて、奇妙な連帯のような気持が生まれたのかも知れない。弔いの態度を死者には特に示さなかったが、誰もいない谷に放置されているよりも、近くにわれわれがいて迷惑ではなかったと思っている。

 うっかりとんでもない記憶違いをした。念のため、このあと書店に行ってこの山域の本を入手の上確認し、まだ必要なら訂正もしなければならないが、まず「梯子段乗越(のっこし)」とばかり記憶していた地名は「梯子乗越」の誤りだった。それと、八峰の登攀を諦めたから、剣沢へは、長次郎谷でなく三の窓雪渓を下ったような気がする。それで、なぜ方向を誤り剣沢大滝の方へ行ってしまったかも合点がいく。
                          
 明日はまた、尾勝谷報告。今日の写真は小黒川の下流、黒川。
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       ’16年「春」 (26)

2016年03月30日 | 牧場その日その時


 今日も昨日に続けて、剣岳の小窓尾根の山行のことを書くべきかどうか迷っている。もう、昔のことで記憶も曖昧だし、それに5月の入笠に来てくれようとしている登山者には、何の参考にもならないだろう。

 そう思いながらも、剣沢の一夜のことを書いてみたくなった。その日は天気も思わしくなく予定していた登攀を中止して、長次郎谷の長い雪渓を下ってきた。剣沢に出てから、何を勘違いしてしまったのか、剣沢大滝の方に誤って下りかけた。しばらしてそれに気が付き、引き返したが、長次郎谷の出会い付近まで戻った所で無駄な行動が祟り、同行のHともどもバテバテになってしまった。
 しばらく互いに言葉も交わす元気もなく、結局その日は行動を中止してそこで幕営することに決めた。ふと、その時近くの岩の陰に置かれた1台のスノーボートが目に付いた。ボートはシートで覆われ、何を積んでいるのかさらにロープでしっかりと何重にも縛り付けられていた。
「H見てみろ、あれはオロク(=死体)が入ったまま、残置されているんだぞ」
「まさか、こんな場所にほったらかしはしないでしょう」
 その夜で5日目になるのだったか、ともかく紫外線を浴び続けたため、ビールがやたら飲みたかったことを覚えている。それをじっと我慢しながら、残り少なくなったウイスキーを飲んで喉を焼き、退屈しのぎにHを相手に、すぐそばのスノーボートのことをまた話題にした。
 Hは元来が口数の少ない男で、酒も強くないが、煙草はよく吸った。岩登りは、よくできた。そのころ、もうひとり仲間のNがいなかったのは、結婚したにもかかわらず仕事がなかなか見付からず、山から遠ざかっていた時かも知れない。
「お前、オロクが若い美人だったらどう思う」
「よくもそんなことを思い付きますね」
「いや、アラスカでも『300ドル』の恋物語を聞かせてやっただろう。ドラマが要るんだよ」
 そう言ったとて、Hは呆けているばかりで話に乗ってこない。と、聞くともなく流していたラジオから、剣だ、遭難だと言ってるニュースが流れてきた。聞いていると、まさしく50メートルと離れていないボートの主のことを言っている。Hもそのことがようやく分かったらしく、ふたりして耳を澄ました。(つづく)

 「28年度の営業案内」につきましては、とりあえずカテゴリー別の「27年度の営業案内」を参考にしてください。
 


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       ’16年「春」 (25)

2016年03月29日 | 牧場その日その時


 新宿の雑踏の中を歩いていても、山の手線の電車に乗っていても、それが少しも久しぶりのこととは思えず、昨日も一昨日もそこでずうっと同じ生活を続けていたような錯覚を、また今度もした。しかし、さすがに、何十年も前に暮らしたかつての生活や団欒が、今も行けば南荻窪のあの住宅地に待っていると思うようなことはなかった。
 二晩泊まった間に、小雨模様の市ヶ谷、四谷付近を歩き、上野公園、北の丸公園を車とタクシーで忙しく回り、桜の開花予想を大きく外したまだ二、三分咲きの花を眺めて帰ってきた。 
 
 入笠の花見ができるまでにはまだ1か月ぐらいはかかるだろう。その前に里の花見がある。毎年、3回も花見を楽しむのは贅沢かも知れないと思いつつ、中でも入笠の山中にある山桜の老木に一番の親しみと関心とを覚えて、今から咲くのを待っている。
 ああ、桜の花と言えばそれと剣岳方面に行く途次、北陸線の車窓から目にしたのどかな山村に咲いていた同じ花のことも忘れない。遠い昔の記憶だが、あの時も、変わりやすい天候のことなんかを気にしながら、山を続けていればそうやって毎年3回は桜を愛でることができるのだと、今と同じようなことを思ったりしたものだ。いつも桜の開花が話題になるころには、何故だかその一瞬に過ぎないような北陸線沿線の風景や印象が、1週間近い山の体験(小窓尾根ー三の窓ー長次郎谷ー剣沢ー梯子谷乗越ー内蔵助谷ー黒四ダム)にも増して、今もあまり色褪せないまま甦ってくるのが不思議だ。
  
 今日は久しぶりにジャージ-種のチビに登場してもらった。大きなホルスタインの陰に身を小さくしていたこの牛のことを時々思い出すが、再会は果たせないままでいる。チビの左の和牛は成牛で、こうなると、どんな大きなホルスタインも彼女には勝てない。だから、昨年の種牛見習いに、見習いの文字が取れた暁には、彼は牧場内ではたった1頭の和牛の雄になるわけだから、もう、向かうところ敵なしとなる。
 
 かんとさん、4月の新月(9,10日)のあたりはまた上に行きたくなるころだから、大丈夫だと思います。
 「28年度の営業」内容については新年度になってから掲載しますが、とりあえずカテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。
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       ’16年「春」 (24)

2016年03月26日 | 牧場その日その時


  昨日の続きになるが「さてどうしたらよいか」ということで以下に、中高年の安全登山の目安になりそうなことを少々記してみた。ただし、こういうことに詳しかったり、適任などと思っているわけではないので、悪しからず。

 1)「日本百名山」と、若いころの実績をさっさと捨てる。
 2)単独行を避け、1回の山行で複数の山頂を目標にしない。
 3)里の降水確率が40%を超える場合は登山を中止する。
 4)夏の行動時間は3時、その他の季節は2時までとする。
 5)道に迷ったらかならず引き返す。未知の沢への下降はしない。
 6)雨具、フリース、杖を過信しない。夏でも純毛の衣服を用意する。
 7)日帰りの登山でも、ヘッドライト、鈴もしくは笛、手袋は必携。
 8)地図上の点検を行い、複数の下山路を知っておく。
 9)不測の事態に備え、引き換えし点を仮定しながら登る。
10)落葉が始まったら、森林限界を超える山には登らない。

 異論も反論もあるかも知れないが、一応こんなことが参考になり、役に立てればと思う。

 このごろは、あまり高い山、険しい山に登りたいと思わなくなった。年齢のせいだと認めるが、低山であっても、またかならずしも山頂でなくても、目標にした丘や、谷を歩くことができれば満足している。確かにそれは小さな喜びかも分からない。しかしそのささやかなものが、夏場のほどよい加減で吹く山頂の風のようであったり、雪解けのころの春の雑木林の中で見付けた陽だまりのようであったりして、快い。
 かつての山の仲間だったNも、四季を通じていつもひとりで、暇を見付けては近くのタカボッチばかり登っているらしい。それも分かるような気がする。

 閲覧件数が1千を超えるようになって、大変感謝してます。「28年度の営業」の内容については新年度になってから掲載しますが、とりあえずカテゴリー別の「27年度の営業」を参考にしてください。
 本日26日に上京し、28日に帰ります。その間2日ばかりブログを休みますのでご承知おきください。
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       ’16年「春」 (23)

2016年03月25日 | 牧場その日その時


 大沢山から第1牧区の方を見れば、まだ大分雪が残っている。決して日当たりが悪いわけではないのに、雪の解けるのも、牧草が緑色に変わるのも遅い。雪が消えれば、待ち構えていたように鹿が来る。そして一番芽を食べ尽す。

 昨日のブログに触れて、滅多に人の行かない森や、行く先がどうなっているか分からないような枝沢は、危険ではないのかと心配する人がいた。そんなことを、軽々に人に勧めてもよいのかという意味だ。
 これまで、安全登山という言葉は耳が痛くなるほど聞いてきた。しかし、では、具体的に安全な登山とはどういう登山を指すのかと詰めても、無理をしない、余裕を持て、危険な場所には近寄るな、引き返す勇気を持て等々というような抽象的な話ばかりで、悪いがこれでは実際の役に立つか分からない。それに、この通りにして、果たして登山は成り立つのだろうか。
 山は安全ではない。だから安全であるかのように言うのは幻想であり、欺瞞である。同じ安全でも交通安全については法律も、規制も、取り締まりも、びっくりするような罰則もある。それでも交通事故は無くならない。これと自然を相手にする登山とを同列にはできないが、にもかかわらず、「スピード出すな」のような空疎な標語と、山の「安全」もまた似たような響きがする。
 登山は危険を伴う。そのことをきちんと踏まえて、前提にして、それでも行動するのが登山ではないだろうか。日常にはない自然を相手の困難や、危険があるからこそ、終了点での美しい感動的な眺めにも増してそれを掌中にできた達成感が、登山の喜びや魅力なのだと言えまいか。あるいは、時には無念な敗退であっても、それで折れてしまわない勇気の存在を感じ、知ることが。
 
 人生の終盤にさしかかり、若かりしころの山の思い出を背負い、また山登りを再開する人たちがいる。いまそういう中高年の登山者が増え、事故も彼らの占める割合が急増している。中でも、疲労と気象の変化に耐えれない遭難事故が目立つ。その傾向は今後もまだ続きそうだ。
 昨日、今日のブログは、かならずしもこういう中高年登山者を意識して書いたわけではない。しかし、どうしたらよいのか。(つづく)
 
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