昨日、「つづく」などと思わせぶりなことを書いてしまったが、実はこの話はこれだけで続かない。その夜スノーボート上の遭難者の死体がどうしたとか、こうしたといったような怪談もどきの事件が起こったわけではない。
翌日梯子谷乗越ではまたしても不調の極限を体験しながら、内蔵助谷に下る際にアイゼンを外したら途端に元気が出て、それから雪のあるとないとでは驚くほど様相の違う黒部の谷を、悠々と流れる深緑の水の色に目を奪われたりしながら黒四ダムの基部に出て、すでに最終のトロリーバスには何としても乗ると決めていたため、最後の急な雪の斜面を力を振り絞ってふたりで競うように登った。
山から帰ってきて、遭難者の話をすると、よくもそんな場所で眠れたものだと、なじられ、嗤われた。別段そのことが言われるほど無神経とも思わないが、ではどこならそういう非難めいたことを言われないで済むのかと、逆に問い質したかった。50メートルなら駄目で、1キロ離れていればよかったのか。それとももっと遠くへ行かなければならなかったのか、広大であれほど大量の雪の詰まった剣沢の中で。
あの時の状況においては、不審なスノーボートを目にしたからといって、それを特に忌避する気も湧かなかったのは事実だし、それが本当に遭難者の遺体だと知ったのは夜になってからのことだ。
どこで、どのような事情で遭難事故に至ったのかは分からないが、山の事故は、もしかすれば自分たちにも起こりうることと考えて、奇妙な連帯のような気持が生まれたのかも知れない。弔いの態度を死者には特に示さなかったが、誰もいない谷に放置されているよりも、近くにわれわれがいて迷惑ではなかったと思っている。
うっかりとんでもない記憶違いをした。念のため、このあと書店に行ってこの山域の本を入手の上確認し、まだ必要なら訂正もしなければならないが、まず「梯子段乗越(のっこし)」とばかり記憶していた地名は「梯子谷乗越」の誤りだった。それと、八峰の登攀を諦めたから、剣沢へは、長次郎谷でなく三の窓雪渓を下ったような気がする。それで、なぜ方向を誤り剣沢大滝の方へ行ってしまったかも合点がいく。
明日はまた、尾勝谷報告。今日の写真は小黒川の下流、黒川。