入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「秋」(23)

2021年09月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 牛が里へ帰る日が来た。すでに運搬車が3台来ている。Ume氏のきょうの空撮写真から分かるだろうか、牛は全頭がこの写真に写っている場所、囲い罠の中から、道路の反対側のさらに狭いパドックの中に誘導される。そこで検査を受け、終われば縄に繋がれてトラックに乗せられ、そして山を下りていく。
 小屋にいても、ふと間があけば牛を見て、時にはからかいに行って、気を紛らわせた。雨の日もあれば、晴れた日もあった。これから、山々が紅葉に染まるいい季節を前に、その牧の主役が目の前の景色から消える。
 
 昨夜は偶々夜中に外に出てみたら、昇りかけた半分ほどの大きさの月の光と、それに負けんとばかりに星々が輝いていた。もう、冬の星座も見られる時季になった。秋が深まるにつれて大気は澄みこれからの季節、ここならではの星空が期待できる。きょうは夕焼けがまた凄い。(9月29日記)

                お知らせ 
 9月末日をもって、covid-19を対象にした緊急事態宣言及び蔓延防止等重点措置が解除されます。これを受けて、今までは受付を中止していたJA上伊那東部支所においても、キャンプ場と山小屋の予約受付を再開することになりました。電話:0265ー94ー2473
 心苦しくも親しさゆえに、自粛をすすめた人たちが何人かいました。申し訳なかったです。ですが今後も、家族、夫婦もしくはそれに準じた人々を省き、当面は友人同士で1張りのテントを共用することは控えていただき、例年通り、11月の19日までキャンプ場と山小屋を通常営業することにいたします。

 キャンプ場:単独の場合、1泊1500円。複数の場合、1名1泊1000円プラステント1張りにつき1000円。
 山小屋:1名1泊4000円、ただしストーブ使用の場合は薪炭料別途1名1泊500円。寝具、ガスコンロ、冷蔵庫など炊事用具あり(無料)。
 なお、前年度実績のある場合は旧料金3000円を適用いたしますので申し出てください。



 赤羽さん、久しぶりです。相変わらず元気で活躍され、それに、いつもながら夫婦仲もよろしくお二人で温泉旅行とは。何卒そういう真似のできない者の分まで紅葉と温泉と、美味い物を楽しんでください。
 本日はこの辺で。






 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(22)

2021年09月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この牛たちも、明日は山を下りていく。例年よりか少し下牧が早まったが、しかし牛たちはそんなことなど知らず、ここの暮らしがずっと続くと思っているにちがいない。秋が深まり、木の葉が散り、白いものが舞い、そして長い冬が来ることもきっと知らないだろう。里に帰り、狭い牛舎に押し込まれて、退屈な日々を過ごすようになって初めて、自由であったここの暮らしを思い出すのかも知れない。
 乳牛も和牛も里に帰れば、受精や出産が待っている。乳牛は3,4年で、和牛は長ければ10年以上繁殖を繰り返し、そしてその生涯を終える。実に呆気ない一生でしかない。毎年まいねん山を去っていく牛たちを見送りながら、そんなことを決まって考えてしまう。
 
 牧守にとっての晦日は12月31日ではなく、牧を閉じる日がそうだと言える。それから少し気が抜けて、1ヶ月半ほど様々な残務を済ませて11月の19日には牧守の契約を終える。そして翌年の牧を開くまでの5か月、無聊で暗い冬の季節(クク)を送ることになるのだが、それがこの仕事を始めてからずっと繰り返してきた年月である。長いと言えば長く、短いと言えば短かった。
 それもしかし、少しづつ状況は変わりつつある。牧場の存在意義が年毎に薄れてきつつあり、いくら老いの情熱を燃やしてみても、その変化・流れを止めることはできない。
 
 ただ、もしそうなった場合、ここはどうなるのだろう。ここの自然、そのことが最も気掛かりなことで、閉牧された幾つかの他所の牧場の変わり果てた姿が目に浮かぶ。
 もしかすれば,そんな時が来るのを、手をこまねいて待っている人たちがいるかも知れない。あるいは切羽詰まって、後世に恥じるような決断が下されることだって考えられないわけではない。といって、それも止める術なく、時間も無ければ、いつか来るかも知れない"兵どもが夢の後"さえ目にすることもないだろう。

 蓄積した疲労のせいもある、牛たちとの別れもある。彼女らの姿の消えた広大な牧場は、晩秋の遠い空の色のように寂しい。どうしても牧を閉ざす日が近付くと毎年、悲観的になる。年を取ったせいもあって、いろいろなことを思い知らされる時である。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(21)

2021年09月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜はいつ寝たのだろうか、外はまだ暗い。このごろは6時間ほど寝てから目が覚めることがある。7時間くらいは寝たような気がするからと起きるのに迷いながら、台所からゴソゴソとする物音に耳をそばだてている。
 
 何という名前だったか、まだ思い出せない。そして、ようやくその名を思い出すまでには幾つかの草花が頭の中をよぎった。タラの芽の葉、と断定するにはまだ少し自信がないが、思い出したかったのはこの名前に間違いがない。
 昨日、雨に濡れているこのタラの芽、取り敢えずそうしておく、の写真を2枚撮った。そして、そのうちのより痛んで、老いぼれて見える方をここに選んだ。生気を失いつつある植物の葉を「老いぼれて」というのは適切かどうかわからないが、そんな言葉を思い付くままにして訂正しないでおく。ただ、なぜより老いぼれた方を選んだのかということになると、説明するのはかなり厄介なことになる。
 こんな朝まだきに、衰退していく生命を弄ぶことには抵抗もあるのだが、強いて言えば、この葉の名前を即座に思い出せなかった自分になぞらえてみたかったのだろうと、胸の裡を推測してみるのだが、クク。

 少し曲解が過ぎたか。早く朝が来て、第4の牛共をどうしたら一人だけで囲いの中に誘導することができるかとそればかり考えていたつもりなのに、つい、夢の延長を引き摺ってしまったようだ。何しろ、30代だと思って行動していた自分が、いきなり70代に持って行かれた夢だったから、目が覚めた時、まだ混乱が続いていた。
 全く現実には記憶のない女性が夢の中に現れて、よく見る夢だがまたしても東京のややこしい鉄道網について、定期券の買い方に無駄があるからと、懇切丁寧な助言をしてもらっていた。その後、夢の中で電車に乗ってその人の教えてくれた通りの乗り方を試してみた。
 夢だから仕方ないがまた脈略もなく、突然に、いつの間にか東京の夜の下町を歩いていた。道を間違えたと思い引き返そうとしたら、目の前に別れ道が現れて、さてそれまで自分はどちらの道を歩いてきたのかが分からなくなってしまった。その時にはすでに70歳になっていて、その後、また先述の女性にその時の苦労を聞いてもらっていた、という変哲もない夢だった。
 
 現実に帰って、少し考えてみた。夢の通り、まだ30歳代である自分の方が良かったのか、それとも現在の70歳代が良かったのかと。で、そうやって考えた後で選んだきょうの写真だから、きっともう、さらに40年も時間を遡り、もう一度別の人生を送るだけの体力、気力は、恐らくないのではと思うのだが、はて。
 こんなことを言っていても、もし不治の病でも宣告されれば、そんな今の気持ちは簡単に変わるかも知れない。
 こんなことを考えるのも健康で、よく働いているからと思うことにした。本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(20)

2021年09月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                 Photo by Ume氏

 1週間が早くて驚く。週末の「明日は沈黙します」を、もう繰り返す日が来た。ただ、牛の下牧に関しては、第4牧区の草の状況から判断して早く里に帰してやりたいと思うと、下牧の29日は遠かった。
 茫然と時間の流れに任せていれば時の経過はやたら早くも、何かを期待して待つとなればやはり時は正確にその早さを守り過ぎていく。そういう当然過ぎることを納得して、詮もない時間問答を自分の裡におさめるのだが、それでもまだ短命に終わるであろう秋が、少しでも長く続いて欲しいという気持ちは打ち消せずにいる。
 遠い昔に、夏と冬への思いが醒めてしまってからは、秋という季節への思い入れははますます強まった。春とは違い、やがては滅びの予兆を滲ませはしても、いや、だからこそと言える。
 山室川の谷で見掛けた老婆が、小春日和の柔ら日の中で石垣に腰を掛け、日の暖かさと目前の景色の他には一切の関心を見せずに、ただじっと時を過ごしていたあの時の姿が何かを暗示するように目に浮かぶ。

 昨日、小入笠の頭まで牛を探しに行ったことはすでに呟いた。その時、併せて電気牧柵の状態も点検していったら、1個所だけアルミ線の緩んだ部分があった。200頭を超えるほどの鹿が入っていたにもかかわらず異常はそれだけで、他はほぼ正常であったのには驚いた。
 牛が里に帰ればすぐにも通電を止めて冬対策をすることになる。だから、もうその程度の不良個所などは無視しても問題ないと分かっていても、散々苦労してきた電牧である、やはり気になって行ってきた。
 途中で作業を終了した後、折角来たのだからと小入笠の頭まで足を伸ばしたら、昨日はあれほどの数がいた鹿の姿はなく、代わってホルスの1群が薄雲をすり抜けた秋の陽射しを浴びながら、気持ち良さそうに寝そべっていた。
 そこから谷を挟んだ正面には、この牛たちがつい数日前までいた第1牧区の草原が見えている。果たして彼女らには、それが分かるのだろうか。塩の奪い合いをしたり、和牛に意地の悪いことをされ、また、雨に打たれた日が多かったはずだが、そんなつらい夜を過ごしたことも含めて、もう記憶には何も残っていないのだろうか。
 そんなことを考えてみたくなるほど、牛たちは何の屈託も見せずに大きな体を横にしてモグモグと口を動かしているだけで、束の間の安穏だけが音のない風となってそこには吹いているようだった。
 
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「秋」(19)

2021年09月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 秋の夜中、虫の声もしない。そろそろ、夜が明けるだろうか、明けのカラスが鳴きだした。

 今年の牛たちとはあまり親しくなれなかった。ホルスであれ和牛であれ、群の中に決まって警戒心の強い牛がいて、それが群を常に混乱させた。塩場などでは、人がいる間は他の牛の陰に隠れてオドオドしているくせに、いなくなれば塩を独占しようと角を使い、横暴な態度に出る牛が何頭かいた。里での、牛の扱われ方が変わってきたのだろうか。

 いまだ、連日のように牛に翻弄されている。昨日は6頭のホルスの捜索に丸一日をかけ、足を棒のようにして草原を歩き、渓を渡り、森に分け入った。腹も立つ、馬鹿らしいとも思う。しかしこういう時、不思議な闘志が湧いてきて、折れかけた気持ちを支えてくれ、強いて言えば、先の読めない岩を攀じる時の気持ちと似ているような気がした。
 牧場の外に出てしまっている可能性は、第2牧区の背後に広がる区有林以外には考えられなかった。その可能性を否定できないまま、第1牧区へも行ってみた。第2牧区は全域を歩いてみた。
 一昨日の大脱走の際、窮余の策として牛たちを弁天様の近くのゲートから、第4へ誘導した。その際、和牛1頭と4頭のホルス以外の牛は全頭を牧区内に入れることが出来たと思っていたが、昨日、頭数確認をすると6頭の牛の数が不足していた。なお、一昨日、第4牧区に入るのを拒否していた牛は、昨日の中に牧区内に入れることができていた。
 結局、夕暮れが迫るころ、最後の念押しをしようと第4牧区へ、それまで躊躇っていた軽トラを無理して乗り入れた。すでに一度小入笠の頭には行っていたが、その時には幾つかの群れを合わせれば200頭以上の鹿が間違いなくいて、驚くやら腹が立つやらで、しかし牛の姿はその周辺にはなかった。
 牛たちの驚く様子を尻目に、何回かのスリップで方向転換を余儀なくされながらも何とか小入笠直下の最後の平坦部部にまで行き着くことができた。
 しかしこの段階では、すでに諦めていた。翌日は、この独り言を読んだTDS君が同情して応援に来てくれることになっていたので、彼の厚意を当てにするつもりでいた。
 ところが牛はいた。しかも驚くべき急な藪の中に、か細い電牧に阻まれてそこから進めずに、動けずにいた。第4のBの放牧地には牛の好む疎林があって、すでにそこも見てあったが、牛の立ち入った形跡は全くなかった。しかし、そこからでなくては、あんな深い藪の急峻な場所へ行き着くはずもない。6頭は、耳に付けてある牧場の管理札でその番号を確認した。
 思いがけない場所ではあったが探していた牛を含めて、全頭が第4牧区内にいた。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする