入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「秋」(15)

2022年08月20日 | 法華道と北原師


 北原新道の草刈りに奮闘していれば、こういう景色を目にすることもある。炎暑の稜線上で、一陣の涼風に救わようなもの、すでにこの辺りには本物の秋が来ている。
 
 それにしても、ここのクマササの度し難いまでの繁茂には呆れかえるばかりだ。昨日買い求めた最高の切れ味と信ずる草刈り機の歯もたじたじの体(てい)で、お師匠の法華道に関連しこの山道に注いだ苦労を知らないではないが、幾箇所かのあの悪路の不安定な足場には血圧が沸騰しそうだった。
 高座岩(こうざいわ)の所有者でもある遠照寺の住職はこの道を下ってから、お師匠のしたことに感心を通り越したのだろう「正気の沙汰とは思えない」というような言葉まで残した。思い出すだに、笑える。
 もしそうであるなら、師をここまでの熱狂に追い込んだのは何だったのだろうか。高座岩は1千400年代の昔、日朝上人が七日七夜の説法をした場所であると伝えられている。当然そこに至る道があったはずだと信じた師は、一念発起してあの山道を開いたのだとか。盲滅法などと評しては何だが、ともかくそんな勢いであの斜面のクマササを刈りまくったのだろう。その姿が目に浮かぶ。
 もちろん師と比べるべくもないが、少々その病が弟子にも感染してしまったかと案じている。今年は昨年のようにはいかず、とても一度や二度の往復では済みそうもない。ついでに、何箇所か悪い山道も直すとなれば、これはcorvid-19並みの病がうつったと言ってもよいかも知れない。重症化しなければよいが。
 止まれ、少し話が大袈裟になり過ぎた。普通の人なら10分も歩けば終わる道だから、それほど大したことはない。まだ刈り残しもあるし、山道にはクマササの葉がそのままになっている。が、行きなはれ。
 盆には先祖の墓参りもできなかった。坊さんも断った。その償いになれば幸いだ、有難い。

 和牛軍団が囲いの中へ戻ってきている。ジャージーまで一緒だ。今まで残留を決めていた9頭ほどの乳牛と1頭の和牛は逆に囲いから外へ移った。何度か呻き声を聞いたから、電牧に感電したのだろう。すでに切断されたアルミ線や支柱を2度ばかり修理をさせられた。ようやく囚われの鹿も出たようだが、昨日は鹿の群れが塩鉢の傍にいて、逃げようともしなかった。今に見ていろよ。

 キャンプ場を含む「入笠牧場の宿泊施設のご案内」は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
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   ’18年「春」 (45)

2018年04月23日 | 法華道と北原師


 今朝は1時間ばかり早く、6時過ぎに家を出た。そして、いつもの開田に上がる通勤路を変えて、林や畑の中の違う道を来た。3日続いた好天も明日から雨のようだし、瞬く間に過ぎていく今の季節を少しでも多く見ておきたいと、欲を出したのだ。久しぶりに通る畑中の道は乾き切って暖かく、何故かそのことが気分を和らげてくれた。目に沁みる新緑の中に、山桜やモモ、ヤマブキなどが彩を添え、爽やかな朝の気が満ちみちていた。そして開けた場所に出たら、朝の青空の中に、残雪の仙丈岳と西駒ケ岳、それに少し遠くに空木岳が、東と西に伊那の盆地を挟むようにして見えていた。
 
 きょうの写真は「芝平銀座」。この辺りを中心に、かつては公民館だった建物が残り、製材所や農協もあって、その奥に今も万朶の桜が咲く分校跡がある。手前には廃屋と化した「竹屋百貨店」という名の万屋(よろずや)があり、廃村が決まるまでは集落の生活必需品を一手に引き受けていたのだろう。またこの少し先に進むと、この山深い谷間に暮らした人々の長い歴史を証する石塔なども多数ある。とにかく今の時期が、昔の住民はいなくなったが、清冽な山室川の流れも手伝いこの村が最も清々しく華やぐ時だ。
 この芝平(しびら)という珍しい名前の平和な集落に、予想だにしなかった災害が襲ったのが1961年、昭和36年の通称「三六災害」だった。少なくとも12世紀から存在したこの村は、この為に集団離村を余儀なくされたのだ。そのことについては、すでに触れた。北原のお師匠の語るところによれば今も、旧村民の結束は固く強いという。それは、この村との少しばかりの縁ができて以来、いろいろな場面で見たし、感じてきたことだ。芝平や師のことは、カテゴリー別「法華道と北原師」などでも呟いた。
 と、そんなことを昼休みに書いていたらなんと、当のお師匠がお孫さんの運転で突然現れ、驚かされた。風邪で元気がなかったから、入笠へ行けば元気になるだろうと、家族に勧められて来たのだという。一休みして師はお孫さんと二人で、本家・御所平のお地蔵さんに挨拶しに出掛けていった。

 本日よりFAXでも予約や問い合わせに対応できるようになりました。ご利用ください。

 入笠牧場の営業案内は「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」
「同(2)」をご覧ください。
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    ’18年「冬」 (21)

2018年01月24日 | 法華道と北原師


 昨日よりもきょうの方が、日の射さない寒々とした天気だ。昼が過ぎても雪は降ってこないが、それでも、西山(中ア)は終日雪雲の中。
 きょうの写真は今月の11日に上に行った時に撮った。そして下の写真は再々録だが、晴天の日の牧場管理棟周辺の景色。上の写真では寒そうで行く気のしない人でも、この銀世界を見ればまた違った感想を持つのではないだろうか。



 雪の森の中のひっそりとした「御所が池」がどんなふうになっているかと空想している。有名なTVドラマの撮影候補地になったこともあったが、まだ残雪の多い時期のことで、断念してもらうしかなかった。
 昨日は、山椒小屋を過ぎて、古い林道に出てから先のことは「根気の要る曲がりの多い緩やかな登りが続く」と書いただけだが、さらに行って、林道の途中を表示に従い右に下っていけば、分かりずらいがこの御所が池が雪の中に眠っている。
 そうせずにそのまま1キロ近くも進めば、左手の小さな池のそばに「御所平」の道標があって、この辺りが口碑によれば後醍醐天皇の皇子、宗良親王がいたとされる場所だ。そしてもう少し進めば「本家・御所平峠」に至る。小黒川林道へ下れば、牧場は指呼の間、左方向に南ゲートが見えるはずだ。
 入笠山の裏側を下った「仏平」の道標を加えると、法華道の伊那側には10箇所にこうした地名が残る。日蓮宗が信濃に入り、人々が身延詣でにこので山道を行き来するようになったのは、南朝の皇子がいたとされる頃よりさらに100年以上も下る。それでも、この山道を往来する旅人の間に、不遇な皇子のことが忘れられずに語り継がれていったのだろう。
 なお、またしても同じことを独り言ちるが、宗良親王も一時はここにいたかもしれないが、人の目に触れたのは恐らく、鎌倉幕府執権北条高時の遺児時行の一党だろうと思っている。1335年の中先代の乱は、ここで端緒が開かれたと。

 冬季の営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。

 

 

 


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    ’18年「冬」 (20)

2018年01月23日 | 法華道と北原師


 雪が降った。都会は大騒ぎのようだが、この辺りはそれほどのことはない。時折、薄日さえ射し、それでも天気予報を慮るかのように大きな牡丹雪が舞ったりしている。里では3センチほどだが、上はかなりの積雪になっただろう。
 雪の法華道、きょうのような曇天の方が静まり返った古道を登るには相応しい。和装の佳人とA lady in Bikiniを比較するようなもので、などと雪見酒の炬燵の中で埒もない譬えをしてみたが、今冬はまだ行ってない。「万灯」、「爺婆の岩」、「厩の平」、「脛巾当(はばきあて)」、「山椒小屋」などなど、この古い山道には幾つもの名前が付いていて、そういう場所には、人々に忘れられないようにと北原のお師匠が立てた道標がある。
 大体いつもHALを連れた単独で、出発点の諏訪神社からは牧場の小屋まで4時間くらいを見ている。山椒小屋を過ぎると登ってきた尾根は消え、落葉松林のゆるやかな登りを続けていけば、今は使われていない古い林道跡に出る。まだそういう目に遭ったことはないが、ここまで来れば、まず引き返すことはしないと決めている。引き返し点は「脛巾当」付近で、出発点から1時間半くらいか。ただしこれも牧場の小屋でなく、入笠山の登山口や、ゴンドラ駅までとなると状況にもよるが、林道からでも下った方が早く、無難だと思う。林道へ出てからも峠まで、根気の要る曲がりの多い緩やかな登りが続く。一度だけだが、日帰りをしたこともある。
 きのうも書いたように、ここを訪れる人は稀で、冬季などはいつも真っ白な雪道に踏み跡を付け、帰りは自分の残した足跡をなぞるように下るのが常だ。昨年初めて、他人の足跡を追ったが、この山道の味わいの深さは貴重で、ずっと残しておきたい。
 なお、本家・御所平峠辺りには人の足跡があったりするが、これらには猟師のものが含まれていたりして当てにならず、注意が必要。雪崩の心配もなく、牧場の小屋を利用すれば「冬山入門の教科書」のような山道だが、こういう宣伝めいた独り言が、さて、この古道のためになるのかどうか・・・。

 冬季の営業については以下をクリックしてください。「冬季営業の案内(’17年度」は、前年のものを流用している部分もあって、段落や改行がおかしく、見苦しいかも知れませんが何卒ご容赦を。



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    ’17年「初夏」 (24)

2017年06月28日 | 法華道と北原師

Photo by Ume氏

 雨に濡れたクリンソウの写真は、きょうの天気に相応しい。霧の深い幽玄なあの森の中に行けば、クリンソウの大群落はまるで桃色の池塘のような光景を見せながら、突然現れた顔見知りの侵入者を迎えるだろう。誰もいないこんな山の中の牧場で、雨に濡れながらわずかの数の牛を見回る者へ、それは自然の過分なるねぎらいだと思うことにして、感謝したい。

 二日前、北原のお師匠がお孫さんの運転で牧場へやってきた。そろそろハナビラタケというキノコのことが気になりだしたのだろうが、生憎今年はまだ早かったようで、収穫はなし。
 しかしその帰り、本家・御所平峠のお地蔵さんに立ち寄り、賽銭箱の中を調べたら4千数百円が入っていたという。お金は市の社会福祉士協議会に持っていくようだが、一人100円として40数人、500円硬貨も2,3枚あったというから、それでもあの古い峠を通った人々のうち30人ほどが足を止め、お地蔵さんに額ずき、賽銭箱に善意を入れていったことになる。そういう人々の中にはきっと、法華道とお地蔵様の由来や、古道に注いだお師匠の努力を知っていた人もいたことだろう。
 前に一度書いたが、知人のM谷が汚れた5千円札を手にして、神妙な顔をしてここに来たことがあった。、訳を聞けば、本家・御所平峠のお地蔵さんの賽銭箱で見付けたというのだ。それも今にも風に吹き飛ばされそうだったので、取り敢えずここへ持ってくればと考えて、来たというのだった。
 後日その尊いお金を師匠に渡し、経緯を話すと、師の感動しまいことか。幾つかの善意が重なって、そのお蔭で金は無事、落ち着くべき所に落ち着くことになったのだから、無理もない。師匠はその後も、この大枚5千円の喜捨をした人が誰だか知りたいと、折に触れては話している。先日もそうだった。

 キャンプ場及び山小屋の営業内容につきましては、「H29年度の営業案内」「続H29年度の営業案内」を参考にしてください。
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