北原新道の草刈りに奮闘していれば、こういう景色を目にすることもある。炎暑の稜線上で、一陣の涼風に救わようなもの、すでにこの辺りには本物の秋が来ている。
それにしても、ここのクマササの度し難いまでの繁茂には呆れかえるばかりだ。昨日買い求めた最高の切れ味と信ずる草刈り機の歯もたじたじの体(てい)で、お師匠の法華道に関連しこの山道に注いだ苦労を知らないではないが、幾箇所かのあの悪路の不安定な足場には血圧が沸騰しそうだった。
高座岩(こうざいわ)の所有者でもある遠照寺の住職はこの道を下ってから、お師匠のしたことに感心を通り越したのだろう「正気の沙汰とは思えない」というような言葉まで残した。思い出すだに、笑える。
もしそうであるなら、師をここまでの熱狂に追い込んだのは何だったのだろうか。高座岩は1千400年代の昔、日朝上人が七日七夜の説法をした場所であると伝えられている。当然そこに至る道があったはずだと信じた師は、一念発起してあの山道を開いたのだとか。盲滅法などと評しては何だが、ともかくそんな勢いであの斜面のクマササを刈りまくったのだろう。その姿が目に浮かぶ。
もちろん師と比べるべくもないが、少々その病が弟子にも感染してしまったかと案じている。今年は昨年のようにはいかず、とても一度や二度の往復では済みそうもない。ついでに、何箇所か悪い山道も直すとなれば、これはcorvid-19並みの病がうつったと言ってもよいかも知れない。重症化しなければよいが。
止まれ、少し話が大袈裟になり過ぎた。普通の人なら10分も歩けば終わる道だから、それほど大したことはない。まだ刈り残しもあるし、山道にはクマササの葉がそのままになっている。が、行きなはれ。
盆には先祖の墓参りもできなかった。坊さんも断った。その償いになれば幸いだ、有難い。
和牛軍団が囲いの中へ戻ってきている。ジャージーまで一緒だ。今まで残留を決めていた9頭ほどの乳牛と1頭の和牛は逆に囲いから外へ移った。何度か呻き声を聞いたから、電牧に感電したのだろう。すでに切断されたアルミ線や支柱を2度ばかり修理をさせられた。ようやく囚われの鹿も出たようだが、昨日は鹿の群れが塩鉢の傍にいて、逃げようともしなかった。今に見ていろよ。
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本日はこの辺で、明日は沈黙します。