小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



来年3月の閉館が発表された小田原駅前のベルジュが開業したのは1959年。開業当初は箱根登山デパートとしてスタートしたベルジュも来年54年の歴史に幕を閉じる。小田原駅周辺には昭和時代に建設された商業ビルが多く残っていて、今後建替えや取り壊しが多くなるのではと思う。それら各々の商業ビルの築年数が気になるが、登記を調べたりまでは大変なのでさすがにしない。簡単に竣工年を知る方法の一つが建物の外壁に取り付けられている定礎のプレート。全ての商業ビルに取り付けられている訳ではないが、ある程度の規模以上のビルには取り付けられていることが多い。先日、定礎プレートを探しながら小田原駅周辺を歩いた。今回は銀座通り沿いの商業施設の定礎プレートを見つけながら散策。まず初めに大工町通りと銀座通りの角にあるオービックビルへ。オービックビルは私が子供の頃に建設していた記憶がある。恐らく昭和50年台の半ば。オービックビルの定礎は建物角の分かりやすい場所に設置されている。この角は、オービックの出来る前は確か玩具屋だったように記憶している。定礎の石板には昭和55年5月と刻まれている。恐らく竣工した年なので今年で開業32年。駅周辺からアーケードが姿を消していっているが、このオービックビルには独自のアーケードが設置されているので、今後もアーケード共々長く使われていくことを願っている。続いて訪れたのはEPO。かつて仲見世があった場所に建てられた商業施設。記憶では私の高校時代までは仲見世があって学校帰りに立ち寄った思い出がある。EPOの定礎は駐車場脇の外壁にあまり目立たずに取り付けられていた。定礎の石板には1993年4月吉日と刻まれている。来年で開業20年。まだ新しい部類の施設との認識があるEPOだが、開業はだいぶ前だったのでビックリした。最後に訪れたのはアプリ。かつてニチイだったアプリは昭和時代、休日ともなると駐車待ちの車が銀座通りに列をなしていた記憶がある。小田原駅周辺で最も賑わっていた商業ビルの一つだった。そのアプリの定礎は銀座通り側の植込み近くの外壁に取り付けられていた。アプリの銀座通り側の入口横は、ニチイ時代には小さな池があった記憶がある。定礎の石板には昭和47年11月と刻まれている。来月で開業40年。定礎プレートの裏側には定礎箱が埋め込まれているのが一般的で、箱の中には設計図や竣工日の新聞が収められることが多いようだ。機会があれば小田原駅周辺の商業施設の定礎箱の中身も見てみたい。

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