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小田原の端々



上り方面の小田急線に乗って、小田原駅を出て程なく車窓の外に見えてくるのが小田原少年院のコンクリート塀と描かれている壁画。10年ほど前までは色鮮やかだった壁画も年々陽に焼けてかすれていっている。小田原市扇町の小田原少年院は1906年に横浜監獄小田原分監として市内新玉から現在の場所に移転。1952年から小田原少年院となった。正門奥に木造の古い庁舎があったが数年前に取り壊されてしまった。小田原少年院の敷地は約2万2千平方メートルで、その敷地を取り囲むように高さ5m近いコンクリート塀がめぐらされている。そのコンクリート塀の小田急線に面した一画に壁画が描かれている。コンクリート塀に描かれた壁画はだいぶ陽に焼けて色褪せてしまっている。この壁画が描かれたのは1996年。作者は市内在住の画家であった故・竹松泉氏がボランティアで描いたもの。竹松泉氏は画業のほかに、小田原百貨店のシンボルマークを手がけており、現在でも店舗の看板などで目にすることが出来る。竹松氏は壁画の制作から3年後の1998年に他界されている。小田原少年院の壁画はコンクリート塀の支柱で区切られたように描かれている場面が変わっている。小田原駅側は海の中の世界や海の生き物たち。支柱で区切られた隣のコンクリート塀には、陸上の動物や植物が描かれている。壁画の足柄駅側は星や神話にちなんだモチーフが描かれており、小田原駅側の海から陸上、そして空や宇宙、天上界へと一連のストーリーになっているように見える。小田原少年院のコンクリート塀は線路沿いの道路から民家の裏手へ続く。そこで壁画も途絶えている。一番端の壁画には球に乗った像とシャボン玉のようなものが描かれている。この場面は何を表現しているのか美術には疎いので理解出来ないが、画家の理想の世界を描いているのではと感じた。小田原少年院は平成27年か28年には市外へと移転予定。跡地は財務省が取得予定だが、具体的な跡地利用は未定とのこと。小田急線沿いのコンクリート塀のある風景も、あと数年後には無くなってしまうかもしれない。

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