肉体の生にこだわることはない。肉体の生が終了すれば次の段階の生が始まるのだから。引き戻そうとしなくてもいいのである。次へ次へとアセンション(向上)して行くから、この階段状のステップを昇って行けばいいのである。断絶はないのだ。さぶろうはさぶろうに言って聞かせる。生の形態は変容するのだが、いのちそのものは常に生き続けているのだ。さぶろうのいのちは宇宙の命だから、途中でストップしてしまうと言うことはありえないのである。完成へ完成へ、次なる完成へと繋がっているのだ。
白アネモネの花は殊勲賞功労賞ものである。花弁の先っちょは黄ばみ始めているがそれでも目を見開いている。見開いた瞳でさぶろうを励まし続けている。さぶろう応援団を続けている。散っていけない。さぶろうは、「ありがとう。もういいよ。君のお陰ですっかり元気になったよ」を言ってあげねばならない。アネモネといえども意識がある。彼は意識はこのところ専ら利他の修行をしている。さぶろうがこれを受けているので、この修行完成の証人になっている。朝の光が南東から射してきて、さぶろうの座している畳の上に、花弁の大きな影を作った。彼はこれを手の平に掬った。影はふくらんで手の平いっぱいになるほどの大きさであった。
おいち婆は新聞にはいる広告紙を折りたたんで、適当な大きさに切って、その裏紙を束ね、ノートにして使えるよう配慮してくれていた。これがさぶろうの予習復習の計算紙になった。丁寧に遣うよう念を押された。遣い終わった紙は、ひちりんの焚きつけに転用された。ものの命を無駄にしてはならないということを教えられた。
お椀の底に残ったご飯粒も拾って食べねばならなかった。持ち帰った弁当の蓋にご飯粒が付着していると、この一粒にどれだけのお百姓の汗が流れたかと言って説教を受けた。おいち婆はさぶろうの父の母、おばあちゃんである。このおいち婆が小さいときに実質上の母親の役をしてくれた。小学校にやって来て授業参観をするのもこのおいち婆であった。寝るのもいっしょだった。お婆の布団の中でまあるく抱かれて眠った。4才違いの弟がその分、母親を独占していられた。
父親が帰ってきて、その日悪いことをしたさぶろうを叱るとお婆さまが割って入って弁護をしてくれた。さぶろうはこのお婆の背中に隠れることを覚えた。お寺詣りにもさぶろうを連れて行った。さぶろうは御堂の周りの欄干を滑り台にして遊んだ。余所様の家の法事から帰ると、「つくら」から紙包みを取り出して、手招きしていの一番にさぶろうに中身の甘い物を食べさせてくれた。「つくら」とは和服の懐のことである。
88歳の時に自宅で息を引き取った。老耄をしていた。今で言う痴呆症だったのだろう。ご飯を食べても食べてないと言い張った。「わたしは一日なんにも食べさせてもらえない」が口癖になっていた。さぶろうは小学校の最年長になっていた。小学校から下校してくると、檀家の和尚が来て枕経を上げていた。さぶろうはそこへは行かずに湯を沸かしている竈のところへ行ってうずくまって泣いた。