お昼過ぎから夕暮れまでのほぼ3時間、草取りをして働きに働きました。さぶろうには是より外にすることが見付かりません。駐車場の南のひょろ長い花壇とそれに隣接するプランターの草取りを終えました。その間中、ジョウビタキがすぐ近くに居て、一人のさみしさを慰めてくれました。ほんの1m以内にも近づいて来ます。ぴっぴっぴっと鳴いています。恐がりません。さぶろうも恐がらせるようなことはしません。草を取った後のふかふかした地面に、たぶん虫が見付かるのでしょう。なんだか深い結びつきを感じます。草取りをした後の草が大きな山を作りました。これを運ぶのに、腰痛のさぶろうは苦労しました。ふふふ。お金儲けはできませんが、家の周囲の畑や庭や花壇の美化をするという仕事がさぶろうを待っていてくれます。血液型A型だから、いざ仕事をするとなるときちんと仕上げないと気が済みません。一帯がきれいになりました。さぶろうはこれですっかり満ち足りました。
畑の草取りをした。昨日は金柑の木の下あたりを。恐る恐る用心深く。なぜそうしねければならなかったのか。蕗の薹がいっぱい随所に芽吹いていたからだ。小さな草取り用具を使って根深い草を掘り上げると、地中を隈無く這っている蕗の根までも切ってしまう。これを用心した。草がなくなったので、蕗の薹がよく見えるようになった。来週始めには摘み上げて天麩羅にして食べることとしよう。噛むと春の匂いが滲みだしてくるはずだ。熱燗にして酒を飲む。これがたまらない。
お昼だ。12時を超えた。腹が減ったなあ。何を喰おう。一人で食べるのはいかにもつまらない。誰か、「さぶろうさんといっしょに食べましょう」と応じてくれる者はいないか。いないようだなあ。そりゃそうだよなあ、さぶろうは気難しい。口をへの字に曲げている。棘がある、角がでている。人を容易には寄せない。近づいたら撥ね除ける。そのくせ人一倍淋しがり屋だ。矛盾しているよ。この矛盾はそうそう打開できない。仕方がない。一人で喰うか。梅干しを瓶から出してきて、冷や飯にお茶をぶっかけて喰うか。自業自得だ。日頃から人様に(人並みでいいから)世間愛を注いでいればよかったものを。庭先に紅梅の蕾が見える。丼をここへ運んで来よう。
諸仏救世者 しょぶつくーせーしゃ 諸仏は世を救う者なり
住於大神通 じゅうおだいじんづう 大神通に住して
為悦衆生故 いえつしゅじょうこ 衆生を悦(よろこ)ばさんが為に
現無量神力 げんむりょうじんりき 無量の神力を現じたまひ
舌相至梵天 ぜっそうしぼんてん 舌相は梵天に至り
身放無数光 しんぽうむしゅうこう 身より無数の光を放ちたり
為求仏道者 いぐぶつどうしゃ 仏の道を求める者の為には
現此希有事 げんしっけうじ 此の希有の事を現じたまふなり
・・・
諸仏皆歓喜 しょぶつかいかんぎ 諸仏は皆歓喜して
現無量神力 げんむりょうじんりき 無量の神通力を現じたり
「妙法蓮華経 如来神力品第二十一」冒頭より
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さぶろうは単純だから、「諸仏皆が歓喜す」というこの一句でほろりときている。で、いつものように勝手気ままな解釈を施して、それこそ悦に入ってしまうのである。仏さま方皆が皆歓喜しておられるというその図を思い描いて嬉しくなるのである。それでどうなさったか。「無量の神力を現じたまふた」のである。神力の「神」は<勝れた>という形容詞だろう。何を示されても一向に信じようとはしない愚か者のさぶろうのために、数限りない摩訶不思議の力を現出させて見せられたのである。そんなことまでしてもらわずにすんでいたはずなのに、仏道を求めている者を悦(よろこ)ばさんが為に方便としてそうされたのである。どうなさったか。舌をべろりとお出しになって舌の先から光明を放たれたというのである。それが梵天にまで届いて辺り一帯が光を浴びて赫いたというのである。日頃から大神通を自在にしておられる仏陀であるから、それが衆生をよろこばせるためならそれも厭われなかったのである。こうやってこの如来神力品が始まっていく。天地宇宙は六種の振動を起こしてこれに応じていく。六種の振動とは、動・起・涌・震・吼・撃といった地鳴り地響きである。仏陀はみな、おっほんおっほんと咳払いをしたり、ぱちんぱちんと指を弾いて天地のこの大歓喜に応じられた。こうして世にも不思議な吉祥事、オープニングショーが始まったのである。
あれから幾万年が過ぎ去ったであろうか。さぶろうは今はこのショーを夢に描いてそのときの歓喜の様を味わおうとしている。仏陀がにこにこ顔をしてよろこばれている、それを思って、さぶろうも宇宙界最大最高のイベントに参加をしようというのである。
さぶろう、おまえ、仏陀の歓喜の量にくらべたら、よろこび方が小さいなあ。なあんだ、へなへなのちょぼちょぼじゃないか。あたりまえでございますよ。はい、比較にはなりません。
わたしがほしいもの必要としているものはすべて与えられている。奪い取らずにすむように与えられている。盗み取ってこなくてもいいように与えられている。わたしがこうして与えられているのだから、与えられたものでいのちを繋いでいるのだから、わたしもまた与えるようにこころがけていたい。しかし、わたしが与えられるものがあるだろうか。みすぼらしいなりをしたさぶろうである。さぶろうはよろこびを受け取ったという感謝のこころを返礼として放射する。放射は、しかし、与えることになるのか。与えたら相手がよろこぶものでなければならないはずである。空気を与えられている。水を与えられている。光を与えられている。こころをも与えられている。