長く長く生きていたなあ、もう十分だなあ、十分すぎているかもしれないなあ。と、ふとそんなことを思う。78年間、春夏秋冬、朝昼晩を過ごして来たんだから。
過ごしていけるだけの条件をいつも完全完璧に満たしてもらったので、過ごして行けた、ということになる。78年間の完全完璧の条件の、その量って凄いだろうなあ。
その10分の1も、100分の1も、1000分の1も、10000分の1も、10000の10000乗分の1も、自分ではどうにもならない種類のものなんだものなあ。
あきらかにそれは外から外からわたしに向かって射してくる愛情ベクトルなんだものなあ。全部が全部が外からだものなあ。そしてそれが憎しみのそれではなくて、愛情のそれだものなあ。
そうして下さるにはきっと相当にご苦労だったのだろうと推察する。計算はしたことがないけど、それを足し算するとしたら、それはそれは凄まじい量なんだろうなあ。
どうして引きも切らずにわたしにそれだけの愛情を注いで下さったのだろう? 考えてみるのだが、「どうして?」の答えが出ない。出ないままに78年間を過ごして来たんだから、これはあまりにも一方交通過ぎている。