<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしはこの句が好きだ。

2023年10月21日 18時51分31秒 | Weblog

ぜんまいののの字ばかりの寂光土     

川端茅舎(1987~1941)

もう一度川端茅舎の句を味わってみたい。彼は脊椎カリエスを病んで若くして亡くなっている。高浜虚子に師事した。ホトトギスの同人。

わたしはこの句が好きだ。春の明るい風景がよく見える。

寂光土は常寂光浄土。永遠絶対の安心の仏国土。その光輝く仏国土が、眼前の春の野に広がっている。薇(ぜんまい)が次々に生まれている。みな「の」の字をしている。手を胸にして祈りの姿勢を取っている。安んじている。そうだったのか、此処が即ち仏の世界だったのだ。

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安心して生きていける世界でありたい。

2023年10月21日 17時49分23秒 | Weblog

無畏施(むいせ)は無畏を施すことである。畏れ無きを施すことである。恐怖ではなく安心を、他者に振り向けることである。菩薩(仏道修行者)のなすべき実践項目である。観音菩薩は、施無畏(せむい)者と呼ばれている。

六波羅蜜の一つに布施波羅蜜がある。布施波羅蜜は、財施と法施と無畏施から成り立っている。布施は、奪わずに、他者に差し上げることである。波羅蜜はサンスクリット語のパーラミター。人々を、迷いのこちら岸から悟りの向こう岸に渡らせる修行実践のことである。財施は持っている財物を差し上げること。法施は仏陀の教え(=法)を受けたこころを差し上げること。

京都東山には空也上人の六波羅蜜寺がある。苦しむ人々を仏陀の安養浄土に渡すお寺である。いまいるこの世界がすべての人にとって安心して生きていける世界でありたい。

ひとたびも南無阿弥陀仏と言ふ人のはちすの上にのぼらぬはなし。六波羅蜜寺の空也上人の歌である。「はちす」は「蓮」。蓮の花の咲く極楽世界を指している。人々に安心を届けている歌である。ここが恐怖の世界ではなく安心の世界でありたい。

今日はそんなことを思った。

蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ      川端茅舎

深い闇を明るく照らして、人々に安心を与えているのが六波羅蜜寺である。蚯蚓だって螻蛄だって、駆け込むに違いない。

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蚯蚓は鳴かないけど。

2023年10月21日 12時59分01秒 | Weblog

蚯蚓(みみず)鳴く六波羅蜜寺しんのやみ     川端茅舎

秋の夜が来ている。深い闇に包まれて六波羅蜜寺が建っている。影のあたり、土の下から螻蛄(けら)がジージーと鳴く。闇がいよいよ深くなる。蚯蚓は鳴かない。蚯蚓でも鳴いて来そうに思われたのだろうか。

補陀落山六波羅蜜寺は醍醐天皇の大2皇子である空也上人によって951年に創建された。京都市東山区にある。西国17番札所の霊場である。

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わたしはわたしのやり方しか出来ない。

2023年10月21日 12時46分37秒 | Weblog

人は人のやり方でいい。わたしもわたしのやり方しか出来ない。羨まない方がいい。羨望が過ぎると腰砕けになってしまう。学ばないと言うことではないが、媚びないでもいい。自己卑下もしないでいい。比べるとどうしてもそこに差が出て、隙間風が吹く。比較に絶対はない。百人百様の、受け取り方次第で、動く。

称賛は、しかし、するべきだ。甘い讃美に酔う方がいい。それが人間らしい。向上心がそこから養われて行きそうに思える。吉川英治は「我以外皆我が師」を揮毫したようだ。それだけ謙虚だったのだろう。

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用があって町へ出た。

2023年10月21日 12時35分32秒 | Weblog

外に出てみるとやはり暑い。3枚上着していたのを、2枚にする。2枚にすると、寒い。でも2枚を通す。我慢は出来る。風がある。風が冷たく感じられる。

昨日畑に移植した高菜は、日射しに負けて、萎んで、元気がない。でも、いまは水遣りが出来ない。根元が熱を持ってしまう。日が落ちた夕方まで待つしかない。

用があって町へ出た。駅裏のコスモス畑が見える道路を走った。立ち止まらずに、横見に花を見た。畑は広い。畦道をたくさんの人が歩いていた。専用バスで来たのだろうか。ホームの人たちのようだった。

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そろそろ外へ出よう。

2023年10月21日 11時15分55秒 | Weblog

10月21日、土曜日、今日は。同級生の中には死んでしまった人もいるというのに、わたしはまだ生きている。

11時を過ぎたというのに、まだコタツの中を離れきれないでいる。寒い。寒くなった。S新聞読者文芸の投稿作品(川柳・俳句・短歌それぞれ3作品ずつ)を書いて、メール送信を終わった。

そろそろ、しかし、外へ出よう。外は秋日。空が澄んでいる。風が強そうだが、畑を打とう。

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