無畏施(むいせ)は無畏を施すことである。畏れ無きを施すことである。恐怖ではなく安心を、他者に振り向けることである。菩薩(仏道修行者)のなすべき実践項目である。観音菩薩は、施無畏(せむい)者と呼ばれている。
六波羅蜜の一つに布施波羅蜜がある。布施波羅蜜は、財施と法施と無畏施から成り立っている。布施は、奪わずに、他者に差し上げることである。波羅蜜はサンスクリット語のパーラミター。人々を、迷いのこちら岸から悟りの向こう岸に渡らせる修行実践のことである。財施は持っている財物を差し上げること。法施は仏陀の教え(=法)を受けたこころを差し上げること。
京都東山には空也上人の六波羅蜜寺がある。苦しむ人々を仏陀の安養浄土に渡すお寺である。いまいるこの世界がすべての人にとって安心して生きていける世界でありたい。
ひとたびも南無阿弥陀仏と言ふ人のはちすの上にのぼらぬはなし。六波羅蜜寺の空也上人の歌である。「はちす」は「蓮」。蓮の花の咲く極楽世界を指している。人々に安心を届けている歌である。ここが恐怖の世界ではなく安心の世界でありたい。
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今日はそんなことを思った。
蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ 川端茅舎
深い闇を明るく照らして、人々に安心を与えているのが六波羅蜜寺である。蚯蚓だって螻蛄だって、駆け込むに違いない。