団栗は、わたしを幼くする。
山の小道で拾って来ました。
午後から畑に出て芋掘り。休み休みしつつ、2列掘ったら、平籠いっぱいになった。そこでおしまい。重たい。これ以上は運べない。
掘った芋は、一週間ほど日当たりに干して乾燥させる。こうしておくと、甘みがうんと増すらしい。ほんとうかどうか。
例年と比べて、収穫量が少ない。少ないなと思う。夏場の長期の酷暑のせいかもしれない。
人間にも暑かったが、逃げ場がない植物たちはもっと暑かったはずだ。
いや待て、単にこのお爺さんの、芋に対する愛情が足りなかっただけかもしれない。暑い夏場は、草取りもサボってしまった。
さ、朝ご飯を食べよう。老人だから、ご飯はお茶碗に半分。それで足りる。
あとは、我が家の畑で採れた秋野菜の味噌汁一椀。鰹節がかかった大根葉の一夜漬け。秋の香りを楽しむ。
うつくしいおんなの人を置いておきたくなる。息をする置物として。
置物だから美術品芸術品。いっさい触れてはならない。
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ミロのビーナスはあまりにも遠いところにある。近いところに美しく生きているものの、人間の気配がほしい。
空気が澄んでいるので、明け方の西の空に、十三夜の月が明るく美しかった。しかし、それも遠い。遠すぎる。
裏山の八天山の山嶺の、巨岩の上に置いておきたい、その美しい置物を。
秋を眺めながら称賛していたい。群れ遊ぶ羊雲の傍らにいてひっそり息をする人間の置物に、この世を生きる間の称賛を浴びせていたい。
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そんな美しい置物など、わたしに、あるものか。ないものをねだるのだ。
芋の露連山影を正しうす
飯田蛇笏(1885~1962)
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高校一年の頃にこの句を習った。国語の大塚文彦先生は、この句を鑑賞して、わたしの胎内に移植し、その後長く忍ばせていて下さった。
俳句は椎茸菌になる。わたしの場合は何年待っても椎茸にまでならなかったのだけど。
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飯田蛇笏は高浜虚子に師事。ホトトギスの代表作家となった。俳誌「雲母」を主宰した。
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芋は里芋。大きな葉っぱに露が丸くなってたまる。早朝、朝日を受けてきらりと光る。光が揺らぐ。その揺らぐ光が、四周の秋の連山を映す。影がどっしりとなる。それが<正しうなる>ということか。
連山の影によって、我が身が正しくされたような落ち着きを持つ。
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☆ くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
☆ をりとりてはらりとおもきすすきかな
・・・などの名句がある。
団栗のわがてのひらで熱を持つ
有馬英子
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いい句があるなあ。
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団栗一つでこんないい句ができるのか。
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熱を持つまでに我が手の平にあったのは、何故?
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何故なんかなかったかもしれないが、何故まで歩いて行きたくなる。
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でもなかなか容易に推測に届かない。
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大の大人が、団栗を手の平にあたためていたのか?
(大人だってそうしていいのだが)
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拾ったまま手放せなくなったのか?
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自然のものをいとしむとそこに愛着心が生まれる。するとそれを独り占めにして、一人の内側で、保持していたくなる。
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熱を持ったその熱が、風景を俳句にしたんだろう。
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手の平にも熱情を持つこの俳人に近付けば、3m手前でもう火照りそうだ。
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有馬英子は1949年生まれ。石川県金沢市の人。脳性麻痺で生まれる。俳人。
☆ 火を抱いて獣を抱いて山眠る
☆ 人間に代わり向日葵前を向く
の句がある。
団栗の己が落ち葉に埋もれけり
渡辺水巴(1882~1946)
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此処は櫟林。櫟は広葉樹。秋になるとすばやく紅葉して落ちる。林の小径は落ち葉の小径になる。落ち葉が先に落ちて団栗を引き受ける。団栗は大きな落ち葉の下に潜って隠れてしまう。栗鼠が来てそれを見つけるまではそうしている。風が舞って落ち葉を吹き上げる。
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自然詠のこの句が好きになった。俳句は人を静かにさせる。
団栗の頭(づ)に落ちこころかろくなる
油布五線
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頭の落ちて来たところで、そう痛くはなかったであろうが、不意を突かれた。団栗は軽量。とん、と弾いて、そのまま足下に落ちていった。
するとそこでいきなり、憑きものが落ちたように、気持ちが晴れ晴れとなった。豁然開朗とした。吉兆とした。めったなことではこの珍事は廻ってこない。
団栗の機転は「爾、思い悩むこと勿れ」ということだったのか。軽くなった足で、山を越えた。
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作者のことは知らない。句に惹かれた。想像を巡らせてみた。
風邪の子や団栗胡桃抽斗に
中村汀女
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わたしは少女になったことがない。この少女は風邪を引いている。部屋がひんやりしている。秋が来ている。少し熱が退いたのか。起きて来て、着ているものを整えて、机のところへ行き、抽斗を開けた。団栗の実が数個、胡桃の実が数個ころころと転がった。少女の気持ちは分からないが、遊び仲間といっしょに山へは入り、拾って来たものであろう。それを大事にしまっていたのだろう。
団栗(どんぐり)も寡黙、胡桃(くるみ)も寡黙。その上、少女も寡黙である。
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作者中村汀女(1900~1988)は、熊本に生まれた。ホトトギス句会の高浜虚子に師事した。
友人を訪ねた。彼は畑にいた。畑の横は谷川。谷川の音がしていた。
畑との境には櫟林。落ち葉の小径を辿る。団栗を見つける。童に返る。
木の細い枝についたままのを数個、拾って来た。秋を拾い得たような嬉しさを、手の平が握りしめた。
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友人から、掘り上げたばかりの生姜を頂いて帰った。