<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

決心をしないといけません、わたしは。

2023年10月08日 18時16分13秒 | Weblog

決心をしないといけません。決心をします。悪口を言わないと決心をします。決心をしたその目で妻を見ます。よし、妻が生きている間は、悪口を差し控えようと思います。

決心はあっけなく崩れます。大雨が降って洪水が来るからです。またぞろ悪口を言いたくなります。でも、すんでのところで、止まります。やっぱり決心が大事だったんだと思います。

妻の方だって、あんがい、そうやって決心をしているのかもしれません。わたしは悪いことをたくさんしているから悪口を叩かれるべきなのですが、妻はそれを言わずにいます。

今夜は香魚の塩焼きです。食卓の向こうの、妻の美味しそうな顔を見ています。

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牛蒡を削ぐ。

2023年10月08日 18時08分53秒 | Weblog

牛蒡を削ぐ作業を愛します。ヘンな趣味です。左手に牛蒡を持ち、右手の包丁でそれを小さく削いで行きます。削ぐ度に牛蒡が馥郁と匂います。臭いを嗅ぎます。削がれた牛蒡の切片はボールの水の池を泳いで、やがて池の底に沈んでおとなしくなります。慣れたものです。牛蒡2本が10分で終わりになります。それで煩悩の火の勢いが小さくなります。このお爺さんはやっぱり変人かもしれません。

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冬瓜の収穫。

2023年10月08日 18時01分20秒 | Weblog

梅の古木に冬瓜がぶら下がっていました。日に日に大きくなりました。細い蔓がそれを支えています。もう見上げる満月くらいの大きさになりました。今日脚立を出して来て、それに攀じ登って、蔓を剪定鋏で切り落としました。左手がそれを受け取りましたが、姿勢を崩してしまいました。脚立が揺れました。危ないところでした。満月の冬瓜を胸に抱いて、勇者になって下りて来ました。冬瓜のモジャモジャ髭が両腕を刺しました。

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即興詩 「そうするよりほかに」

2023年10月08日 17時52分09秒 | Weblog

即興詩 「そうするよりほかに」

 

踏み外して踏み外してしまうわたしがいます/仏様の前に立っています/いつのまにか手を合わせています/仏様の前まで来ると/手が合ってしまうのです/そうするよりほかに/とるべき手段がなくなってしまうのです/そこを後にすると手段が見つかってしまいます/そしてまた踏み外して踏み外してしまうのです

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即興詩 「其処に立っていると」

2023年10月08日 17時48分00秒 | Weblog

即興詩 「其処に立っていると」

 

其処に立っていると/わたしは/微笑みかけられているわたしになります/わたしは元気を奮い起こします/仏陀の微笑みが/もっと深く/もっとやさしくなります

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即興詩 「月の明るい晩に」

2023年10月08日 17時35分55秒 | Weblog

即興詩 「月の明るい晩に」

仏様の前まで来ると/夜叉は/きっと泣き出してしまいます/泣き出すと/夜叉の顔が崩れて行ってしまいます/悲しみが溢れてしまうのです/寂しさが溢れてしまうのです/どうしようもない苦しみが泣き顔になってしまうのです/夜叉は/月の明るい晩に/そっとそっと阿弥陀堂を入って行きました

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即興詩「わたしのこころは暗い」

2023年10月08日 17時15分07秒 | Weblog

即興詩 「わたしのこころは暗い」

 

仏陀が/わたしの名を/呼んでいてくださっているので/わたしは/此処へ遣って来た/そして此の微笑みの仏像に出遭った/

そうであったのに/そこまで導かれておきながら/わたしは微笑みが返せなかった/わたしのこころの暗さが/それを吸い取ってしまったのだった/

わたしを微笑みで以て迎え取っている仏に遭うたびに/わたしの慚愧は深まって行った/仏陀は以前にも増して/なおさら/わたしの名を呼び続けた/

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美しい仏像と醜い仏像と。

2023年10月08日 16時33分26秒 | Weblog

硝子絵展を見に行って来た。仏像が描かれていた。理想的な菩薩様や如来様が美しく描かれていた。美しいと思った。見入った。それからいろいろと考えた。

仏像は仏陀の像である。仏陀がイメージされて形になっている。仏像を描く人が、仏様を美しくイメージしていると、仏様は美しい形を出現させる。

美しい仏様の形に見入る。そこが仏の世界の入口になっている。そこから仏の世界に我が身を入れて、進んで行く。仏様のこころに近づいて行く。硝子絵の作者の顔が仏様を彷彿させていた。安堵をもらった。

**

では、醜い仏様はおいでにならないか。おいでになるはずである。醜いこころに堕ちている人間がいるところには、そこへ下りて来た醜い仏様がおられるはずである。醜さを分け持っていて下さっているはずである。

静かに悟りを得ておられる仏様は美しい。美しさの到達点である。

でも、多くの人間は、其処までに至る途中途中で、煩悩が燃え上がって苦しんでいる。苦しんでいなければならない。そこを救済する仕事を自認しているのも仏様である。

苦しんで苦しんで醜く醜くなっている仏様がいて下さって、いっしょに歩みを共にしておられるはずである。

美しい仏像展の隣に、醜い醜い仏様の仏像展があるとすれば、しかし、やはり、来場者は美しい仏像展の方に吸い寄せられてしまうかもしれないが。

人は仏様になるという理想の到達点を見失ってはならないが、いつもその中途にいて地獄の火に焼かれているのだ。

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魅力を放つ時間は短い。

2023年10月08日 16時21分12秒 | Weblog

魅力があるのは、その魅力が活用されるためでもある。

活用されないで、魅力が潰(つい)えてしまうことだってある。

命短し恋せよ乙女。恋し恋される命の時間は短い。魅力が保たれていてはじめて恋が発現できる。それは男女平等だろう。

儚い。いのちの時間よりはもっと魅力の時間の方が少ない。

ただし、ただし、魅力は単一ではない。消えても、新しくなる。なることが可能だ。

一つの魅力が消滅しても、次の新しい魅力が顔を出して来る。それで補充ができる。出来る場合もある。

恋が出来なくなっても、新しい魅力がその分を補ってくれることだってある。ありそうな気がする。

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ざんざんばらんの髪型

2023年10月08日 16時07分47秒 | Weblog

今日は雨降り。土砂降りではないが、終日降っている。気温が下がっている。一雨ごとに下がっていくのではないかしらん。

4時を過ぎたら、幾分か雨量が少なくなって来た。もうしばらくで、上がってしまうかもしれない。風はない。止まっている。

雨がすっかり上がったら、畑に出て行けるかもしれない。九月の初めに蒔いておいた大根が、もう一夜漬けをしていいくらいに育っている。

だが、無惨やな、虫の被害にあって、病み上がりの老婆のように、ざんざんばらの髪型になってもいる。ところどころで、もう青い葉っぱがみえなくなっている。

こうなれば、また蒔き直しが必要となる。種はあたらしく買ってきてある。種が半分の量しか入っていなかったが、その分、値段も半分だった。

季節が深まって行く。気温が10℃を下回れば、さすがに虫は姿を消して行くだろう。そういう楽観視も出来るが、どうだか。

 

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