身勝手な推測ばかりしている。そして、あろうことか、それでいいとすら思っている。推測をして遊んでいるくらいが、ちょうどいいのだ、とも。
すべてが断定できることだったら、随分この世は堅苦しくぎすぎすしていることだろう。なんでも、遊びがなくてはならない。Aだ、B断定断定2両端のあいだに、ゆるい、長々しい、悠長極まる自由裁量空間があった方が、豊かだ。
われわれは何処から来て何処へ行くのか。何のためにここにいるのか。われわれは使命を持っているのか。何を以て充足をしていいのか。いのちは永遠であるのか。などなど、突きつけられる命題は数限りない。
そそてその命題に対するアンサーもまた数限りなく存在している。アンサーまで行き着けない場合は、推測で代用を図る。それもまた許されているのではないか。こうして常に身勝手にケリをつけて、そうしてケリをつけたフリをしている。