<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

勘違いしてたみたい。

2023年10月24日 13時42分20秒 | Weblog

勘違いしてたみたい。インゲン豆じゃなくて、エンドウ豆だった。甘い砂糖エンドウ豆の種を買って来ました。

後で、畑に種蒔きしまきをします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拘束を離れると自由の身になる。

2023年10月24日 08時47分05秒 | Weblog

照見五蘊皆空 度一切苦厄

仏説摩訶般若波羅蜜多心経より

(観自在菩薩は)「五蘊は皆 空なり」と照見して、(衆生の)一切の苦厄を度したまふ。

菩薩様のお仕事は衆生の苦しみを度すことである。苦しみを去らせて平安に導いて行くことである。 

ではどうすれば、衆生から苦しみを超脱させて行けるのか?

その決め手は、「五蘊皆空照見」にある。

辞書にはこうある。

五蘊は、梵語SKANDHA。集合体の謂い。われらが現象世界に存在する五種類の原理、すなわち色(しき)・受・想・行(ぎょう)・識の総称。

色=物質及び肉体。受=甘受作用。想=表象作用。行=意思と記憶。識=認識作用=意識。

一切の存在は五蘊から成り立っているので、無常であって無我である、としている。

そのように照見すれば、一切の苦しみは氷解する。実態がないのだから。氷と水と霧なんだから。

照見は自由である。拘束されていない。どのようにも判断が出来るのであるから、それを一方的に<苦しみ>としないでいれば、苦しみではなくなることになる。

それでも、われわれは拘束されているのである。我見によって拘束されている。

我見を離れればそこに仏の自由世界が見えて来る。全肯定の世界が見えて来る。

そのはずなんだが、お爺さんの苦厄はいっこうに減らない。不自由の身が、死ぬまで自由開放されることがない。

しかし、わたしのこの世はもうすぐ終わる。無常になる。無我になる。その道を選ばされることになる。一切の苦厄が度されて行く。その道が用意されているのだ。

経典を読み終わっておじいさんはニコニコ顔になっている。室内に延びて来る秋の日の日射しが明るく朗らかだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の季語の俳句を読む。

2023年10月24日 08時35分01秒 | Weblog

案山子翁あちみこちみの芋嵐

阿波野青畝

季語は? 案山子? 芋嵐? 芋嵐は、芋の葉を吹き払うほどの強い秋の風。

お爺さんを象った案山子が、吹く嵐のよってあっちへこっちへ靡かされている。それが余所見好きの、きょろきょろ少年青年に見えている。風景が映画のように動いている。

でも、芋畑に案山子? なんのために? 猪避けの案山子は聞いたことがない。

分かった! 案山子お爺さんは、何かの役に立とうとしているんじゃないんだ。一人が好きなだけなんだ。それじゃいけない? いけない、なんてことはあるまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あると思うことは出来ます。

2023年10月24日 08時26分33秒 | Weblog

8時半現在、気温は14℃。今日の最高気温は24℃まで上がるらしい。風はない。

シアワセ色の日射しが畑までずっと延びて来ています。それを見ていて、シアワセになっています。日射しがこころを持ってそうしている、ように見えています。

日射しにこころなんてないのかもしれませんが、有ると思うことはできます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメントを有り難うございました。

2023年10月24日 08時14分44秒 | Weblog

T・Sさん、コメントを有り難うございました。わたしの拙いブログを、拙しとせずに、開いて読んで下さってお礼を申し上げます。嬉しいです。わたしの元気が明日へと繋がります。

家庭菜園の小松菜が見事に成長をしています。健康な緑が豊かです。食べたら健康を倍にしてもらえそうです。

T・Sさんは、お近くにお住まいですか? 遠いところですか? 近くであればお分けしたいほどです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミヤコワスレの株分けの時季

2023年10月24日 07時13分33秒 | Weblog

もうまもなく11月。そろそろ裏の影花壇の、ミヤコワスレの株分けをしなければならない。50cmx6mほどの細長い花壇である。

ところが、ここにはドクダミが侵入してきて、深く深く根を地中に這わせているから、これをスコップを使って根こそぎ除去しておかねばならない。

まずミヤコワスレを全部掘り上げる。

掘り上げた後の土を、新しくしなければならない。培養土を何袋も買ってきて運び込む。土を入れ替える。

骨が折れる。時間が掛かる。1日投入しても終わりきれない。椅子に座って、こつこつこつこつ根気強く作業する。助けは入らない。

でも、しなくちゃならない。このお爺さんはミヤコワスレのマニア。花の清々しさにぞっこん惚れ込んでいる。

ミヤコワスレは分蘖が進んで10株くらいに増殖している。これを1株ずつにする。できるだけ健康な株からまたそこに移植を図る。

そうでないのは、ポットに植え替えて入院させる。ぽっとの数が凄くなる。元気回復すれば、欲しい方にはお分けする。

毎日水遣りが欠かせない。お爺さんは忙しいお爺さんに早変わりする。ご苦労なことである。

10

ミヤコワスレは春になると咲く。清楚で美しい。春にならない前に咲くのもある。待ち遠しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳垢が痒い。

2023年10月24日 07時00分12秒 | Weblog

耳垢が痒い。耳垢取りで解消を図るが、すぐにまた痒くなる。

耳垢取りは暇有りお爺さんの、手慰め。ほかにすることはないのか!

一日に何度も、耳垢がお爺さんと遊んでいる。

ま、くだらないけど、よしとするか。

そうだよ、死なずに生きているからこそできることだよ、それは。

だったら、死なずに生きている耳垢にも、そこそこの感謝しなくちゃ!

午前7時を過ぎました。健康な朝日が、ベランダの洗濯棚のステンレス支柱をきらりっと輝かせています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐い恐い夢に魘(うな)されていた。

2023年10月24日 06時49分27秒 | Weblog

夜中恐い夢を見ていた。ギャング映画のように、ギャングに取り巻かれていた。逃げ場をなくして、助けを求めて叫んでいた。「おおーい」「おおおーい」の悲鳴を繰り返していた。

家族が階段を下りて来て、助けてくれた。殺される寸前だった。「夢に魘されていたのね、もう大丈夫よ」と家族はにっこり嗤った。しまった、まずいところを見せてしまったと思った。

78歳のお爺さんは幼い。幼いこどものように怯えている。穏やかなお爺さんしていていいはずなのに、弱点をいろいろ掻き集めて保持している。それにきりきり舞いをさせられている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インゲン豆を種蒔きしようよ。

2023年10月24日 06時39分09秒 | Weblog

インゲン豆の種を買ってこようっと。もう蒔き時が来ているようだ。

インゲン豆の語源は隠元豆。らしい。隠元禅師の名に因んである。

種類が幾つかある。平莢インゲン豆もおいしい。アメリカ菜豆は別種類だろうか。

これから冬を迎える。この時期にインゲン豆を種蒔きしておくと、春には食べられそうだ。

インゲン豆がわたしを喜ばせに掛かる。インゲン豆がこころを持つ。こころがわたしに向かって来る。

それを蒔くのも、それが発芽するのも、すくすく育ちのも、実を収穫するのも、食べるのも、わたしの喜びになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人が喜ぶことをする。

2023年10月24日 05時56分17秒 | Weblog

人が喜ぶことをする。喜ばないことはできるだけしない。しないように努める。

人が喜ぶことをする。人が喜ぶとそれはそこで終わらないで、喜びの波がひたひたとわたしに及んで来る。

人が喜ぶことをする。そうするとそれが必然的にわたしを喜ばせることになっている。

人が喜ぶことをする。わざとらしくではないように、極めて自然に、する。それをお仕着せない。

人が喜ぶことをする。でも、そういうつもりでいても、果たしてそれがそうなのかどうかは、分からないこともある。

人が喜ぶことをする。したいと思う。でも、そのテクニックがあるのかもしれない。技術習得が欠かせないかもしれない。

人が喜ぶことをする。喜んでいるかどうかを常に見極めておく必要もある。それを嫌がられていることもある。

人が喜ぶことをする。嫌がられることはしない。それはそうなんだが、実は難しい。人の喜びにわたしの喜びが同調していなければならない。

人が喜ぶことをする。そのためには? わたしの精神状態がそれに先だっていなければならない。明るい顔をしていることが条件になる。

10

人が喜ぶことをする。それを願っている。願っているだけでもいいのかもしれない。

11

人が喜ぶことをする。実践をする。実行をする。相手が其処にいないときに、それをすませておく。

12

人が喜ぶことをする。人を悲しくさせることはしない。人を蔑まない。嫌がらせをしない。罵倒しない。暴力しない。戦争を仕掛けない。

13

人が喜ぶことをする。そうするべきであるのに、わたしは10中9くらい、そうしていないかもしれない。そんな気がする。まずいなあと思う。

14

人が喜ぶことをする。人を平安にする。人を穏やかにする。人を幸福にする。生きていてよかったと実感させる。

15

仏陀が、このわたしに対して、わたしを喜ばせる実践実行をしていて下さっているようにも思う。

16

いつも変わらずに、徹底して、しかも償いを求めずに、人を喜ばせるのは、仏陀にしか出来ないことなのかもしれない。

17

否、仏陀ではなくて人が、仏陀に成りかわって人が、わたしの喜びを願っているに違いない。そうも思える。

18

それをわたしが感知して、素直な気持ちになって受領していれば、わたしはもっともっと今日を喜んでいていいようにも思える。

19

今日は10月24日、火曜日である。6時半、夜が明けた。すっかり明けてはいないが、いい空をしている。

20

空が喜ぶことをする。空だってこころがあるはずだ。空を称賛する。爽やかな美しい秋の空を称賛する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする