<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「好きだよ」のこころが開かれていれば

2014年07月29日 08時55分41秒 | Weblog
おはようございます。

5時過ぎにうっすら夜が明けます。するともうニイニイゼミが鳴き出します。鳴きだしたら止まりません。ずっとずっと鳴き通しています。

生きている間の全部を注ぎ込んでラブソングを歌っている夏の蝉。聞いている恋人たちもさぞや嬉しかろ。

ラブソングが歌えない三郎とは大違いだ。愛を歌えない三郎に、従って、どんな魅力も付かない。

こちらの耳にはどの声もミーンミーンミーンと同じようにしか聞こえてこないけれども、それだけでは女性のハートは射止め切れまい。

いや、射止めているかもしれない。「好きだよ」「好きだよ」の繰り返しだけで、その熱意が相手にちゃんと通じているかも知れない。

だったら、三郎にも可能性が少しは出てきそうだ。

「嫌いだよ」「嫌いだよ」の否定語に囲まれているよりもやはり「きみが好きだよ」の愛情表現に一日中浸っていれば、頑ななこころでもじわりじわり開いてくるだろう。

「きみが好きだよ」の「きみ」がいなくったっていいではないか。「きみ」のところにさまざまなものを代入できそうだ。

「森が好きだよ」「空が好きだよ」「星が好きだよ」「夏が好きだよ」・・・なんだっていい。「好きだよ」のこころが開かれていればそれで十分のような気もする。

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もうそこにはいられない

2014年07月28日 15時37分49秒 | Weblog
嫌~~~~な夢を見ました。へとへとになりました。

仕事の上でのへまをやらかして、わたしは追放を受けています。新しい人がわたしのあとへやって来て、わたしができなかった仕事を実に上手にやりこなしています。かっての同僚達が次々に周りにやって来ますが、わたしを引き留める人はいません。わたしはもうそこにはいられません。どうしてだかわかりませんが、わたしはエレベーターに乗って我が家の近くに降り立ちます。エレベーターのドアが閉まります。エレベーターはどんどん上昇をしていってついに見えなくなります。これでもうわたしはわたしの仕事の場へは戻っていけなくなりました。わたしはとぼとぼと我が家へ向かって歩き出しました。

夢から覚めてしばらくの間、わたしは茫然としていました。へとへとになりました。夢でよかったものの、夢の中でまでわたしは重たい疎外感を感じているようです。

わたしが胸を張るような自信を回復するには、これからどうしていけばいいのでしょう。どうやって立て直しを図っていけばいいのでしょう。夢の後でわたしは溜息をつきました。
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ここは密会をするにふさわしい場所

2014年07月28日 15時03分58秒 | Weblog
樹齢千年の大楠の木陰には羽黒トンボが群れをなしています。羽を休めています。近くを潺潺と小川が流れています。いまは田圃に水をいれる時季です。水量が豊富です。大樹の木陰は、夏の暑い日中でもひんやりしています。滅多に人が足を踏み入れませんから、時間がとまったようにして、ひっそりしています。ときおり木漏れ日が風に吹かれて遊びます。ここはトンボたちの楽園です。人間のわたしはここを共有していいかどうかしばらく迷います。ちょいとご挨拶をします。深いおいしい呼吸をして、それから楽園をあとにします。ここは森の生き物たちが密会をするにふさわしい秘密の場所です。
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お墓の掃除に行きました

2014年07月28日 14時20分09秒 | Weblog
5時起床。お盆が近づいて来ているので、お墓の掃除に行きました。腰に蚊取り線香移動式をぶら下げて。周囲が藪になっているため、葛の蔓がお墓まで伸びてきて石垣の基礎部分に巻き付いていました。笹も繁茂していました。ノコギリ釜でこれを刈り取りました。夏草は手鍬で根を掘り起こしながら排除しました。

6時から始めて7時半までかかりました。今朝は気温が低かったので、それほどに汗を掻かずに済みました。

我が家の先祖さまのお墓はお寺の境内にはありません。村里の集落の中に位置しています。集落の戸数分(100戸ほど?)がここにあります。どこのお墓もみな立派な墓石で築かれています。

わたしの骨片も早晩ここのお墓の住人になることに決まっています。秋川さんが歌う「千の風になって」では「♪・・・わたしのお墓の前で泣かないでください。わたしはここにいません・・・眠ってなんかいません・・・死んでなんかいません・・・千の風になってあの大きな空を吹き渡っています・・・♪」とあります。この説に大賛成です。

死んだ後をずっとずっと、このじめじめしたお墓の墓石に閉じ込められていたくはありません。焼かれたあとの骨片はここに埋められていても、わたしの本質(魂?)が死ぬことはないとわたしは考えています。

わたしの本質は宇宙の本質と同体なので、わたしたちのこの両者の本質は死んだりなんかしないのです。物質的にも精神的にもそうです。

お葬式の時に語られる弔辞の最後は「・・・どうぞ安らかにお眠りください」となることが多いのですが、睡眠剤を飲んだようにして永久に眠っていたくはありません。「安らかに」なっていることには賛成しますが。
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決して開かない蕾のよう

2014年07月27日 17時14分12秒 | Weblog
あの方を誘惑してはならない。

戒めはしっかり守っております。



ひと月、ふた月、み月。やがて四(よ)月。

朝顔が咲く季節になってしまった。

「誘惑してはならない」の戒めは、朝ごとの朝顔の蕾のよう。

蕾をつけるだけで、決して開かない朝顔のよう。



誘ってはならない、惑わしてはならない。

強欲が抑圧に抗っているので、夜中の雨音にも驚く。

雨音を聞く闇夜の天空に、美しくやさしいあの方がちろちろ輝き出す。



思慕を伝えてはならない。

封鎖しておかねばならない。鍵を掛けて扉の奥に匿っておかねばならない。

逢いに出掛けてもならない。遠くから見てもならない。



わたしはろくでなし。ろくでなし。

あの方の前に出て行けるような上等さをいっさい持ち合わせない。





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酒の肴 サツマイモの蔓の皮剥きをする

2014年07月27日 09時24分41秒 | Weblog
昨日、近隣からサツマイモの蔓をどっさり頂いた。4時過ぎから6時まで2時間をかけて、蔓の皮剥き筋取り作業をした。忍耐力を要請される作業だ。蔓にはアクがあるので、剥いている指先と爪がアクに染まって薄茶色に変色した。夕食にこれを炒め物にしてもらって食べた。唐辛子もちょうど赤く熟れ出してきていたので、炒め物に加えてもらった。もちろんこれが夕食の酒の肴になったのは言うまでもない。苦労の甲斐があったというものである。三郎は大雑把でいい加減な性格をしているくせに、こういう時間がかかる作業を丹念にこなすのが好きである。
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土曜は公民館図書館の開館日

2014年07月26日 10時26分53秒 | Weblog
朝10時、公民館から放送が流れて来る。今日は公民館図書館が開館する。公民館館長さんが図書館のお世話をされる。館長さんのご家族の方や、近在の老人会のメンバーがこれに協力をされる。ここで貸し出しをしてくださる。本は主に県立図書館から運ばれてきている。村の子ども達が一人で5冊も6冊も借りる。ご婦人連、壮年会、老人会メンバーたちが集まって来て、本棚を物色して借りて行く。お喋りの花も咲く。
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不邪淫戒の邪淫をそそる匂い

2014年07月26日 10時07分04秒 | Weblog
葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり   釈超空



高校時代に国語の教科書でこれをお習いした。すぐに葛の花が匂った。嫋(たよ)やかな花は白粉の匂いを放っている。葛は蔓草。勢いが盛んで夏の野原の灌木を覆い尽くす。花の色は紫紺。高木(こうぼく)の日陰に行くと伸び上がってきた蔓の先端がぶらりぶらりしている。

もう7月の末になっているが、まだ葛の花には目にしない。8月。山道を登る人はこのあやしい匂いに悩殺されて花を摘んでしまふ。その後へ後へ人が登って来る。汗を掻き掻き登って来る。

匂いは官能的である。官能をくすぐるのだ。そして不邪淫戒の邪淫を高まらせ、ついには麻痺させてしまふ。山中の葛の花とて例外ではない。男は美しい女をそこに彷彿とさせる。
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そこでたちまち横死してしまふ

2014年07月26日 09時54分45秒 | Weblog
やさしさというものに包まれていたい。やさしさは蚕(かいこ)の繭(まゆ)。幼いままの僕はこれに包まれていると安心してうとうととなってしまふ。

やさしさというのは、主に女の人の持ち物であるから、やさしさに包まれるということは女の人を蚕の繭にしているということである、僕にとって。

白い繭が、女の人の白い肌になる。白粉が匂ってくる。白粉が僕に擦りつけられると、大人げない僕はそこでたちまち横死してしまふ。
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日傘をさした女の人は風のよう

2014年07月26日 09時33分41秒 | Weblog
女の人に白粉(おしろい)が匂うと、まだほんの小さい頃だったのに、どぎまぎしたりそわそわしたりした。香水ではなかったように思う。天花粉(てんかふん)というのがその頃あったので、それだったのかもしれない。これは汗疹(あせも)湿疹の薬だった。ぱたぱたぱたと脱脂綿をはたいた。

母は白粉には無縁の人だった。山肌を切り開いた開墾地の畑に出掛けて行ってそこで汗を掻いて一日中を過ごしていたので、顔色も浅黒く、白粉を塗ったところで効き目がなかったのかも知れない。父はそれが不満だったようだった。白粉くらいつけておけ、などと声を掛けていた。父は検察庁に勤務していたので、通勤中に白粉の匂いを嗅ぐこともあったのかもしれない。

白粉の匂い(いまでもそんなものがあるのだろうか?)はやさしい女性の匂いである。白粉の匂いを嗅ぐと僕は麻酔にかかったようになってしまう。(香水ではならない)これは今でもそうだ。麻酔にかかって僕は意識朦朧となる。日傘をさした女の人がそこを通り過ぎて行く。風のように。
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