和菓子の銅鑼(どら)焼きには粒餡が納まっている。粒餡には白餡と赤餡とがある。銅鑼の形をした皮を2枚が餡を包んでいる。この銅鑼の形の皮の原料は小麦粉と卵と砂糖である。これをほんのり狐色に焼いてある。甘い。三郎は白餡を好んで食べる。血糖値の高い者は避けた方がいいのに、隠れたようにして食べる。握っていた指に砂糖が残る。バターを使う洋菓子の方が栄養度が高そうだ。
銅鑼は金属製の打楽器である。お盆の形をしていて円い。紐でこれを吊り下げておいて桴(ばち)で叩いて鳴らす。仏教の法要などにもこれが打ち鳴らされる。けたたましい金属音がするので、お経を聞きながら居眠りしている者は目が覚めてしまう。船が出るぞうというときの合図にも使われる。民俗芸能や村祭りなどにもこの円盤のような銅鑼が鳴る。
三郎の今日のおやつはこの白餡銅鑼焼きだった。その上コーヒーを添えてもらった。で、公然と、つまり隠れないで、これを楽しめた。残り4分の1は、さすがに、控えておいた。いやいや、こういう豪勢なおやつなどは滅多にないことである。これには訳があって、今朝の空腹時に、約1か月ぶりに血糖値を測定したのである。その測定値が100mg以内に収まっていたので、お許しが出たというわけである。
糖尿病の治療には食事療法のほかに運動療法がある。運動をして血糖値を下げるのである。16時になったら三郎は外に出る。そこから2時間ほど畑の草取りに従事することになる。それからサイクリングをする。大川を渡って次のにある白角折(おしとり)神社へ行く。祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)だ。熊襲征伐にここを通られたと案内板に書いてある。深閑としている。
神社はこんもりと木々が茂っている。樹齢1000年の大楠もあってこれには注連縄が張ってある。三郎は仏教徒を自称しながら、神社にお詣りして払い給えへ、清めたまへをやる。柏手(かしわで)を打つ。これで自浄其意(じじょうごい)をしたつもりになって清涼を味わう。そしてさらに幸(さきわ)いたまへを告(の)る。国幸いたまへ、民幸いたまへ、神々幸いたまへ、宇宙のおいのちさま幸いためへと続ける。これが三郎の祈りの時間だ。
「幸う」は先々に渡ってゆたかに栄えることである。そらみつやまとの国は言霊(ことだま)のさきわふ国。平和な祈りの豊かな国である。平和でなければ午後のおやつの時間が設けられることなどはあるまい。念のために申し添えておくが、明日も白餡の銅鑼焼きが食べられますように、という祈りは、2礼2拍手の「幸う」条項には含まれてはいない。