三郎はクレヨン水彩画を描くのが好きだ。下手で幼稚な絵だ。三郎の幼稚さは小学生なみということがこれでわかる。
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クレヨン水彩画というのは、クレヨン画の一種だが、筆を使って水を塗るとクレヨンは解けて、水彩になる。塗り重ねて独特の色合いを出すこともできる。
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植物を写すこともある。花を登壇させることもある。少女を絵の中に連れてくることもある。でも、夢中にさせるのは仏陀の絵だ。仏陀の絵を描いているときは仏陀と向かい合っていられる。
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ところが、仏陀を描こうとして、いざ出来上がってみるとまるで違うということがある。色っぽい人間になってしまっている。欲深な眼をしていて、これではとても仏陀とは言えない。そういう作品を前にして、へたへたと座り込んでしまうことがざらだ。
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欲深な人間の眼をしていないときには、あまりにも漫画チックで幼稚で、これも威厳が備わっていない。だからなかなか気に入らない。
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仏陀は超越者だから、なかなか三郎ほどの人間にはつかまらない。それでも描く。性懲りもなく描く。(と言いながらこの頃はもうすっかりお手上げになっている。無能を恥じて引っ込んでいる)
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それで、仏陀そのひとではなく、三郎を描くことにしている。死出の旅をしている三郎だ。シャボン玉の表面の膜に覆われるようにして三郎のスピリット(霊体)が宇宙遊泳している。シャボン玉は宇宙の風に吹かれゆらめいている。遙かな下界には緑なす山脈が連なり青い美しい海が光っている。
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一人では寂しいからと言うので、三郎のいとしい人、絵美さんを同乗させていることもある、もう人間を離れたという印に、三郎にも絵美さんにも額に第三の眼が描かれている。第三の眼は緑色をしている。
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三郎は、死をもって終わりとしていない。連続していると考えている。空間的にも時間的にも連続しているはずだと思っている。もっと明るいところへもっと明るいところへと進んでいる。進歩は止まない。決して止まない。進歩しようとする者には停滞がない。三郎は次の星を目指す。
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シャボン玉が輸送機だという点は、心細い。これでは数万光年先にある憧れの国土へいつになったら到達できるのか。ゆらりゆらりゆらりゆらり。これを楽しんでいるとしか言えない。しようがない。そこもまた三郎の幼さのあらわれだろう。
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クレヨン水彩画というのは、クレヨン画の一種だが、筆を使って水を塗るとクレヨンは解けて、水彩になる。塗り重ねて独特の色合いを出すこともできる。
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植物を写すこともある。花を登壇させることもある。少女を絵の中に連れてくることもある。でも、夢中にさせるのは仏陀の絵だ。仏陀の絵を描いているときは仏陀と向かい合っていられる。
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ところが、仏陀を描こうとして、いざ出来上がってみるとまるで違うということがある。色っぽい人間になってしまっている。欲深な眼をしていて、これではとても仏陀とは言えない。そういう作品を前にして、へたへたと座り込んでしまうことがざらだ。
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欲深な人間の眼をしていないときには、あまりにも漫画チックで幼稚で、これも威厳が備わっていない。だからなかなか気に入らない。
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仏陀は超越者だから、なかなか三郎ほどの人間にはつかまらない。それでも描く。性懲りもなく描く。(と言いながらこの頃はもうすっかりお手上げになっている。無能を恥じて引っ込んでいる)
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それで、仏陀そのひとではなく、三郎を描くことにしている。死出の旅をしている三郎だ。シャボン玉の表面の膜に覆われるようにして三郎のスピリット(霊体)が宇宙遊泳している。シャボン玉は宇宙の風に吹かれゆらめいている。遙かな下界には緑なす山脈が連なり青い美しい海が光っている。
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一人では寂しいからと言うので、三郎のいとしい人、絵美さんを同乗させていることもある、もう人間を離れたという印に、三郎にも絵美さんにも額に第三の眼が描かれている。第三の眼は緑色をしている。
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三郎は、死をもって終わりとしていない。連続していると考えている。空間的にも時間的にも連続しているはずだと思っている。もっと明るいところへもっと明るいところへと進んでいる。進歩は止まない。決して止まない。進歩しようとする者には停滞がない。三郎は次の星を目指す。
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シャボン玉が輸送機だという点は、心細い。これでは数万光年先にある憧れの国土へいつになったら到達できるのか。ゆらりゆらりゆらりゆらり。これを楽しんでいるとしか言えない。しようがない。そこもまた三郎の幼さのあらわれだろう。