庭先の金柑の花の花数が日増しに増えていく。10mくらい先に金柑の大木がある。高さは目算で4~5mというところか。花は堅めで米粒あるいは豆粒大。それが重なり合っている。純白。枝先の緑の葉に隠れたようにして覗いて咲いて、日を受けてきらきら光っている。風が吹いてくると柑橘類独特の甘酸っぱい匂いが流れ込んでくる。
三郎は座椅子に座ったままの姿勢で暫くうとうととしていた。何時だ。柱に掛けてある時計では2時だ。じっとしているのに、身体が汗ばんでいた。
「あんたの声はいい声だね」女の人が近づいて来てそう言った。
「あんたが好きだと言ってるんじゃないよ。間違わないでほしいが、あたしはあんたの声にはうっとりしたよ」
三郎はどう返事をしていいか分からず黙っていた。女は鼻筋が通っていて色が白い。40に届くか届かないかくらいだ。割烹着を羽織っているから、ここはどこぞの料亭で、この部屋はその離れなのかもしれない。三郎は四国の足摺岬まで行こうとしていた。たしかにそうだった。そうすると三郎は途中で何かがあってここに立ち寄ったということになる。少しずつ思い出してはきたのだが、はっきりとしなかった。
女は三郎にあんたと呼び、自分のことはあたしと言った。時代がちょっとばかし古いのかもしれない。髪を高く結っている。そこに櫛が刺さっていた。
「あたしはあんたとこうして暮らすようになって、それでね、元気が戻って来て嬉しいのさ」女が箒の手を休めてそう言った。縁先だろう、風鈴が鳴った。箒で畳を掃いているようだから、やっぱり現代ではなさそうだ。部屋は片付けがきちんとしていて小綺麗だった。
三郎は、自分は一度死んだのかもしれないと思った。死ぬのは一度きりなんだろうが、三郎は生きている。生きているからには死んだことにはならない。日本霊異記にあるように、しばらく死んでいてその後で生き返ったのかもしれない。黄泉の国に来ているとも考えられなくもないが、明るい窓の光と明るい女の表情からすると、それには該当すまい。
「あたしはここの女将にあんたのことを頼まれたんだから、ここで世話をしてやっているんだが、世話するのはちっとも辛くはない。辛くはないさ。だから毎日ここへやって来ている」
女は近くに来て座った。座った女のふくよかな尻を白い足袋が律儀に支えていた。きちんと和服を着こなしていれば暑くないのかと三郎は思った。じりじり夏蝉が鳴いている。窓は透明ガラスで庭先が見通せた。金柑の木の東の小径には等間隔に置き石が連なって、そこへ百日紅が影を落としていた。影はゆらりゆらりした。女が三郎の肩に手を置いた。白粉が匂った。
三郎は座椅子に座ったままの姿勢で暫くうとうととしていた。何時だ。柱に掛けてある時計では2時だ。じっとしているのに、身体が汗ばんでいた。
「あんたの声はいい声だね」女の人が近づいて来てそう言った。
「あんたが好きだと言ってるんじゃないよ。間違わないでほしいが、あたしはあんたの声にはうっとりしたよ」
三郎はどう返事をしていいか分からず黙っていた。女は鼻筋が通っていて色が白い。40に届くか届かないかくらいだ。割烹着を羽織っているから、ここはどこぞの料亭で、この部屋はその離れなのかもしれない。三郎は四国の足摺岬まで行こうとしていた。たしかにそうだった。そうすると三郎は途中で何かがあってここに立ち寄ったということになる。少しずつ思い出してはきたのだが、はっきりとしなかった。
女は三郎にあんたと呼び、自分のことはあたしと言った。時代がちょっとばかし古いのかもしれない。髪を高く結っている。そこに櫛が刺さっていた。
「あたしはあんたとこうして暮らすようになって、それでね、元気が戻って来て嬉しいのさ」女が箒の手を休めてそう言った。縁先だろう、風鈴が鳴った。箒で畳を掃いているようだから、やっぱり現代ではなさそうだ。部屋は片付けがきちんとしていて小綺麗だった。
三郎は、自分は一度死んだのかもしれないと思った。死ぬのは一度きりなんだろうが、三郎は生きている。生きているからには死んだことにはならない。日本霊異記にあるように、しばらく死んでいてその後で生き返ったのかもしれない。黄泉の国に来ているとも考えられなくもないが、明るい窓の光と明るい女の表情からすると、それには該当すまい。
「あたしはここの女将にあんたのことを頼まれたんだから、ここで世話をしてやっているんだが、世話するのはちっとも辛くはない。辛くはないさ。だから毎日ここへやって来ている」
女は近くに来て座った。座った女のふくよかな尻を白い足袋が律儀に支えていた。きちんと和服を着こなしていれば暑くないのかと三郎は思った。じりじり夏蝉が鳴いている。窓は透明ガラスで庭先が見通せた。金柑の木の東の小径には等間隔に置き石が連なって、そこへ百日紅が影を落としていた。影はゆらりゆらりした。女が三郎の肩に手を置いた。白粉が匂った。