東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

さよなら国鉄遺産の113系

2011-09-01 23:15:31 | 日記・エッセイ・コラム

 旧国鉄時代から半世紀近く走ってきたJR東日本の「113系」の定期運転の最終列車(8両編成)が1日運行され、終着駅の総武線千葉駅(千葉市)ホームには鉄道ファンが詰めかけ、別れを惜しんだ。

 最終列車は成東駅(千葉県山武市)を同日午前11時12分に出発し、定刻通り同11時59分、千葉駅に到着。埼玉県朝霞市、アルバイト秋山春樹さん(34)は「乗り心地は最新車両にかなわないかもしれないが、内装、外装ともに旅の風情を楽しむには最適。さみしい」と名残惜しそうに、写真を撮っていた。

 113系は1963年に登場。紺とクリーム色を組み合わせた塗装の車両は、総武線快速・横須賀線でも99年まで千葉(千葉市)―久里浜(神奈川県横須賀市)駅間で運行され、「ヨコスカ色」を縮めた「スカ色」の愛称で親しまれた。JR東管内では近年、千葉県内の総武線や内房線など4路線でのみ運行されていた。9月中には引退記念の特別列車が運行される。

(2011年9月1日19時33分 読売新聞)

200910230003  ついこの間まで、房総半島の主力電車でした。
 首都圏のJR線が次々と新しい車両に入れ替わっているのに、房総半島だけなんだか取り残されているような感じがしたので、別名「ボロ房線」と名付けてしまいました。

 房総仕様の真新しいE233系(海をイメージする青と菜の花の黄色帯)を導入してくれない限り、京浜東北線からのお下がりの209系が主役になっても、引き続き「ボロ房線」って呼ばせていただきます。
 
 首都圏でいまだに国鉄車両に乗れるのは、久留里線のキハ30(ディーセルカー)、国鉄時代末期に登場した山手線205系が京葉線と武蔵野線に転属し、現役で活躍中。
 あとはほとんどJRになってから製造された車両ばかりです。

 国鉄車両を大切に使われているのは、JR西日本。わが故郷の山口県の山陰本線だって、幼い頃何回も乗ったキハ40やキハ47が当時の国鉄色に戻し、バリバリ現役で活躍中。
 「国鉄は遠くになりけり」と言われていますが、中国地方だと乗れる機会が多いと思います。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

檜原村笹野・ばんば特産品直売所

2011-09-01 00:01:00 | 奥多摩&檜原

201109010005  村内にいくつかの直売所がありますが、その中でお気に入りは「ばんば」さん。
 顔を覚えられ、すごく気さくな女将さんなので、つい立ち寄ってしまいます。
 

201109010004  201109010002 201109010003  

 いくつかの畑を持っておられるので、店頭に自家製の有機野菜が並ぶこともあります。

201109010001  大きさに応じて、左から80円、90円、100円の檜原産ゴーヤー。
 沖縄に劣らずほど立派なゴーヤーになっていますな。
 冬の間もまた訪ねて、大きく立派に育った白菜をたくさん買い占め、韓国産の唐辛子で自家製キムチを作ってみたいな~!
 キムチ作りが得意なのは、私ではなく生まれが韓国のハン尚宮(母)。

 このお店は檜原村産がメインで、周辺市町村の奥多摩町、青梅市、あきる野市で生産された特産物を手に入ることもできます。どの商品を見ても、最も近いはずの山梨県(小菅(こすげ)村や上野原市)は、なぜかありませんでした。あくまでも東京ブランドにこだわったお店でした。

 山梨県北都留郡小菅村も、檜原村に似たような秘境です。「小菅村へのアクセスは奥多摩駅からバスも出ているし、生活圏は山梨県よりも東京都。電話の市外局番も奥多摩の0428局と同一なので、ここを東京都西多摩郡小菅村にしたい」と請願があったみたいですが、結局現実に至りませんでした。

 小菅村でも「多摩源流小菅の湯」といった、広くて立派な温泉施設があります。
 山梨県と聞いただけでも遠いイメージがしますが、奥多摩に来れば小菅は目の前。
 そういえば、「多摩源流小菅の湯」はしばらくご無沙汰。

 今度の奥多摩と檜原へは、小菅村に足をのばそうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風接近ギリギリでもヘリは動く!

2011-09-01 00:00:00 | 郵便局・切手

 昨日、荷役専用のヘリが飛んでくれたらいいな~と書いたところ、今日は台風が近づいているのに本当に飛んできてくれました。
 「今朝8時半頃、バタバタ・・・というヘリコプターの音がしたので、テレビ(※)をつけてみたらヘリポートに郵便屋さんのクルマが停まっていました」とのことでした。
 順調に行けば、26日に届く予定なので、5日遅れの到着でした。よかったです!!

 (※青ヶ島村役場のチャンネル。三宝港とヘリポートに海模様や空模様をリアルタイムで映し出されるカメラが取り付けられ、各家庭のテレビをつけるだけでも状況がよくわかります)

 昭和30年代の青ヶ島は、年に4、5回しか船が来ませんでした。しかも、沖合に停泊し、小型のボートに旅客や貨物、郵袋、食料品等を移し、漕ぎながら船着き場に到着。
 船が来る日は学校はお休み、子供から大人まで島民総出で積み下ろしに出かけたほどなので、あれから半世紀経った今、ずいぶん便利になりました。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

便利ツール